決意


親バカと一笑して下さい。

小学4年の娘の夏休みの宿題も佳境を迎えました。

患者さんを午前に終わらせて、自室に戻りソファ脇のテーブルの上に仕上がっていた読書感想文を手にして読み終わり、
思わず私は目頭が熱くなりました。

【よかたい先生】と云う名の、水俣病を患者の立場に立って、国に責任を認めさせるために生涯を費やした医師の話でした。

私は学者でも医師でもありません。

ただの地方都市の開業歯科医にしか過ぎません。

娘の作文は、よかたい先生の言葉や生き方を、父たる私と重ね合わせて書かれていました。

私は人生において二度だけ、大きな決断をしました。

最初の決断は、高校生の時分に、歯医者になろうと決意した事です。
私は商家に生まれ育ちました。
旧くから大きな商いをしていましたので、私は跡継ぎ息子として育てられました。

ですから、暖簾の継承者である私が歯科医になるなどとは、到底許されない選択でした。

私は親に隠れて受検し、医師の叔父の助けで歯科医になりました。

私にとって歯科医の道に入ることは、単に歯学部にいきたいんだと云う進路志望とは意味合いの違う、
一族との決別もはらんだ、とても大きな選択だったわけです。

ですから、好きな仕事につけた私は本当に幸せな男だと思います。

人生の選択という機会は、誰しもあることです。
就職先であったり、結婚であったり。

但し、私が今に申し上げる大きな二度だけの選択は、こう言った意味での選択ではありません。
男が、一生をかけての妥協無しで、勝ち負け、損得抜きで、壁を破った決意での選択です。

二度目の大きな選択は、今の家人と所帯を持つときでした。
当時の私には、先の家人と三人の子供が居りました。

世では私の事は許されない行いと批判を受けるでしょう。
それは甘んじて受けます。
背負った十字架を片時も忘れる事はありません。

私は今の家人との間に三人の娘を授かりました。

先程の作文の娘は、一番上の娘です。

眉や顔の彫りは、沖縄生まれの家人そっくりです。
年老いた父の手を引っ張って、どちらかと云えばネクラな私の背中を推すのも、明るい家人の性格を引き継いでいるのを実感します。

が、この娘は、しっかりと父の働く姿を観てくれていたようでした。

この娘を生んでくれた家人に感謝します。

この娘が、いつ日か患者さんの助けになれる様に、私は日々を大切に過ごすつもりです。