月別アーカイブ: 2017年7月

心境の変化

三枝、君は本当に教会へ通ってんのか?

大学時代の同窓である浅見教授の弁です。

彼とは18からの付き合いです。

互いの隅々まで判っている唯一の親友です。

で、

何か心境に変化があったのかね?

う~ん?

心境に変化が在ったから教会へ行くようになったのさ。

生きてきて、

本当に不思議だと思うのです。

見えない力によって、

時が流れているのだと。

私は我が強いです。

が、

我がまかり通るほど、

世の中は甘くありません。

が、

意志の強さでもって、

前へ前へと進んできたことも半面、事実です。

自分の力、

見えない力、

それを時の運だとは思いません。

ただ、

流されるのならば、

潔く、

綺麗な姿で在りたいと、

そんなこんなで、

私の心境が変わったのでしょうか。

焦る

大きな夢を抱いて、

私は歯科医学の道に入りました。

良い歯科医師になりたいと云う漠然なものでしたが。

で、

もうすぐ40年。

こんなに多くの時間を費やしたにも関わらず、

道はまだまだ半ばにも至ってはおりません。

その間、

多くの新材料や治療方法が出現しましたが、

正直申し上げて、

凄く画期的だとは思えないのです。

それほどに、

人の身体は不思議で複雑極まりないのです。

時間が足りません。

勉強しなければ。

もっと注意深く、

患者さんの身体を視なければ、

と、

焦る、焦る。

 

患者さんと

今月の末は大学は夏休みに入って休講なのですが、

患者さんとご一緒に新潟へと。

私は患者さんとしばしば出かけます。

京都の南座であったり、

お茶屋であったり、

いろいろと。

で、

もう20年以上もの付き合いの患者さんが

私の好きな萬代橋の写真を撮って下さるとのこと。

大勢の患者さんを診察して来ました。

この75歳を迎えたそうな男性の、

ちょうど今の私よりチョコッとだけ年少であった頃から

その生きざまを観させて頂いたことになります。

波乱万丈の局面、局面においても、

この方は、

アポイントを変更されたことはありません。

事業を興される前の、

お勤め時代の役員会でのご自身の解任劇の直後であっても、

先生、ヤられました。

迂闊でした。

その台詞が鮮明に耳に残っています。

事業を興す準備でのヤリようから、

起動に乗せるまでのご苦労、

で、

引退への準備過程から、

引退されてからの暮らし方、

見事な男と評価していました。

私の診療所の診察台周りは、

私の好きなモノで囲まれています。

この患者さんの撮られた萬代橋が、

私の治療の大きな助けになってくれることは間違いありません。

私の治療

昨日から本格的に治療に入って患者さんから、

チェアサイドでの仮歯の調整作業をしていたら、

先生は遊んだクチでしょう?

そうかもしれません。

ただし、

私は賭事の類いは一切向いていないことが自覚できるので、

全く足しなんだことはありません。

チョコッとお手洗いをお借りするのにも、

パチンコ屋さんが目の前に在っても、

その敷居を跨ぐことはありません。

私なりの【紳士道】がストップをかけるのです。

ゴルフも嫌いです。

休みの日まで、

人と群がるのが嫌いだからです。

序でに、

スコアを競うなど、

私には全く向いていないスポーツです。

そんなこんなタワいもない会話を。

患者さんがお口を開けて居られる際には、

当然、

患者さんは喋ることができませんが、

私が技工作業の際には、

皆さん、

よくお話しして下さいます。

私らの仕事は、

人が好きでないとできません。

眠れない夜

せがれに、

父ちゃんは讃美歌を聴いてるんや、

と、

得意気に語ったら、

眠くならないのかと尋ねられ、

その通り!

お蔭で睡眠薬が要らんのや。

が、

父ちゃん、寝れるのは良かったけれど、

あの世まで行き過ぎないように、

神様にお願いしたほうが良いんじゃない?

ウム!

診断と治療方法の決定

観るも無惨なる状況になって、

初めて、

私の診療所を思い出してくださるのでしょう。

高度に進行した歯周病に加えて、

クラウンのなかじゅうイッパイの虫歯。

序でに歯の根が折れ歯茎が腫れ、

そうでない処は、

不完全な根管治療の結末での骨の中の大きな空洞。

ご丁寧にシッカリと連結されたクラウンたち。

恐らく、

何処から手を付ければ良いものか?

そんなこんなで、

トロトロしている最中に、

患者さんから大丈夫だろうか?

と、見放され、

で、

清水の舞台から飛び降りるような気持ちで、

私の診療所の階段を上がって来られたのだと思います。

新しい患者さんの状態を診察しながら、

つくづく感じますのは。

本当に良い師匠たちに育てて頂いた幸運です。

【歯周補綴】と云う学問的ジャンルの洗礼を浴びた

私は誠に幸運であったと。

患者さんの側では、

診た瞬間に、

診断から治療方法まで、

簡潔に説明して欲しいと思うのは当たり前です。

しかし、

ここは慎重に、慎重にの姿勢を崩す訳にはいきません。

なぜなら、

初対面で、

人の全てが解る筈がないように、

その方々によって、

治り方も様々です。

将棋ではありませんが、

じっくりと、

じっくりと、

小さな小さな治療の組み合わせと、

積み重ねから得た【診えるもの】から、

初めて、

その患者さんの個性と言いましょうか?

身体の【質】が感じ採られ、

で、

そこで初めて診断と治療方法が決定されるのです。

 

 

讃美歌

何事にも勉強家である私は、

讃美歌を覚えようと云う暴挙に出たのです。

で、

CDをと探してみたら、

あまりの種類の少なさと、

コチラの知識の不足ゆえに、

【音羽ゆりかご隊】の子どもの唄う讃美歌くらいしか

見つけることができず、

大いに苦慮したのです。

50も半ばになって、

教会で子どもが唄う歌を覚えるのには気が退けて、

いよいよ困ったと云う時に、

神様の助けてでしょうか?

グレゴリオ聖歌集と云うモノを見つけたのです。

で、

先ほど宅急便にて届き、

封を開けて、

中の解説にサッと眼を通し、

そうしたら、

もう私の性格からすれば、

直ぐに聴いてみたいと。

ちょうど良い具合に、

今から抜歯の患者さん。

患者さんからすれば治療が怖いに違いない。

さすれば、

癒しのための音楽がと。

無理やり讃美歌にもっていったのです。

で、

どうでしたかって?

患者さんは、

歌をバックに眠って居られました。

かく云う私も、

私の抜歯はスピーディーだから良いものの、

長い治療であれば、

確実に私も眠りに入っていたでしょう。

今度、

司祭さまに聞いてみましょう。

心震わし、感動するような讃美歌って何でしょうか?

昔、

ノートルダム寺院を訪れたる際に、

寺院の中を響きわたる讃美歌に感動したのです。

あのような讃美歌を、

私は声高らかに、

風呂のなかで練習したいのです。

親バカ

朝から、

気合いを入れて【根管治療】。

上の側切歯です。

前医の為したメタルボンドクラウンを外し、

慎重に、慎重に、

メタルコアを外し、

で、

古い根管充填材を取り除き、

マイクロスコープにて、

恐る恐る、

根管の先っぽを視ると、

アヤー!

破壊され尽くされ、

ズボズボ状態になった哀れなる根尖孔が。

当然のことながら、

歯質は薄くなるまでメタルコアのために削られているのです。

若い先生なら抜いてインプラントって処でしょう。

へそ曲がりの私です。

と云うか、

私は【歯科保存学】の【ありがたさ】を、

この頃ますます実感するのです。

一生懸命やっても、

10年モタナイかもしれません。

でも、

10年長生きできたとも言えるでしょう。

その間に、

歯科医学の進歩なり、

私の進歩があるかもしれません。

そこから再び10年モタセられるかもしれません。

抜くのは最後の最後だと、

私は決めています。

そんなこんな治療を終えて、

ふと、

せがれに電話をいれたら珍しく、

どうしたん?父ちゃん、と。

何でも今、午後の授業前の昼休みなのだそうな。

親は必死で働いて、

せがれは余裕綽々と云う、

大いなる矛盾を覚えつつ、

自分もそうであったことを

これまた大いに自覚していますので、

心内には触れずに、

飯食ったか?

と云う何時もの台詞で、

また午後の診察へと舞い戻ったのです。

私の新潟

呑気気分で新潟の花火の話しをしたものの、

お昼のニュースにて、

新潟が大雨で大変な模様!

いつも歩いて渡る萬代橋や、

信濃川沿いのやすらぎ堤が冠水し、

アヤー!

と。

そういえば、

新潟に住んで居りました折りの、

あの足元から吹き上げてくる雨には参りましたのを

思い出したのです。

雨はお天頭さまの方から落ちてくるものと、

新潟に住みますまでは、

そう思っておりました。

日本海からの風の強さを

思い知ったのです。

かように酷しい気候の新潟ですが、

住めばそれはそれで慣れてくるのが不思議です。

北国の夏は短いのですが、

フェーン現象のお蔭で、

これまた厳しい猛暑を迎えるのです。

でも、

私は新潟が好きです。

ささやかな夢物語

梅雨明けもまだで、

といって、

ロクロク目立った降雨もなく、

で、

気温だけは35度にも。

こんな真夏日は、

ついつい新潟の花火が観たいなと、

信濃川に架かる萬代橋周辺に

大空高く、

今にも頭上に降り注ぐような新潟の花火大会の日の

街の匂いが鼻腔いっぱいに甦ってきます。

歳を老いても現役で居られ、

で、

もし叶うのならば、

生涯を終える前の2年くらいだけで構いませんから、

どうか神様、

この第2の故郷である新潟にて、

ゆっくりと過ごせますように。

それまで、

この街が、

いつまでも大切なモノを失うことなく、

越後で在り続けますようにと。

何処に出かけても、

目に入る風景が同じになったこの国ですが。

まだまだ越後は越後のままだと、

私には少なくとも、

そう観えますので。