日別アーカイブ: 2018年7月27日

私の仕事は全て患者さんのために

今日は昔の思い出話しでも。

私が開業した頃の、

本当にあった話しです。

当時は、

歯科医師会が勝手に規則を作っていました。

歯科医院が在れば、

其処から半径何百メートルの場所には、

新規で歯科医院を造らせない。

造るなら、

歯科医師会には入会させないぞ!

でも、

これは建前であって、

有力者や歯科医師会の縁故者は、

ドンドン市街地で開業していましたもの。

私のような歯科医師としての初代の人間は、

開業するとなると、

郊外でも歯科医院は多く在りましたので、

それこそ、

鹿の出そうな処しかありません。

歯科医師会へも相談に行きました。

無論、

門前払いでしたね。

ある地元選出の国会議員の事務所に呼ばれて、

不思議な面持ちで訪問しました。

で、

地元秘書なる人物から、

粗末に扱われ、

お前は歯科医師みんなを困らせている不埒な奴だ!

長期間、

罵られ、

説教され、

私が承諾するまで拉致されそうな勢いでした。

私ですか?

反権力の旗を持つ事を信条とする私です。

この男性がトイレに入った隙に、

逃げ帰りました。

これで、

私は腹が決まったのです。

高松市のど真ん中で開業するぞ!

ただ、

決めても、

次々と障害が襲ってきました。

機械、材料を購入しようと思っても、

歯科医師会に気をつかった地元の歯科商店が

売ってくれないのです。

これは東京の最大手のディーラーが

見かねて助けてくれました。

歯科衛生士の求人についても、

歯科医師会が学校を経営していますから、

当然、

派遣してはくれません。

歯科技工所などは、

口でこそ、

造らないとは言わないものの、

技工料金をつり上げて、

診療報酬点数の3倍の価格の納品書を持ってきました。

私の開業は、

このような環境でスタートしたのです。

生まれて半年過ぎた娘を

延長託児所に預け、

冬の寒い夜に自転車を飛ばして、

娘を迎えに行き、

また診療所に戻って、

娘をおんぶ紐で背負って、

診療所の掃除機をかけて、

器具の消毒をしていたものです。

幼ない娘は頻繁に熱を出しました。

診療所の控え室で布団をひいて、

そんな時代が何年か経過しました。

時代は変わり、

歯科医師会の規則が、

独占禁止法に相当するということで、

なんでも、

勇気ある女性歯科医師が声を挙げて、

役所に掛け合ったそうです。

その頃の私は、

技術の向上で必死でした。

あの侮辱は生涯忘れません。

あの妨害も生涯忘れません。

私自身に実力をつけること。

それが私のすべきことと思ったのです。

私の診療所を、

私は最高の歯科医院であると自負しています。

私自身は未だ修業の身では在りますが、

私の診断、治療技術に文句があるなら

いつでも、

相手になるぞ!

その情熱も、

若い時分から、

全く衰えてはいません。

あの悔しい時代があったからこそ、

私は戦う歯科医師であれたのだと思います。

私たちの仕事は、

全て患者さんのために。