川上先生の死は、私を大いに狼狽させました。
先生は高松市における歯列矯正治療の足場を造られた正にパイオニア的歯科医でした。
また、3人のご息女を先生の母校である東京歯科大学へと送り出し、
父親としての大きな責務も果たされました。
先生が現診療所を新築された時と、私が今の診療所を新築した時期が近かったことから、
互いの診療所の出来映えに、大いに喜んだ時を鮮明に覚えています。
先生の死の報を耳にした際、瞬時に私の口からは、
ー 先生、お疲れさまでした。もう充分です。ユックリと休んで下さい ー
自然に発した言葉です。
恐らく、先生も歯で駆け抜けた人生であったことでしょう。
同業故に、判ることがあります。
私の遺された時間は、既に折り返し地点を遥かに過ぎていることを自覚しています。
神仏のご加護にて、私は今の仕事に就きました。
感謝する心を、更に強く自覚して、
私もその時まで、地面を確りと踏み締めて歩いて行こうと思います。