月別アーカイブ: 2013年10月

幼い頃の夢

 幼い頃に
死ぬほどアイスクリームを
食べたいと思った。

 何時でも
気兼ねなく
アイスクリームを買える様になったら
そんなもの
食べたくなくなった。

 娘は欲しいものが
一万個も
あるそうな!

 其れを聴いた倅が
欲張りやなと囁いた。

 幼子の欲張り様とは
微笑ましいものである。P1000244

歯周病の治療

Kumano Be03Kumano Af01 歯周病に罹患すると
歯を失うのは勿論の事ながら
もっと大切なものを
失う羽目となる。

 歯に代表される口元は
人の情念を
著すものである。

 口元のかもし出す
人たる
豊かな表情を失うことにより
人たる自信と尊厳を
失うことになる。

 写真の女性は
私の診療所を訪れた際には、
50歳代前半であったが
外見上、うける印象は
既に老婆であった。

 二枚目の写真は
同じ女性の
10年後のものである。

 歯周病の治療の成果である。
此の女性患者さんの
外界との関わりが
一転したのは
云うまでもない。

 口元は
其ほどまでに
人の印象を一変させる。

末の娘

IMG_20120623_105835 気忙しい私は
何処かへ行くともなれば
一週前ほどから
荷造りを始める。

 それでも
何か忘れてないかしらと
出発間際まで
鞄の蓋を明け閉めし
荷作業を繰り返す。

 この様な私の行いを
遍路の荷探しと云うらしい。

 この遺伝子は
見事、末の娘に引き継がれている。

 物事への執着、コダワリの類いも
また然りである。

 昔、テレビのCMで
違いの判る男と云うフレーズがあった。

 違いの判らぬ家人にとって
此の末の娘は
得体のしれないゴテ坊にしか
思えぬ様だ。

 私の留守になる新潟行きは
自然と
此のゴテ坊は
私の供となる次第である。

 私にとっては
違いの判る者同志
其は其れで
楽しんでいる。

来週は新潟へ

 診療所の自室で
来週、新潟へ持って行くものの準備をしていたら
末の娘がニヤリと笑った。

 暫くすると
此の末の娘は姿を消した。

 今朝、私の机の脇には
小さなリュックサックが在った。

 中には
整然とゲーム、煎餅などが
綺麗に仕舞ってあった。

 整理出来ないことが大いなる特徴である
家人の血ではなく、
整理整頓の模範たる私の
血を引き継いだのはIMG_20120624_083900
此の末の娘だけである。

 まあいいか!
新潟への車の助手席を
マリリンと此の末の娘が
肩を抱き合って
鎮座している事であろう。

弥彦山

IMG_20120624_103843 讃岐に暮らす者は
屋島の姿に
安堵の気持ちを
覚えるに違いない。

 越後の人にとっての
屋島は、
さしずめ、弥彦と云った処であろう。

 越後の広大な平野に
足を踏み入れてみて
驚くのは
弥彦の山は
何処に居ても
視界の中に。

 弥彦の姿は
あたかも
子供を見守る
親の姿と云えよう。

越後の海

サンポートからの瀬戸の凪は
誠に心穏やかな一時を
与えてくれる。
 さしずめ、疲れた心を癒してくれる
安息場であるとも云えよう。
IMG_20120625_081143
 越後の海は大陸へと続く。
遥か向こうの大陸から
何かがやってくると期待させる
希望の海である。

 私は時に
大陸からの風を
全身で受ける為に
海辺へと
向かって行く。

 過去も、今も、
普遍を吹き飛ばす為に
身体を風に曝す。

 大きな空と大きな海から
いっぱいのエネルギーを蓄えて
身体の向きを
人里へと変えれば
背中を
広い厚い風が
押し、押し
もう一度頑張れと
もうひと押し。

歯を噛み締めてから

 人は長い人生のなかで
様々な逆境に出会う。

 自己を鼓舞させ
道なき道を
頭を垂れて
前へ前へと
足を一歩づつIMG_20120623_105345
進めていかねば
ならないのが
人生である。

 その様な時に私は
かの越後の覇王.謙信公の
産まれ育った山を
思いだし、
奥歯を噛み締めて
足を進めて
歩くのである。

はじめての写真

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 来週半ばから、新潟へ出向く。
萬代橋から信濃川を眺めながら
マリリンと散歩でもと
今から楽しみにしている。

 ブログに初めて写真を掲載した。

 私の一番贔屓にしているアングルでの
萬代橋である。