今日は日曜日ですが、
いつものように、
朝の7時半に、
診療所へ来ています。
最近、
日曜日の度に、
診察させて頂いている女性が居ます。
30後半の方です。
幼い障害を持つ・お子さんを、
障害を持つ児童の教師という仕事の傍ら、
もっか子育て中の・お母さんです。
ご亭主の休日の日曜日にお子さんをお願いし、
私の診療を・受診して通って下さっています。
患者さんの診察を行う過程で、
逆に、
私が学ばさせて頂く・機会は多いのです。
人と人との関わり合いから、
自分の人生を振り返ってみたり、
反省もし、
力を頂く機会も・多いのです。
朝のスタートは10時からですが、
患者さんの診察に至るまでの、
【自分創り】には、
診療所に来て即座に診療って・訳にはイキマセン。
心を真空状態に至らすために、
祈りの本に眼を通したり、
ご先祖の御位牌と向き合ったり、
幼い頃から私に寄り添って下さった観音さまの像のお顔を眺めて、
会話したり。
はたまた、
平日であれば、
大学からの電話会議であったり。
単なる脳天気な男・三枝尚登から、
日本歯科大学臨床教授の三枝尚登に、
身体の内部をぜんぶ取っ替えする・作業に、
随分と時間が掛かるんですよ。
男には【外向き】の【顔】が・あります。
これは映画の登場人物のように、
演じられている【姿】です。
でも、
某役者の方は仰いました。
【演技】している積もりは・毛頭・ありません。
私は・完全に、成りきってるんです・と。
私の身体全体に、
その役柄の魂が【乗り移って】いる境地で、
身体をお貸ししているんです。
私も同感です。
毎週日曜日の朝のカトリック教会でのミサの度に、
司教が信者に語ります。
【主は・みなさんと・共に】
それに信者たちが返します。
【主・は司祭と・共に】
そのあと、
司教が高らかと、
【心をこめて神を仰ぎ・賛美と感謝を捧げましょう】
そこから賛美歌の合唱が続きます。
聖なるかな・聖なるかな・
と。
医療職とは、
このような仕事を行う者である。
これが私の結論です。