振り返り観れば、この歳を迎えるにあたって色々なことがありました。
人の評価は判りませんが、無我夢中で走ってきたように思います。
ある時に、歯科医として生きるのか?人間として生きるのか?と、問われた機会がありました。
私は信心な方だと思います。
海の、山の、川の、大地の、森の木々の、すべてに神様が宿っていると信じています。
仏様のお力やお導きも信じています。
科学を遥かに越えた力の存在を信じて疑ったことはありません。
人の作った法は勿論ですが、
神々の造ったる律を護る事を重視します。
この私は命の宿ったる人であり、その生きざまを歯科を抱き抱えて過ごしています。
人であることと、歯科医であることの境目はありません。
正々堂々と過ごしてきました。
やむを得ない反省点も多いにあります。
が、反省すべき処は真摯に向き合い決して逃げたことはありません。
この様な私の裏打ちは、歯科のお陰であると思います。
ある目標をたてて、その目標を目指して粘って粘ってが、
歯科医の習性と言えましょう。
ですから、結果が出でし時には、どのような結末になろうとも自然と受け入れることが出来るようになりました。
成り行き任せばとか、勢いでなした結末には、頭を冷して後戻りも当然の行いと思います。
が、粘って粘って粘っての結論は、確たるモノと確信しています。
端から観れば、相当の石頭に見えるかもしれません。
私は臨床家であり、科学を学ぶ者です。
新しい研究に際して、決意新たというのが実感です。
決まれば決して、動かず、動じることはありません。