日別アーカイブ: 2024年1月1日

正月の 暮らし方

私は 商家の 産まれ 育ち。

幼い頃、

除夜の鐘 と 共に

ばあちゃん たち と

深夜

初詣と 出向き ます。

私 含めて

みんな 和装です。

もちろん

自動車での 初詣では ありません。

徒歩にて

満天の 星の 下

鐘の 音の 数を 数えて。

それでも

途中 途中 で

知人から の 新年の ご挨拶で

鐘の 数を 忘れて

残念で なりません でした。

人 と 人との 繋がり が 強い

昭和の 元旦の 始まり でした。

神社は 大にぎわい。

普段ならば

早う 寝な アカンでっ!

そう 叱られて いた のが

この日 だけは

眠り眼を

無理矢理 起こされる。

大人の 仲間入り した ような

気分に なる 1年に 唯一の 特別な 夜でした。

神社には

テキヤ の 出店に

いっぱい の 子供たちが

りんご飴 や 綿菓子 烏賊ポッポ。

でも、

私は 絶対に 買って 貰える どころ か

近寄る ことも 許され ません でした。

みんな の ことを 恨めしく。

そんな 幼少期を 過ごした の です。

「商人は 三が日に お金を 遣っては アケンでぇ!」

そういう 文化で 育てられた から でした。

昨年 から 今年も

正月 三が日は

私は 全く お金を 遣いません。

歯科医師は 患者さんから

診療報酬を 頂戴 致します。

そういう 意味では

お金は 大切に 遣わなくては なりません。

三枝家の 原点である この 習慣。

全う できる ように なったのは

今の 家人の お陰です。

のろけ では ありません。

今の 家人。

自分の 必要な モノを 買うにも

必ず

私に 許可を 求めます。

生活費は 渡して いるの ですが

私物は

必ず

私に 許可を 求めます。

逆に

私が 家人の 日常品に

気を配る ように なりました。

私に 要ると 言わない から です。

私は 家人の 必需品は

家人への お礼 だと 考えて います。

男の エネルギー源は

配偶者からの 感謝の 言葉と 気持ち だと 思います。

逆に

女性の エネルギー源は

自分への 御褒美だと 考えて いました。

が、

中には

その 自分への 御褒美が

際限なく

どんどん エスカレート し

足らず 足らず で、

遂には

私への 不満の 塊に なる 人物も 見ました。

結局は

その 人の 人格 なん でしょう。

真逆の 女性を

晩年

私は 縁を 持ちました。

島倉千代子さん の 唄では ありません

人生 いろいろ。

そんな 元日を 過ごしつつ

私の ブログ更新が

今日 多いのは

地震での PTSD から 逃れたい。

そのために 文を 認める。

それほど までに

先の 東北大震災での 記憶は

私の 脳髄に 刻まれて いる ので しょう。

 

元旦 早々に 地震だぁ!

関西文化圏 の 私に とって

絶対に

受け付けない 食材は

愛知名古屋の 田楽味噌 味噌カツ

琉球の 料理全般

そして

讃岐名物 餡もち雑煮。

讃岐産まれの 母 と 家人。

私の 横で

この 奇妙なる 食べ物に 舌づつみ。

 

こんな 美味しいモノ なんで 食べないの?

二人から

コッチが 奇妙なる 生き物 みたい に

扱われている 最中

【地震警報】が 高らかにっ!

被災地方 の 方々を 案じて なりません。

新潟市の 近郊の 漁港近くに

私が 青年期から

お世話に なった 10歳ほど 年長の 男性知人が

独り暮らしを しています。

この 年末にも

新潟の 郷土料理である 手製の 【のっぺ】を

宅配便にて

贈って 下った

人類で 唯一

私を 【さんチャン】と 呼ぶ

40年来の 兄貴分 なん です。

学生街の 喫茶店を 営んで おられた ん ですが

今では

店も 畳んで

国民年金 と 工事現場 や スーパーの 駐車場で

交通整理を して

日々の 糧を 得て

暮らして おられます。

私は 氏を 尊敬して います。

氏 は 配偶者との 間に

2人の 男の子を もうけ ました。

が、

配偶者が 他に 男を つくり

幼い 男の子 2人を 置いて

出て 行ったの です。

その 2人の 男の子を

氏は 立派に 成人させました。

喫茶店は

営業時間が 不規則で

休日も ありません。

なんせ 歯科大学の 近くの 喫茶店だから です。

氏は

子育て の ため に

喫茶店を たたみ ました。

パチンコ屋の 店員

いろんな 仕事に 就いた そう です。

暮らし向きは 豊かでは ありません でしたが

子育て中心に 生きた のです。

氏の 2人の男の子も

既に

配偶者を 持ち

県外にて 普通以上の 家庭を 持つに 至りました。

彼らは

両親の 離婚の 訳を 誤解して います。

氏は

母親との 交流を 子供の意思を 尊重して いました。

女性は 別れた 亭主の 欠点を

散々に 子供に 刷り込むのが 定め なのかも しれません。

が、

氏は 子供たちに

一切 事実を 語りません でした。

なぜなら

ソレが 本来の 男という 生き物 だから です。

氏の 葬儀委員長は

私が 行う 約束に なって います。

正月から

縁起でも 無い と お感じに なられる かも しれません。

が、

朝の ゴミ捨て

子育て休暇

定時に 帰宅して 家事分担

明治産まれ の ばあちゃんに 育てられ

戦後の 高度成長期の 働け!働け! で

育った 私には

今時の 日本の男

思考回路 から 行動 から 価値観

全く 違い ます。

非難されても 構いません。

ソレが

私の 渡世です から。

男 と 男の 約束は

書面上での 約束より 堅い の です。

氏の 枕元で

私は

氏の 息子たちに

事実を 氏に 代わって

全てを 語る 積もり です。

新潟の 夏は フェーン現象で 凄まじい 猛暑。

冬は 雪と 日本海からの 激風。

その中で

氏は

外で

プライドを かなぐり捨てて

日々の 糧を 得るために

息子たちに 迷惑を かけないように と

毎晩の 晩酌だけが 楽しみで

暮らす と云う よりも

生きて いるの です。

仕事柄

若い人に 現場は 優先されます。

70過ぎの 高齢者。

事務所に 行っても

仕事から あふれる ことも 多く なりました。

その日の 氏の 失念する 言葉。

仕事 無かった ん さぁ。

しゃあ ねぇべぇ さぁねぇ。

ある時

診療時間中に

氏からの 携帯電話に 気づき ました。

「さんチャン 心臓が 痛てぇん だぁ!」

「マスター 今 何処なん?」

「歯科大 の 近くの 現場」

私は 直ぐに

大学の 全身管理科の 教授に 電話 したの です。

彼も 学生時代

マスターの 世話に なった ひとり です。

私立歯科大学附属病院の 受け付けに

汚れた 作業着を 来た 老人を

貫禄十分の 全身管理科教授が 自ら 出向いて

受け付けは 弟子たちに させて

抱き込むように

診療科に 優先で 誘ったのです。

氏は

それほどに

当時の 歯科大学学生の 面倒を みて きたの です。

ですから

自身の 2人の 息子に 対して

いかほど の 愛情を 注いだのは お判り でしょう。

でも

男には 母性は ありません。

男とは 不器用な 生き物 なんです。

氏の 2人の 息子たちに

モノ申せる 人間は

私しか 居ないと 自負して います。

なぜなら

未だに

この息子たち から 私は

スポーツカーの お兄ちゃん と 呼ばれて います から。

前おき が 多く なりました

私は 直ぐに

氏に 電話した の です。

三条氏 辺りに ホテルを 手配して おく から

着替えだけ 持って 逃げ なせぇい!

支払い?

カード社会だっ

コッチで 処理して おく べぇ。

俺っち の 顔は

新潟市だけ じゃ ねぇ から よっ。

安心 なせぇい!

速よう 逃げ なせい!

讃岐とは 異なり

大変な 2024 年の 始まりと なりました。

そのような 中。

私も プライベートでは 大変な 戦の 最中に あります。

気を 引き締めて。

そんな 新年の 決意の キッカケに なりました。

日本海側の 方々へ。

どうか 油断しないで

お気をつけ 下さい!

 

 

 

三枝デンタルオフィス 院長三枝の 元旦 2024

新年 あけましておめでとう ございます。

旧年中は

皆さま には 大変 お世話に なりました。

今年も

一層 精進し

【本当に歯で困った時の歯科医院】の 存在意義を

発散し 続けることを

お約束 申し上げます。

 

私は 久しぶりに 休養して います。

 

犬 と 猫が 興味津々 にて

本物の お餅飾りが できない の です。

それで

クリスタル の 鏡餅。

華 を 愛で

歯科医師に なった 私に 代わって

家業を 継いでくれた ○○から 届いた

味つけ を 視つつ

家人 と 一献 また 一献。

母は 梅酒で 眠っち まい ました。

讃岐名物 恐怖の 餡もち プラス 白味噌 雑煮。

私は ご遠慮 させて いただいて

すまし プラス 蛤 菜の花 丸餅 雑煮。

そろそろ

準備が 整った ようです。