月別アーカイブ: 2018年3月

早朝ミサに初めて参加する

お彼岸の間、

お供えした花とお酒を

かたづけしようと、

郊外の墓地まで、

暗いうちに車を走らせたのですが、

墓地付近は闇夜にて、

全く視界がありません。

お化けなどは怖かぁありませんが、

転んで怪我でもしたらと、

コンビニを探して懐中電灯を購入。

で、

再び墓地へと舞い戻ったのです。

簡単に掃除して、

お線香を焚き、

香の煙を振り返りつつ、

足元を懐中電灯で照らしながら、

春の行事を終えることができました。

やっと東雲頃合いになったようです。

家に戻り、

スーツに着替えたものの、

診療所へ行くには少々早すぎると。

そうだ、

教会の早朝ミサに行ってこようと

思い立ったのです。

日曜日のミサは大講堂にて午前10時から

執り行われますが、

平日のミサは早朝6時30から、

地下の霊安堂にてと予てより聞いておりました。

聞いた当初は、

教会の地下のカタコンベ!

なんだか近寄る気持ちにはなれませんでした。

でも、

私も変わりましたよ。

旧約聖書の最初の創世記の格調高い文章に触れると、

科学を遥かに越えた大きな力を確信するのです。

目に見えないモノは信じないと云う人が居られました。

では、

電波は?

放射線は?

ついでにあなたは人の心が見えるのですか?

見えないのならば、

人を信じないのですか?

現在、実証されていない事象の方が多いことを

知識階級でなくても、

判っていますよね!

話しは戻り、

教会の地下への階段は、

おどろおどろしい雰囲気など皆無で、

意外だったのです。

小さな霊安所の前に祭壇が設けられ、

高齢の女性が6人、

私より少々年少の男性がお二人。

70間近のおぼしき紳士がお一人。

どうも皆さん常連の様子。

訳の判らない間抜け顔だったのでしょう。

あぁ、今度洗礼を受ける方ねと、

皆さんが大変親切に指導してくださいます。

男って駄目ですね。

どうしてもスーツを着こんで居られる人の方が

語りかけ易いのです。

朝のミサは細かな処が異なりますので、

横に付いて教えて頂きながら、

神父さんから祝福を頂きました。

雑談のなかで、

この紳士が微生物学者であること。

現在は弟子に教授を譲り、

研究員として、

今でも大学にて研究を楽しんでいること。

そんななかから、

たんぱく質の話しになり、

そこから口腔内のバイオフィルムの話しへと。

教会前の駐車場に立ち、

互いの同じ匂いを感じとったのです。

立っている処を見上げれば、

聖母マリアさまが見えます。

この縁も聖母マリアさまのお導きだと

感謝したのです。

よし、

平日の早朝ミサにも挑戦すっか!

そんなルンルン気分にて、

診療所のドアを開けたのです。

知らぬが仏

私には、

そのような経済力はありませんし、

宝くじの1等に当たっても、

フェラーリだけは買いません。

父ちゃん、仮に景品で現物を貰ったら?

あり得もしない馬鹿なことを聞く息子です。

要らねぇな。

直ぐに売っちまうよ。

別にフェラーリが悪い車だとは思いません。

が、

普通に考えて、

地道に汗を流して働いている人に

買える車ではありません。

成功者の証に、

私は何の悪意もありませんし、

凄いなと感心の拍手を送りますよ。

単に、

フェラーリを転がして居られる方と、

私とでは、

匂いが違う。

それだけのことです。

が、

それでも、

往年のこのフェラーリだけは別物です。

ディーノ。

この車が似合う男は、

単にお金を腐る位持っていても、

そうざらにはいませんよ。

持ち物って、

そういう類いのモンじゃないですか?

よく歯科医院のホームページで見るじゃないですか?

最新のCTを導入しました!

最新の○○を使っています!

でも、

腐った眼と手先では、

無用でしょう?

また、

一向にホームページのリニューアルもしていないので、

最新である筈のCTが、

今では廃品程度の値打ちしかありませんよ!

知らぬが仏と云う言葉がありますが。

車にしても、

医療技術にしても、

自分自身の立ち位置にしても、

知らぬが仏なのでしょうか?

この車はアルピーヌ.ルノー。

メルセデスも、

これなら格好良いですね。

眼を肥やすことが大事なんですね。

 

自然に

女性の方です。

新居に移られると云うことで、

古い蔵書に困っておられるのだそうな。

聞けば、

私にとっては宝の宝庫。

古本屋に見せれば高く売れると思いますよ。

ところが、

診療に通われる都度に、

大きな袋が破けてしまうように見えます。

先生、この本はお好きでしょ?

私に下さるために、

重い重い荷物を持って来てくださいます。

70過ぎの女性には、

とてもとても大荷物。

本の背表紙を観れば、

やはり宝物。

でも、

私にとっては、

本の価値よりも、

この患者さんのご厚意が尊い宝物です。

しかも、

私の好みを外していません。

よく私をご覧になっていたのでしょう。

医療は人と人との関わり合いです。

患者さんが私に身を委せて下さることに、

ありがとうございます。

患者さんが私を選んで下さったことに、

ありがとうございます。

私を信じて、

治療に通って下さることに、

ありがとうございます。

私は医師足る者は、

患者さんのために生きていると

普通にそう信じてきました。

良い格好する訳ではありません。

昨夜、

息子との電話での会話にて、

歯科大学の合格発表の時に、

歯科医師免許を頂いた時に、

良い歯医者になろうと、

その都度に、

決意した気持ちは、

今でも全く変わってはおりません。

だから、

父は努力など、

無理してはしていないのだと。

歯と関わり合い、

楽しかった!

これからも、

歯と共に生きる。

父の生涯は、

このように単純なモノなんだよ。

 

 

総合診療

初診でお越しになられた時の、

私の驚きようといったら。

いろんな症例を拝見していましたが、

これには流石に!

この結果は、

ある歯科医師の為した結末です。

しかも280万円もの御費用を頂いての

結末です。

本来はお綺麗なお顔の造りをされた

恵まれた容姿の女性です。

しかし、

口元は人の顔を壊します。

治療の経過は、

時々にご報告させて頂きましたから、

あぁ、あの方か!

思い出される方も多いでしょう。

今日、

9割まで完成に至りました。

インプラント治療も使いましたし、

義歯の治療も使いました。

 

治療の途中から、

お好きな蓮根も、

何でもお召し上がりになられるようになりました。

あとは、

義歯を入れておられることを忘れさせる

微妙な粘膜の処理が仕事です。

これが、

総合診療なのです。

今日の患者さんです。

いかがでしょうか?

たまのゆっくりと

せっかくの彼岸の中日であるのに、

小雨模様。

早朝から車を出して、

市へと出かけ、

お墓へお供えする花や讃岐の餡餅などを

買い求め、

線香の煙が墓標に漂う頃には

もう既にお昼前になっていました。

これも長男の役目ですから、

冬から春への一区切り。

安堵したのです。

久しぶりにゆっくりしました。

内藤先生から頂いた聖書を読んだり、

車の下回りの掃除をしたりで。

4月からは、

仕事が目一杯です。

束の間の休日は、

神仏からの贈り物だと思います。

王道を歩く

カトリックの門を叩いて、

まだ1年経っていません。

ひよっ子ですよ。

ですから、

先ずは新約聖書を求め、

それも、

前半のマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネによる福音だけに

搾って、

何度も読み返している段階です。

で、

後半に入ろうと、

頁を開いて、

少々眼を通し、

まだ私には早い。

基本にたちかえろうと、

手を付けずにいた、

旧約聖書に取り組みことにしました。

頁を開いて、

なんと、

自然に頭に入ってくるのに

戸惑いました。

で、

ハタと、

気づいたのです。

歯科医学の研鑽と同じであったと。

新しい技術の説明書には

将来への保証も、

足腰の強さもないのですよ。

古典的な過去から今日に至る治療方法の変遷を学びながら、

技術を身に付けてゆく。

手間隙かかる作業ですが、

これが、

何かを身につけるための王道だと

改めて実感したのです。

人格決定

人の性格や行動の基本は

幼児期に決定付けされると

言われているようですが、

私はそうは思いません。

30歳前に縁を頂いた

師匠である内藤正裕先生の背中を観て

今日55歳に至りました。

ある意味、

私は師匠の模倣で生きてきました。

コピーで構わないと、

私は覚悟したのです。

しかし、

師匠のコピーを演じることは

凄まじいエネルギーを要するのです。

多くの人の出会いましたが、

未だに師匠を凌駕する人を

私は知りません。

迷った時には基本にたちかえれ。

ただし、

基本と云うのは、

真実であって、

この基本軸を見つけることには、

大変な労苦を伴います。

昨夜、

電話口で師匠がポツリと

語ったのです。

三枝よ、歯科医学ってのは、

科学ではないのかもしれんな。

私は答えました。

手先仕事です。

結局は、

腕の良し悪しで、

決まってくるんじゃないですか?

それと、

仕事への心の持ちよう。

それは人格かもしれません。

品があるか、

品格そのものを知らずに歯科医師免許を持ち、

単に器具を振り回している輩か。

そういうのは問題外として、

先生、

私らは見えないものを視る眼を持ったことが、

もしかしたら、

不幸なのかもしれませんね。

そんなことを申し上げましたが、

よく考えれば、

過去に師匠から聞かされた台詞ばかりです。

何十年か遅れながら、

師匠の考えが身に付いてきたんだなと。

それと共に、

今、

師匠は進化の過程に入ったのだと

察したのです。

74歳にして、

まだ【考える歯科治療】を実践されておられることに

誠に敬意を表したのです。

心がけ、所作、全ての規範を

私は30歳前から

今日に至るまでに

大きく変わったのですから、

幼児期云々ではなく、

青春期、成人してからも、

どのような人物と関わり合いを持つのかで、

人の一生の質は大きく変わると思います。

 

聖ヨゼフの日

聖書を読むなどと云う暮らしからは

全く無縁であった私の日常が、

今では、

少しでも間の空いた時、

電車や飛行機の中で、

床に就いてスタンドの灯火を消すまで、

聖書の頁の一文字一文字を

眼で追っているのです。

そんなにも、

一転したのも、

歩いて来た道を振り返り、

後悔ばかりだからです。

せめて、

残りの時間を

穏やかもので締めくくりたいと

自然発生的な心の泡が湧いてきたからだと

思っています。

今日は聖ヨゼフの日だそうな。

私のカトリックネームが、

ヨゼフと云うことになるので、

今夜は、

聖書にはほとんど記載のない

イエスキリストのこの世での父について

想いを馳せようと。

私は歯科医師です。

人の身体の、

ほんの一部を診ることを

仕事として生きてきました。

でも、

歯科医学の奥の深さに

魅了され、

また、

翻弄され。

今しがた、

再び、

内藤先生から電話を頂いたのです。

今日のヨゼフの日に合わせて、

私に聖書を送って下さった

粋なはからいと、

長年の先生からの温情に、

思わず私が男泣きしたことを

案じたからだと思います。

先生は仰いました。

聖書はボロボロになるまで

読むのも良いが、

チョッとしたときに、

本を手に取って、

その重みを感じるのが良い。

机のうえの革表紙に

THE BIBLE の金文字が視界に入るだけでも良い。

医師には、

心の拠り所ってモンが、

絶対にいるんだよ。

私が日本一の師の、

一番の面倒かかる愚弟であることを

どうかお笑いください。

 

師匠からのメッセージ

東京麻布開業の内藤正裕先生は

歯科医学は勿論のことながら、

人生全般の唯一無二の師匠です。

私にとっての先生は、

全知全能の父であり、

慈悲深き父でもあります。

今日の私が在るのは、

間違いなく先生のお導きの賜物です。

今朝、

小包が届きました。

先生からです。

????

蓋の箱を開いて、

中身が目に入り、

急いで取りだし、

私は男泣きしたのです。

即に先生にお礼の電話を入れました。

先生には感ずかれてしまったかもしれません。

聖書は私は当然、

持っています。

が、

先生の送って下さった聖書は、

私にはハードルの高いモノだと

断念したモノだったのです。

今所有している聖書を

繰り返し、

繰り返し、

この1年ほど読み込んできました。

知的欲求と信仰心の高まりでしょうか?

そんなタイミングで、

ストライクゾーンのど真ん中の聖書が、

私の掌の上に。

内藤先生の気配りと観察力、

改めて敬服したのです。

 

浪花の人情

大阪の街で、

珍しい人に、

50年降りに再会したのです。

心斎橋の大丸の前のアーケードで、

突然に、

声をかけられたのです。

尚登ちゃん?

55の親父に尚登ちゃんはどうかと思います。

が、

確かに、

尚登ちゃんの主は、

この私です。

怪訝な表情だったのでしょうね、私の顔が。

が、

思い出したのです。

淀屋橋のうどん屋のお姉ちゃんではないか?

変わり果て、

すみません。

70をとっくに過ぎて居られるようでしたので。

何故、判ったンですか?

お尋ねしたら、

偶然に前に立つ息子が、

私に話しかける声と顔。

それで一気に

時が半世紀も前に遡ったのだそうな。

近くのお団子屋にて、

息子には聞かれたくはない話しで、

散々に笑われ、

また、

息子の心のなかにあった、

何処の家にでもある筈の疑いは

お姉ちゃんのお蔭でもって、

晴れて私は無実の身となったのです。

で、

大丸百貨店へと入り、

あれやこれやと、

講釈を受ける長い時間となりました。

お店は未だご健在のこと。

携帯電話が嫌いで持ちませんのです。

店の電話をお伝えしますと、

手を振って別れたあとに、

お姉ちゃん、

また駆け走り戻り、

晋太郎ちゃん、

うちは何時でもタダやさかい。

あぁ、浪花の人情は未だ健在であったことに

感動したのです。