月別アーカイブ: 2018年7月

長生きすることによって

医療技術の進歩と、

医療政策の貢献によって、

人の寿命はますます長くなるでしょう。

恐らく107歳まで、

人は生きる動物になるでしょう。

90歳を優に越える自分の姿を

イメージ出来るでしょうか?

股や膝などの関節に対する

人工関節に置き換える手術は

今では普通の行為となりました。

長い間、

身体を支えてくれる訳です。

年齢と共に、

関節疲労と磨耗が生じるのは

当たり前です。

でも、

顎関節では?

エッ!

口となると実感して頂けません。

歯科に対する認識の低さに、

淋しい気持ちになります。

歯周病治療の進歩と、

口腔の衛生管理の普及によって、

歯を失う老人は激減しています。

歯がある訳です。

それは社会貢献に繋がりますが、

噛む力を受けとめる顎関節は

どのように変化するのでしょう?

私たち歯科界の初めての経験です。

整形外科分野のように、

人工関節に置換させる手術方法へと向かうのか、

それとも、

非外科的治療方法が進歩するのか、

この分野は、

今後の歯科医師の急務となるでしょう。

歯科医師の領域は、

ますます拡大しています。

先般、

新潟県燕市にて開業の

細山裕先生のお顔を

約10年ぶりに拝見しました。

私が付属病院に復帰したことを知り、

わざわざ来院して下さったのです。

驚きました。

84才になられたとの事。

全く年齢を感じさせられません。

颯爽としたブルーのポロシャツに

白のジーンズ姿で。

懐かしい細山スマイルも健在でした。

無論、

現役でいらっしゃる。

診療スタイルも、

最先端であるのも昔の通り。

私は仰け反るほどに驚いたのです。

カリスマ歯科医師の迫力は、

衰える処か、

ますますエネルギッシュでありました。

仮に、

細山先生ほどの迫力ある84才の方が

患者さんとして、

私の診療所へお越しになられたならば、

私はどのような物指しと基準にて、

治療方法の選択をすれば良いのでしょうか?

私自身が、

医師の立場として、

患者さんの立場になって、

ジックリと考える必要に迫られた気持ちになりました。

 

顎関節症

日本歯科大学新潟には、

小出馨教授と云う、

顎関節の構造と機能の大家が居られます。

顎関節症の治療の大家でもあります。

小出教授の歯科医師である御子息を

私は可愛がっています。

父親譲りの優秀な若手歯科医師です。

将来の母校を支えて下さる大切な宝だと、

私なりに大切に関わっています。

一昨日の深夜まで、

私は小出ジュニアから、

顎関節症についてレクチャーを受けていました。

無論、

大家である小出教授からは、

前もって個人的な教授を受けて、

今度は、

御子息に私の顎関節症の治療を依頼したのです。

私は高度に進行した顎関節症の患者です。

その私を、

将来のホープが、

どのように対応するのか?

私は興味があったからです。

それと共に、

研究から得た知見を持つ専門家を

私は若手であっても、

頭を下げて、

教えを請う主義です。

小出ジュジアが緊張した趣で、

私の治療に臨む姿を

暖かい気持ちで観ていました。

深夜の0時を回って、

付属病院から出て、

ジュジアにホテルまで送って頂きました。

昨夕、

父親である小出教授が、

息子の治療を確認したかったのでしょう。

診療室へ私を誘導し、

診察台に私を座らせて、

診査した瞬間、

先生、ご苦労されて頑張って来られたのですね!

身体がボロボロ。

気力で保ってるようなモノです。

無理しないでと言っても、

先生は無理でしょ。

とにかく私と息子で診療させて頂きますから。

私の横で、

最近になって私から指導を受け始め、

私の患者にもなった歯科技工士の三上君が、

勉強のために横で、

私と小出教授のヤリトリを観て、

大きな衝撃を受けていました。

小出教授は私の顔と頭を丁寧に触診し、

口腔内を診察し、

噛み合わせを診て、

次々と、

私の症状を正確に言い当てたからです。

歯は情念を著す臓器である。

師匠である内藤正裕先生の言葉です。

噛むと云う行為は、

食べるためにだけ行うのではありません。

人が生きる過程において味わう、

喜怒哀楽と云う感情をシッカリと、

噛みしめることで、

歯は受けとめるのです。

小出教授は私の歯を観て瞬間に、

私の人生の軌跡を診たのだと思います。

それがプロの中のプロと云う者です。

私は総合診療科の臨床教授です。

患者さんの治療を

幅広い眼で、

治療するのが務めであると。

ただし、

より深い知識と経験を持つ、

奥の深い総合診療医でありたいと思います。

私のような、

重い顎関節症の患者さんの助けになりますように、

身を以て学びたいと思います。

小出教授、小出ジュジアに深く感謝の意を表して、

私の臨床と教育に活用する積もりです。

これで正常な教育ができるのでしょうか?

歯科医師過剰と云うことで、

歯科医師になっても、

将来の経済的恩恵からは

ほど遠いと云う風潮があります。

その結果、

高校の進路指導の教師は、

生徒を歯学部への進学に対して

否定的考えを持っているようです。

しかし、

ここに大きな誤りがあります。

15年先に、

歯科医師数は完全に不足するからです。

本当でしょうか?

日本歯科大学は日本で最古で最大の

歯科医師教育機関です。

歯科医師会の会員数も、

校友が圧倒的多数を占めています。

半世紀前の歯科医師数が圧倒的に不足していた時代。

日本歯科大学は国の要請により、

東京本校とは別に、

新潟にもう一つの歯学部を創設して、

その窮状を解決するために、

大きな尽力をしました。

今では歯学部は全国で29校あります。

数年前までは、

確かに歯科医師数は増え続け、

歯科医師数過剰問題が生じました。

国は歯科医師国家試験の合格率を

異常なほど手を加え、

今では歯科医師国家試験は難関な資格試験となりました。

結果、

歯学部への入学定員の減少が生じ、

追い打ちをかけるような合格率を引き下げられたことで、

15年先には、

全く歯科医師は不足します。

これは日本歯科大学独自の予測ですが、

歯科界の牽引車としての

過去からの実績から、

ほぼ間違いない事実です。

超高齢者社会に突入します。

その時こそ、

歯科医学の大きな力が必要になります。

意外でしょうが、

何処の歯学部も、

教員の数が全く不足しています。

教員の数が足りないのですから、

経験豊富な教官も絶対的に不足しています。

私は、

この歯学部の現状もそうですが、

小学校の教師の志望者の減少も

根は同じだと考えています。

それは親の質が、

昔とは激変した事です。

躾と怒ることの区別を

社会が認識し間違えてしまっているからです。

昔であれば、

間違ったことを子供がすれば、

親はビンタしていました。

しかし、

根底には大きな愛がありました。

ところが、

時たまに見かける、

無責任な親の子供への虐待を、

躾と同じに評価する空気が

社会に蔓延したのです。

現場の教師は為す術を失いました。

指導と暴力、暴言を

同じに評価されるからです。

私自身にも同じ経験があります。

思春期の娘が、

イライラしていたのでしょう。

くそババアと母親を強くなじりました。

私は娘の頬をビンタし、

なんて事を言うんだ!

と、怒鳴りつけました。

で、

その後の経緯ですよ。

娘は大いに発狂し、

夜に家出をしたのです。

9時を待って、

警察に娘を捜すお願いをしたのです。

その後、

私は妻と警察から、

犯罪者の扱いを受けたのです。

子供を怒鳴るのは暴力。

ビンタたは許されない犯罪行為なんだと。

はぁ~?

でしたよ。

私は妻をくそババアと言った娘に躾をする立場です。

しかし、

妻は私を批判しました。

警察は私を異常人の扱いをしました。

その1週間前に、

妻と娘が大喧嘩をしました。

妻は夜にも関わらず、

娘を家から追い出しました。

怒る妻ほど恐ろしい存在はありません。

が、

私は妻に言いました。

いくらなんでも、

夜に思春期の娘に出てゆけとは言い過ぎだと。

私は妻に探しにゆくように言いました。

また、

出てゆけ!と怒ると、

次は自分から家出をするぞ。

そういう台詞は言うなと

妻に注意しました。

夜、

不眠症の私は睡眠薬を服用します。

この時は、

家庭の雰囲気の悪さに嫌気がさして、

酒を飲みました。

交通事故を起こす可能性がありましたし、

飲酒運転と薬を飲んでの運転こそ

致命的な犯罪行為です。

私は歯科医師免許を持つ身です。

特に、

その辺りには、

神経質な立場です。

ですから、

私は家で待っていました。

この2回の騒動にて、

父たる私が娘を探しに行かないのは

親失格であると、

妻、警察から、

強く非難されたのです。

私は時代の変化?

と割り切る気持ちになれません。

このような考え方で育てられた子供は、

私はロクな大人にならないと思います。

教育の現場も、

正に同じ状況に置かれています。

私のその後ですか?

家中から総スカンの態度で、

扱われています。

 

 

 

軽くなった背中のお陰で

上越新幹線に乗車した処です。

深夜まで食事を採れない

慌ただしいスケジュール満載の1日だそうな。

発車までの間に、

駅弁でもと。

チョッとだけ贅沢しました。

今までであれば、

コンビニのあんパンとコーヒーでしたもの。

昨日、

ある事柄から、

と云うよりも、

ある人から発せられた言葉で、

相当長い期間、

私の背中に背負っていた沢山の大きな荷物の大半を

腕から外して、

地面に置いた瞬間、

私は不思議と心が楽になりました。

チョッとした贅沢と言っても、

この程度ですが。

大きな力に導かれて

診療が終わって空路にて上京。

翌朝朝6時7分発の上越新幹線に乗車し

9時からの大学での仕事に間に合うようにと、

都内にて前泊することが常となりました。

ホテルでは、

いつもコンビニのお握りとコップ酒を少々というのが

ささやかな私の楽しみでした。

それでは余りにも侘し過ぎると感じつつも、

私も子育て中の身です。

教育費のためにと、

ささやかさを親たる者の務めであると、

誇らしく感じ、

ささやかに空腹を満たしていました。

が、

今日は、

チョッとだけ背伸びして、

高級食品店へと入り、

ワインと刺身を少々購入し、

部屋で、

物思いに耽りながら、

あるいは、

息子と電話で話しをしながら、

眠気誘うのを待っていたのです。

カトリックとの関わりは、

確実に私に大きな変化をもたらしました。

私の人生での最優先課題は、

歯科医学を全うすること、

それも、

王道を歩くこと。

信仰の中での祈り、

司祭さまとの関わり、

その中で、

長く霧の中を彷徨う如く過ごしてきた私の前、

光がやっと差し込んできた気がします。

不安はありません。

未来は誰も未経験。

ミサの度ごとに、

神さまを御聖体というパンの形で

私たちは、

食べ頂くことで、

神さまを体内に宿します。

神さまと共に生きる。

誤った方角へと、

神さまが私を導く筈はありません。

戦後、

日本人の宗教観は大きく変わりました。

進駐軍に政策的に壊されたモノなのか、

それとも、

所詮はそれだけの民族性であったのかは

私には判りません。

しかし、

私が信仰を持つことを、

怪訝そうに感じながら観られているとの

他人目なり空気を実感します。

でも、

私の人生です。

私は信仰と歯科医学と共に

生きる。

大きな強さを身につけました。

今は午前の3時です。

2時間ほど、

二度寝しようと思います。

奥歯のダイレクトボンディング修復

ダイレクトボンディング修復の本領は、

生きた奥歯の虫歯の治療の際に、

最大級の効果を発揮します。

これは全て、

私の手先による彫刻物です。

歯に直接、

接着していますので、

セメントを使ってくっつける方法とは

全く違います。

治療最中です。

削った部分に接着剤を塗布しています。

このような治療には、

ラバーダム防湿は必須です。

削った新鮮な歯面に唾液で汚染されると、

また不潔になりますよ。

その上から材料を詰めるのですか?

私にはできませんね。

こうやって、

次々と。

手間はかかります。

でも、

私はダイレクトボンディング修復が

好きです。

手先のトレーニングにもなりますし、

今現在の自分の指先の器用さをチェックできますから。

ひたすら続けること

昔では考えられないような

異常な事件を

しばしば報道で知る度に

コメンテーターの方々が、

アレヤコレヤと、

持論を展開される様を観て、

一億総評論家の時代なんだなと

感じてしまうのは

私だけでしょうか?

批評に値する人の基準って何でしょう?

私は歯科医学のことしか判りません。

歯科以外の多くの分野についての知見を拡げる読書は、

私にとっては、

歯科医学の奥をもっと掘りこむための

別の方向からのアプローチに他なりません。

ただ、

私は歯科医学に関する事柄については、

何でアレ、

ひたすら継続してきました。

このブログ更新についても同じです。

ブログを始めるキッカケとなったのは、

今から11年前のことでした。

現日本歯科大学新潟生命歯学部長をお務めになられる

藤井一維教授からの依頼があったからです。

歯科氷河の時代を不安な気持ちで過ごす学生たちが、

三枝さんの声や意見を求めてるんですよ。

へぇ~?

私なんかを。

それ以上深く考えないのが私の取り柄かもしれません。

忙しさにかまけてできない。

筆が進まない。

ウッカリ忘れてしまった。

そんな事が皆無であったことは、

私のブログの軌跡を観て頂ければ

お判りになると思います。

続けることこそ、

誠意であり、

忍耐であり、

力であり、

それが生きると云う意味だと思います。

ですから、

物事の継続性のない人を

私は全く信用していません。

他人の批評よりも、

自己継続性が人の本質を顕す標だと思っているからです。

躓いても、

転んでも、

ただひたすら続けることに

大きな意味があると思っています。

責任の重さ

昨夜も診療所に泊まりこんでいました。

日本歯科大学付属病院の総合診療科における

治療のガイドラインの製作中だからです。

大学付属病院には大勢の歯科医師が治療に従事しています。

医師には、

それぞれに裁量権があります。

ただし、

治療における原理・原則は揺るぎないものです。

大勢の歯科医師が行う治療の

大学付属病院としてのガイドラインを

各科長と共同で製作することが、

日本歯科大学の大きな主張となることに

若手医師たちが気づいてくれたからです。

自分たちは、

此処で歯科医学を学んだのだと。

そのくらい、

歯科治療の方法論は

沢山あるのですよ。

歯科医院は何処に行っても同じだなんてことは

全くありません。

総合診療科の医員たちの顔を思い浮かべながら、

多くの参考文献を前に、

暴雨の窓を叩く音をよそに、

ペンを走らせていました。

私の大学時代の姿を知る人は、

今の私を同一人物とは信じません。

そのくらいやんちゃ坊主だったんです。

が、

出逢いが私の人生を一転させて下さったのです。

生涯の師と仰ぐことになる内藤正裕先生を始めとする、

国内外の歯科の巨星たちです。

それほどまで、

歯科医学とは魅力あるものなのかと、

知らぬうちに、

引き摺られるように、

歯科医学に埋没していったように思います。

55歳を前に、

再び人生の転帰点を迎えました。

カトリックとの関わりと、

母校である日本歯科大学付属病院の総合診療科の

臨床教授の任に就いたことです。

もうやんちゃ坊主では済まされなくなりました。

覚悟を決めて、

背負った責任の重さを

日々自覚しながら、

器具を手にしています。

綺麗なひとへ

昨夜、

診療所の後かたづけを終えたら、

もう午後の7時半をとうに回っていました。

帰宅路の途中に在る

桜町カトリック教会の松浦司祭さまからの、

聖書の解釈の個人教授が8時からであったので、

急いで診療所を後にしました。

聖堂のステンドガラス窓から灯りがもれていました。

8時まで10分ほどありましたので、

聖堂の木戸から中へと入りました。

毎週日曜日のミサに訪れているので見馴れた光景ですが、

夜の静寂のなか、

誰一人いない聖堂の正面へと歩み寄りました。

正面には、

十字架に架けられた姿のイエスさま。

聖台に向かって右側の壁の台座にマリンさまの石像。

向かって左側には、私の名前の由来である聖父ヨゼフさまの石像。

人っ子一人いない聖堂で、

私は目の前の聖家族の御像を眺めるのが好きです。

そして、

聖母マリアさまのお顔だちの美しさに

心が安まるのです。

ついさっきまで、

緊張感に包まれた治療を行っていました。

患者さんが私に託して下さる気持ちに責任と感謝を感じて

毎日を過ごしています。

そのような暮らしを経て、

祈ることが大切な務めであることに気づきました。

ですから、

夜、

たびたび教会を独りで訪れます。

それと共に、

患者さんの診察の度ごとに、

聖母マリアさまに祈りを

心内で捧げ、

手先を患者さんに触れるようになりました。

健康でありますように。

そして、

マリンさまのようなお美しいお顔だちが

私の手当てで創れますように。

歯科医師ですから、

当たり前のことなんです。

でも、

祈らずにはいられないのです。

 

 

総合診療の第1歩

やっと、

今年1番の難症例に取りかかりました。

診るも無惨な修復治療によって、

歯も、

歯茎も、

歯槽骨も、

噛み合わせも、

観た目にも、

ボロボロな状況に陥っていました。

初診は2月27日。

県外からの52歳の女性です。

歯科医師の手によって、

大きく崩壊した口腔の治療は、

安易に行うことはできません。

何故?

このような状況に至ったのかという

転帰となった原因を究明することが、

治療を行う上で、

1番大切な、

最初の乗り越えなければならない関所です。

と、

並行しながら、

患者さんに

歯磨きの本式の方法を

シッカリ体得して頂くために、

通って頂くことに。

その期間を利用しながら、

私は思案し、

患者さんの口腔診査の繰り返し。

で、

謎解きができたのです。

今日の治療と相成った訳です。

 

観て下さい。

精密とはほど遠いクラウンと歯の隙間。

腫れた歯茎を、

見事!

患者さんは頑張って、

歯磨きだけで、

ココまで炎症を抑制したのです。

ここからは、

プロの出番です。

一気呵成に、

崩壊の原因である修復物を撤去します。

この歯周病は、

歯科医師の作品です。

この虫歯の進行も、

歯科医師の作品です。

概略の修正を加えて、

仮歯を装着しました。

約10日後に、

歯周外科処置を行います。

その後の、

歯肉が熟成する3カ月程度の間に、

根管治療を行います。

歯周外科の後ですから、

ラバーダム防湿環境下での治療が可能です。

今日の治療は、

朝の10時スタートで、

終わったら、

夕方の5時前でした。

これが三枝デンタルオフィスの流儀です。