息子が高松から出る際に、
母方の祖父の形見の品を
御守り代わりに手渡したことがありました。
旧帝国陸軍士官であった祖父の愛用した双眼鏡です。
この祖父の顔を私は知りませんでした。
が、
幼い頃から習慣となった墓参りを繰り返す内に、
この祖父の墓石に愛着を感じていました。
それは、この祖父を【変わり者】と、
その人を知る人たち皆が一様に口にすることと、
親戚などが私を叱る際には、
この祖父の血をひいているからだと、
一様に言われたからかもしれません。
祖父はアイデアマンであった様で、
取得した特許の数も多く、
現在でも、中京地方に祖父の銅像が観られることからも、
普通の人からすれば【変人】だったのでしょう。
先日、新潟へ参りました際に、
深夜帰宅した私を息子が興奮気味で待っておりました。
なんでも退屈しのぎ手持ちぶさたに、
その双眼鏡を思いだし、
ケースの中を覗いてみたら、
隙間ポケットから短冊のような紙の端しっこが見えて、
なんじゃろう?と、
引っ張って、
綺麗に折り畳まれた紙を開いたら
男の人の肖像写真が!
オバケかと!
仰け反った息子なんだそうです。
で、
帰宅したばかりの私と息子は
綺麗に基のケースに仕舞い込まれた紙切れを
恐る恐る取り出して、
あァ!コレは我々のジイサンだと、
二人顔を見合わせて頷いたのでした。
私は毎朝、この祖父の名を心で唱えてお経をあげて過ごして来ました。
墓参りの際には、
墓石を拭いて、
酒、煙草に火をつけてお供えして大きくなりました。
私がそもそも縁のない高松市で開業を思い立ったのは、
この祖父の墓守りをするためでした。
私のような独特のスタイルの歯科医院は、
田舎街でやっていくには、
それはそれで人には言えない程の苦労が在りました。
そんな時に、
この祖父の血をひいているから私には出きるんだ!と。
また、
この祖父や先祖が護ってくれているからと。
私の困ることはしないだろうと。
その祖父の顔は、
血を感じさせられるモノでした。