私には全くその資格がないと自覚していますし、
それをこんこんと申し上げたのですが、
或お方から、ご子息の勤めのことで相談を受けました。
その若者は、地方の国立大を卒業された後、大学院の修士課程へ進まれ、
今春めでたく卒業された後、就職されたとの事。
が、若者は転職を望み、父親へ自身の考えを伝えた処、
父親の方は、其れは辛抱が足らん!
と云う経緯であったようです。
石の上にも3年と云う言葉も在りますから、
私も本来であれば、この父親の考えと、そうは変わらないと言いたい処ですが。
私は、この親子を旧くから存じ上げています。
父親は技術職。
若者の専行はバイオで、コツコツと物事に向き合う真面目な青年ですが、
社交的とは言えません。
ー 何処にお勤めに? ー
???????
若者は、銀座の和菓子屋にて販売員として働いているとの事でした。
私のような商家の出は、今でも百貨店の店頭にサラリと販売員の白衣をまとって
ー まいど!お世話になります ー
の台詞はスルッと口から出るに抵抗はありません。
ある時期、歯科医と商家の二足のわらじを履くと云う
奇妙な時期を過ごした経験をしました。
科学と商いの営業、経営と云う全く異なるジャンルの仕事を、
望む望まらずの係わりなく、
運命として受け入れて過ごした経験から、
想わず、これはいかん!と。
父親は、自身の考えに同意すると思っていた私の口から、
来春の博士課程へと転向させると云う考えに興味深く耳を傾けておられました。
辛抱する我慢と、辛抱しない方が良い我慢があると私は思っています。
私は若い頃より、自分が勤め人には全く不向きであると自覚していました。
ですから、大学でも博士を取得した後は飛び出して、
現在も非常勤と云う立場であるから勤まっているのだと思います。
歯医者になっていなかったら、私は料理人になっていたろうと思います。
人生は、ヒョンなことからの成り行きで
流され、転がるかの如く、
進んでいくことも経験しています。
私の歳とも成れば、
職種の転換は最早、手遅れ、やり直すことはほぼ無理でしょう。
が、若者には無限のような長い時間が残されています。
特に、研究者としての【い・ろ・は・】の手ほどきを受けた
この青年の活発な脳髄には、
自然科学を学んだ者の思考回路が確りと刻まれているに違いありません。
人生、何が正解であるのかは判りませんし、
私の物事の正否が判断出来るのは、
歯の仕事だけに限ってと、
私自身が十分に解っています。
其と同じ位に、
考えてには多くのものがあることも解っています。
悔いのない人生などありません。