正月の 暮らし方


私は 商家の 産まれ 育ち。

幼い頃、

除夜の鐘 と 共に

ばあちゃん たち と

深夜

初詣と 出向き ます。

私 含めて

みんな 和装です。

もちろん

自動車での 初詣では ありません。

徒歩にて

満天の 星の 下

鐘の 音の 数を 数えて。

それでも

途中 途中 で

知人から の 新年の ご挨拶で

鐘の 数を 忘れて

残念で なりません でした。

人 と 人との 繋がり が 強い

昭和の 元旦の 始まり でした。

神社は 大にぎわい。

普段ならば

早う 寝な アカンでっ!

そう 叱られて いた のが

この日 だけは

眠り眼を

無理矢理 起こされる。

大人の 仲間入り した ような

気分に なる 1年に 唯一の 特別な 夜でした。

神社には

テキヤ の 出店に

いっぱい の 子供たちが

りんご飴 や 綿菓子 烏賊ポッポ。

でも、

私は 絶対に 買って 貰える どころ か

近寄る ことも 許され ません でした。

みんな の ことを 恨めしく。

そんな 幼少期を 過ごした の です。

「商人は 三が日に お金を 遣っては アケンでぇ!」

そういう 文化で 育てられた から でした。

昨年 から 今年も

正月 三が日は

私は 全く お金を 遣いません。

歯科医師は 患者さんから

診療報酬を 頂戴 致します。

そういう 意味では

お金は 大切に 遣わなくては なりません。

三枝家の 原点である この 習慣。

全う できる ように なったのは

今の 家人の お陰です。

のろけ では ありません。

今の 家人。

自分の 必要な モノを 買うにも

必ず

私に 許可を 求めます。

生活費は 渡して いるの ですが

私物は

必ず

私に 許可を 求めます。

逆に

私が 家人の 日常品に

気を配る ように なりました。

私に 要ると 言わない から です。

私は 家人の 必需品は

家人への お礼 だと 考えて います。

男の エネルギー源は

配偶者からの 感謝の 言葉と 気持ち だと 思います。

逆に

女性の エネルギー源は

自分への 御褒美だと 考えて いました。

が、

中には

その 自分への 御褒美が

際限なく

どんどん エスカレート し

足らず 足らず で、

遂には

私への 不満の 塊に なる 人物も 見ました。

結局は

その 人の 人格 なん でしょう。

真逆の 女性を

晩年

私は 縁を 持ちました。

島倉千代子さん の 唄では ありません

人生 いろいろ。

そんな 元日を 過ごしつつ

私の ブログ更新が

今日 多いのは

地震での PTSD から 逃れたい。

そのために 文を 認める。

それほど までに

先の 東北大震災での 記憶は

私の 脳髄に 刻まれて いる ので しょう。