月別アーカイブ: 2015年12月

考え方

私には全くその資格がないと自覚していますし、

それをこんこんと申し上げたのですが、

或お方から、ご子息の勤めのことで相談を受けました。

その若者は、地方の国立大を卒業された後、大学院の修士課程へ進まれ、

今春めでたく卒業された後、就職されたとの事。

が、若者は転職を望み、父親へ自身の考えを伝えた処、

父親の方は、其れは辛抱が足らん!

と云う経緯であったようです。

石の上にも3年と云う言葉も在りますから、

私も本来であれば、この父親の考えと、そうは変わらないと言いたい処ですが。

私は、この親子を旧くから存じ上げています。

父親は技術職。

若者の専行はバイオで、コツコツと物事に向き合う真面目な青年ですが、

社交的とは言えません。

ー   何処にお勤めに?  ー

???????

若者は、銀座の和菓子屋にて販売員として働いているとの事でした。

私のような商家の出は、今でも百貨店の店頭にサラリと販売員の白衣をまとって

ー   まいど!お世話になります  ー

の台詞はスルッと口から出るに抵抗はありません。

ある時期、歯科医と商家の二足のわらじを履くと云う

奇妙な時期を過ごした経験をしました。

科学と商いの営業、経営と云う全く異なるジャンルの仕事を、

望む望まらずの係わりなく、

運命として受け入れて過ごした経験から、

想わず、これはいかん!と。

父親は、自身の考えに同意すると思っていた私の口から、

来春の博士課程へと転向させると云う考えに興味深く耳を傾けておられました。

辛抱する我慢と、辛抱しない方が良い我慢があると私は思っています。

私は若い頃より、自分が勤め人には全く不向きであると自覚していました。

ですから、大学でも博士を取得した後は飛び出して、

現在も非常勤と云う立場であるから勤まっているのだと思います。

歯医者になっていなかったら、私は料理人になっていたろうと思います。

人生は、ヒョンなことからの成り行きで

流され、転がるかの如く、

進んでいくことも経験しています。

私の歳とも成れば、

職種の転換は最早、手遅れ、やり直すことはほぼ無理でしょう。

が、若者には無限のような長い時間が残されています。

特に、研究者としての【い・ろ・は・】の手ほどきを受けた

この青年の活発な脳髄には、

自然科学を学んだ者の思考回路が確りと刻まれているに違いありません。

人生、何が正解であるのかは判りませんし、

私の物事の正否が判断出来るのは、

歯の仕事だけに限ってと、

私自身が十分に解っています。

其と同じ位に、

考えてには多くのものがあることも解っています。

悔いのない人生などありません。

 

近況

歯は一見、無機的な石ころのように見えるかもしれません。

でも本当は、歯は複雑な構造で成り立っており、

内部は水分に富んだ生命体その物と言えましょう。

また、その歯を支える歯周組織、顎骨も弾力性に富んだ生命体です。

噛み合わせは、それらの複合体ですから、

其れは其れは、複雑な動きをします。

かく云う私でさえも、そんな事とは知らずにこの世界に入りました。

無我夢中の30数年でした。

今でも歯の真の姿を知りません。

決して手に届かない真姿を知らずに生涯、走り、さ迷い、と。

大変な仕事に就いたと、絶句し、

と言いつつ、神仏に感謝して患者さんの診察に日々、追われています。

父親はつらいよ

日曜日の昼下がり、

上の娘と一緒にテレビ観賞。

【男はつらいよ】フーテンの寅さんこと、車寅次郎に娘は大爆笑。

マドンナ役が吉永小百合とあって、私も大いに喜んだのです。

葛飾柴又の地に娘は興味があった模様です。

なんとかと云うお巡りさんの漫画が好きな男の子みたいな娘です。

葛飾柴又の街並みに釘いるように見行っていました。

昭和の時代は、つくずく良かったと懐かしみ、

アレヤコレヤと話しをしてくれる娘も、

もう直ぐに思春期を迎へ、

私など相手にしてくれない日も、

すぐ其処にまで来ているのかと想えば、

アァ!ありがたいと、

父親とはつらいよ!

いくか訪れるその日まで

今日、お越しになられた新患の患者さんは28歳の看護婦さんでした。

遠方よりお越しになられ、で、私の診療所の雰囲気が今までの歯科医院とは随分と違って見えたんでしょうか。

とても緊張されて居られました。

前歯の治療をインプラントにと奨められての迷って悩んで、

私の診療所へと辿り着いたようでした。

レントゲン所見では、ブリッジの最適応症例です。

このような症例にインプラントを奨めるなど言語道断な暴挙です。

ブリッジとインプラントの治療費用からはインプラントの方が遥かに高額ですから、

歯科医がインプラントを奨めたい気持ちが判らないでもありません。

が、私らは医者ですよ。

胸に手を当てて、神仏に恥じない手当てを尽くす。

ブリッジといっても、多くのテクニックを要する難症例です。

東京で熱心な情熱の歯科医である荻窪の小出明医師に連絡して、

患者さんの許可も頂いて、私の手当てのテクニックを見せて差し上げようと、

段取りを組みました。

私らは患者さんと後進のため、歯科医学のためなら手段を選びません。

命は歯科医学に捧げています。

明日、死んでも悔いはありませんが、

出来れば子達を社会へと送り出すまで、生かせて下さい。

であれば、私も天国でヤットゆっくりと人並みの時間と心の安静が獲られるでしょう。

ありがたいことに患者さんの方も、心良く了承頂きました。

歯科医は、患者さんの胸を借りて成長していくんです。

患者さんたち、ありがとう。

仕事の意味

何のために仕事をするのか?って。

ハッキリ申し上げられるのは、私の場合ですが、

食べるためとか趣味を楽しむための資金つくりということは全くありませんね。

お金なんかは後から着いてくる程度にしか考えていませんかでしたので、

お金持ちにはなれませんでしたし、縁がないでしょうね。

私の仕事は、職人仕事ですから、

常に自分との戦いでした。

出来上がった治療の結果が、すぐに見えますので。

自分のイメージと同じように仕上がったかどうかなんかは嫌でも目に入ってくる。

これは辛いですよ。

満足、満足といった治療なんかは、殆どありません。

もっとこうしておけば良かった。

そんなことの繰り返しで、

修行と云うよりも、

歯の世界に魅せられたんでしょうね。

だから、人としてのバランスは取れていないんでしょう。

人の持つ五感の全てを手の指の先に集中させて治療に勤しんで、

開いた時間には、知識の収得とトレーニングに励んで、

そんなこんなの四半世紀でした。

性格的な欠点なんかは沢山あると思っています。

が、それも私の仕事には必要なんだと自分で自分に言い聞かせています。

狼狽

若い人は、死なんか実感していないんでしょうが、

この歳になると、ショッチュウ考えますよ。

子供たちをキチンと社会に送り出すまで元気でいてやらにゃ!なんか毎日ですよ。

でも、当の家族の方は全くを以て、私はズット働いてるんだと勘違いしてるんでしょうね。

挙げ句に、私のここが悪いとかなんとか。

やってられないですよ。

川上先生の死は、本当にショックでした。

私なんかは未々、子供がこれからですから。

ヤバイ!と、狼狽します。

毎日を大切に暮らさんと駄目ですね。

昨日からショックで、いっぱい考えさせられます。

遺された時間

川上先生の死は、私を大いに狼狽させました。

先生は高松市における歯列矯正治療の足場を造られた正にパイオニア的歯科医でした。

また、3人のご息女を先生の母校である東京歯科大学へと送り出し、

父親としての大きな責務も果たされました。

先生が現診療所を新築された時と、私が今の診療所を新築した時期が近かったことから、

互いの診療所の出来映えに、大いに喜んだ時を鮮明に覚えています。

先生の死の報を耳にした際、瞬時に私の口からは、

ー 先生、お疲れさまでした。もう充分です。ユックリと休んで下さい ー

自然に発した言葉です。

恐らく、先生も歯で駆け抜けた人生であったことでしょう。

同業故に、判ることがあります。

私の遺された時間は、既に折り返し地点を遥かに過ぎていることを自覚しています。

神仏のご加護にて、私は今の仕事に就きました。

感謝する心を、更に強く自覚して、

私もその時まで、地面を確りと踏み締めて歩いて行こうと思います。

川上矯正歯科 川上清一先生を偲んで

昨夜、会合の場で、

川上矯正歯科医院 院長 川上清一先生の葬儀を今しがた営まれたことを知りました。

私は何人かの患者さんの歯列矯正治療を、先生にお願い致しました。

誠実でクールなお人柄でした。

が、満員電車の中に割り込んで鞄を座席に放り込んだ高校生軍団の中へ

静かに歩み寄り、その鞄を寡黙に手に取り、

廊下へと放り捨て、

ご自身が座ると云う太い肝もお持ちの武骨な日本の男でも在りました。

高松市における歯列矯正治療の草分けとも云える先生でしたので、

ご生涯を歯に捧げた情熱の歯科医の1人でも在りました。

享年63歳。

余りにも若い先生の死は、矯正治療における大きな損失とも言えましょう。

ここに先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

学問の立ち位置

昨夜、トアル医療関係者の方とすこしばかりの雑談を講じる機会に恵まれました。

そのなかで、

ー 先生はどうして診療以外の研究なんか続けているんですか? ー

診療のレベルを少しづつでも上向きであるようにと心掛けると、

必然的に研究が必要なんです。

私の診療の全ては、歯科保存学的な立場から構成されています。

歯科保存学が、私にとっては学問的な帰る家であると言えましょう。

確りとした学問的地盤に立っていなければ、

足腰の弱い、陳腐な治療しか出来なくなるでしょう。

また、患者さんの喜ぶお顔を見たいと云う純な心がなければ、医者の仕事など出来ません。

私に遺された時間を考えると、

これから診療出来る患者さんの数など、たかがしれたものです。

もっと大勢の方のお役にたてるようにと、

私は研究に入りました。

実際、この研究から生まれた治療を行うのは、

私ではなく、次の若い世代でしょう。

だからこそ、私らが絶対にセネバならんのだと思います。

ボヤキ

別れた家人から、

利己主義の自己中、序でに嘘つきと言われたことを思い出します。

いきなり凄い話しですが。

私の考えですが、

男と女の脳味噌の構造の違いから、思考回路は男女ではまったく別の生き物とも云えると。

人間誰しも自分が可愛いと庇うのは当たり前ですし、

嘘をついたことのない人の方が嘘つきだと思いますよ。

私なんか気短ですから、

大声で怒鳴る、モノを壁や床に投げつけるなんか時にはありますよ。

こういう時に、自分の感情を抑制できない何とかと云う精神の病みたいに言われたこともありましたね。

日本海海戦の際に、戦艦三笠の艦橋に立ち指揮をとった東郷平八郎元帥は、

敵の砲弾の飛び交う中、ジッと立ち尽くし、

戦の後に、元帥の足の処だけ乾いて濡れてはいなかったと云う話を

私は幼い頃に祖母から何度も聞かされて閉口したもんでした。

本当でしょうか?

このような人を私は、観たことがありません。

職人のなかで現在に至っています。

職人って気短ですから。

私の掌にはいっぱい傷が残っています。

オペ中に、師匠から邪魔だ!とばかりに器具で叩かれた思い出の足跡です。

こういう時、アぁ!自分が未熟なんだとは恥じましたが、

師匠を恨むとか怒りの気持ちなど皆目ありませんでした。

上の娘や倅なんかの頭や頬っぺたなんか、ショッチュウひっぱたいていました。

自分の子です。

何よりも代えがたく可愛いし、愛しいですよ。

でも、親が我が子を怒らんでどうするんですか。

不条理な世間の冷たい風に曝されていく我が子が可愛いからひっぱたくんですよ。

最近では、コレが児童虐待っていうんだそうです。

私も男ですから女好きですが、

女が強すぎるってなもんも、コレが諸悪の原因だと思いますよ。

男が自分の道を切り開いて進む時、

女子供の意見など気にする必要ありません。

男は単細胞な生き物です。

ゴチャゴチャ言わず、黙って進めと云う気概が一番だと思います。

こういった言動も、最近では問題視されるのでしょう。

私は男と女はまったく違って良いのだと思いますよ。

どちらが正しいと云うのではなく、

理屈や議論に勝っても、仕方ないことだと思うんですが。

勝ち負けでいうと、口では絶対に男は女には敵いません。

なんでこう云う話しになった訳は判りませんが、

最近なんかが間違っているんじゃないかと思うんですよ。