カテゴリー別アーカイブ: ただの日記

お盆の夜は更ける

馳走になり、

大いに満腹。

極楽心地にてお盆を堪能しています。

部屋にて、

昨日、安土にて購入した書籍に眼を通して

これまた大いに満足の心地です。

縁が在って、

カトリックの勉強を始めた私には、

この国古来から信仰される神々と仏さま、

そして、

織田信長の時代に西洋から伝来したキリスト教の混合に

興味を抱いて、

書籍に眼を通し、

また、

この地区は山上信仰の中心であったことから、

その辺りに関心を持ち、

散策しました。

伝道師たちは、

結局はマリア観音と謳う昔の人に

落胆しつつ、

信仰の布教に一層励んだのでしょう。

そんなこと、

あれこれ想像を巡らせて、

お盆の夜は更けるのでありました。

思いは募る

沢には音が在ることを

すっかり忘れていました。

で、

何故か牧野富太郎博士を思い出したのです。

幼い頃に手にした博士の伝記を

何度も何度も

読み返したものでした。

市井のしがない開業歯科医でしかない私が、

日々の診療から、

歯科医学の現状と自分の毎日に

大いに疑問を抱き、

決して肉眼では観ることができない

微生物に興味を抱くことになり、

こうして遠方にまで、

アチコチ足を運ぶようになりました。

虫歯菌に食され代謝の結末となった

朽ちた象牙質を

逆なる発想にて微生物の代謝にて解決しようと

思い立ち、

今では母校の多くの方の助力にて

一歩一歩、

私の謎解きは進んでいます。

歯への興味は尽きません。

縁側に腰かけ、

思いは募る一方です。

昭和の時代

沢を目指して、

飛騨の山奥へと。

大日岳を望む高原を前に仰ぎながら、

朝食に豚汁を。

人が暮らしを営む街であるのに、

この水の清々しさは

いったいどういうことでしょう!

で、

幼い頃を彷彿とさせる【店構え】

 

家のお仏壇のお土産にと、

ついつい木戸をくぐったのです。

菓子を選ぶのが、

これほど楽しいとは。

n

そんなこんなしながら、

時間は過ぎて、

贔屓筋のお宅にご厄介になるために

車を先に進めます。

囲炉裏と冷たい麦茶、

そして冷えた梅の甘露煮にてのお出迎え。

今夜の私の宿は、

離れの茶室の隣に設えた部屋であるそうな。

古里のもてなしに、

あぁ昭和に浸った、

ただひたすら、

昭和に浸った、

幼い頃に囲まれた人々の顔を思い出し、

ひたすら浸ったのです。

 

犬たちとの暮らし

中学1年の娘の夏休みの課題と、

私の研究テーマと歴史好きが

たまたま重なっていました。

私の後をノート片手にメモを録る娘です。

本当に良い話し相手になってくれました。

昨夜は不覚にも

娘より先に夢の中にいた私です。

早朝、

犬の鼻を鳴らしてのトイレの催促に

コレは大変!

跳ね起きて、

車外へと、

犬たちにいざなれて。

蜩もまだ鳴いていない時刻。

森に包まれた暮らしに憧れ、

静かに石に腰かけ、

犬たちの様子を眺めて、

街喧騒から逃げ出したことに

良い選択であったと。

娘ですか?

自然探索のきっかけ造り

車の中の、

採取した微生物を保管するための冷蔵庫の中に

高松市を出立する際に

インターチェンジ近くのコンビニにて購入した

冷酒の小瓶が紛れこんでいます。

一般の方には、

到底理解するのは無理でしょう。

不潔じゃないかと。

ご心配には及びません。

呑んだら乗るな!

乗るなら呑むな!

無論、当然、常識でしょう!

運転する気力、体力など

在る筈もなく。

後ろで犬の高いびきが聞こえています。

明日はもっと奥地まで

足を伸ばす積もりです。

車内は、このような状況です。

ラッシーは中学1年の娘に忠実です。

今年に入ってから寮生活の始まったご主人様の

会えるのは週末だけ。

淋しいのでしょうね!

ご覧の通りです。

マリリンですか?

そりゃそうだ!

娘に隠し撮りされました。

私のお馬鹿な顔を笑ってください。

平蔵は利発でクールな男性です。

煩い処を避けて、

床の上で、

どんな夢を見ているのでしょう?

明日は早い時刻の出立です。

と言っても、

娘たちと犬たちは川遊び。

私は無論、

微生物採集です。

見っけモノ

湖の畔の田園の中に在る街だからでしょうか?

ムッと息圧迫するほどの熱気の中の高松市とは

全く異なり、

つかめる程に乱舞する蜻蛉の中を

私は山頂目指して歩いていました。

この前に此処を訪れてから10年近くは経ったでしょう。

近いようで遠いのが、

ここ安土です。

よくよく考えれば、

頻繁に往復する新潟への道すがらの街ですが、

行程を急ぐ私には、

立ち寄る心の余裕がなかったのだと。

で、

大手門遺跡付近に入場料を

所有する寺が徴収するための関所が設けられていました。

この城の主は、

嘗て関所を廃したことで有名であったのにな?

そんな皮肉を思いながら、

序でに、

横の売店に寄り、

クダラナイ土産物の中から

興味深い書籍を見つけたのです。

今夜はお盆休みのごった返すシャバの習いにて、

思いつきの遠出であった私の泊まる宿など

在る筈はなし。

最初から車で泊まる覚悟にて、

犬と出かけた私です。

スーパー銭湯で汗を流したあと、

じっくりと頁を捲ろうと思っています。

琵琶湖の畔にて

歯科医師としての使命を

虫歯の制御についての研究だと気づき、

この命題に対して

本格的に取り組んでから

数年が経過しました。

で、

河川や池、沼、湖へと

赴く機会がしばしば。

水源の汚染問題に対して、

地方自治体も本格的に取り組んだ感があります。

最近では魚や昆虫などの生物も、

昔ほどとは言えませんが、

還ってきたようです。

その汚泥の浄化に役立っているのが

微生物の力です。

私はこの点を最重要視しています。

水源の汚泥と、

虫歯に罹患した象牙質が似ている処に着目したのです。

ですから、

暇さへ在れば、

そういった場所で私の姿が頻繁に観られると思います。

濁った水源の堤が私の研究のネタもと、

宝庫と言って良いでしょう。

採取したサンプルは直ちに冷蔵保管します。

また、

持参の顕微鏡にて概要を観て、

資料の区分けに勤しんでいます。

こういう表現は申し訳ないのですが、

綺麗とは言い難い広い水源に私は惹かれているのです。

琵琶湖です。

余談ですが、

私が産まれて初めての水浴が琵琶湖であったそうな。

そんなことを思い出しながら、

まとまった休日の有効利用だと思い、

琵琶湖まで足を伸ばしたのです。

その序でに、

私にとってのパワースポットである

【安土城跡】へと。

初めて此処を訪れたのは、

高校1年の夏休みでした。

人生初の独り旅です。

リュックを背負い、

在来線に揺られて、

4泊ていどの小旅行でしたが、

私にとっては大きな冒険でしたから

今に思うと可愛らしいことと。

その際に、

小高い山の頂きに

悠然とそびえる天守閣をイメージしつつ

田んぼの畦道を歩いたものの、

来て観れば、

荒れ果てた姿に唖然としたのを覚えています。

その後、

秘かに歯科医師を心ざしたる際にも、

また、

若き歯学を学びし学徒たる私が、

進む方向に悩んだ際には、

天守台の石垣に立ち、

向こうの琵琶湖を望んで、

思案すること一度や二度ではありません。

この城の主人は、

人間50年と唱ったようですが、

少年から青年期を此処に立った私も、

既に50の半ばとなりました。

目の前に拡がる光景は変わりました。

光景を望む私も老いました。

が、

歯科医学への情熱は未だに炎々と燃えています。

再び私がこの地に立ったのです。

私に新たなるエネルギーが宿ったことは言うまでもありません。

 

お盆休みのスタートは

診療所も例外に漏れず、

今日からお盆休みです。

と言って、

起床時間も体内時計がセイコーばりの超正確さ故に

いつもと全く変化はなし。

そうか今日は休診であったと、

仕事への準備もする必要がないことに気づき、

そうだお盆だ!

ご先祖さまが帰ったくるのだと、

こういう潜在的意識と所作は

長年の習慣と、

何千年にも渡る日本人が古代から刷り込まれDNAの

為せる技でしょうか?

カトリックを信仰し初めた私は

教会から叱られるかもしれません。

が、

お仏壇とお墓の祭祀を護る長男の役目を

大学生の息子に委ねるには

まだまだ早すぎる。

到底できません。

と云う訳で、

いつものこの季節の習慣を

自己都合にて変える訳にはいかないのです。

また、

ご先祖の霊魂を完璧に信じる私は

あの世から、

暑い最中に旅して下る

ご先祖さまに肩身の狭い想いをさせる訳には参りません。

で、

早朝からお仏壇の 中から、

お位牌やら中央に鎮座まします阿弥陀さま、

仏具をすべて取り出して、

それぞれを綺麗に拭き清め、

スッキリしたお仏壇も

埃をはたき、

濡れたタオルにてピカピカに仕上げ、

お仏壇ひとつ、ひとつを手にとっては、

生前の名前と戒名を、

声に出して呼び、

綺麗度をチェックし、

線香の燻しによる汚れを見つけては拭き、

で、

お仏壇の所定の位置に戻す。

これを、

繰り返し、繰り返し。

早朝から営業するスーパーへと車を出して、

私の好きな白百合とお供えを求め、

お仏壇が沈香に香しく包まれた時には

既に10時を回っていました。

これで帰ってくる処の準備はできたぞ!と、

帽子にサングラスの出で立ちで、

再び家の戸を開けて、

一歩足を外に出した瞬間に、

圧倒的熱気の凄まじさに

私は怖じ気ついたのです。

まるでサウナじゃないか!

三枝家の墓地と並んで母方の先祖の墓地を移したことは

歳を経り初めた私にとっては

誠に都合良い結果であったと、

熱帯・亜熱帯の国化している温暖化現象の波に

身体に苦なく、

頻繁に掃除に来れるなと、

墓地の移葬は今年の私にとっては大変な行事でしたが、

もしかしたらご先祖さまが、

私を楽にしてやろうとの思い遣りであったのかもしれません。

白檀の香りが陽炎のよう墓石群を包み、

ご先祖さまと一体化したような気持ちと、

それと、

心配症の権化であった母方の祖母の笑顔が浮かび、

父方の祖母のスマした表情が瞼に写ったのです。

お地蔵さまのお顔も

久しぶりに観ることが出来ました。

お盆がくる度に、

無縁仏さまのお地蔵さんに、

帰って来る際に肩身の狭い想いをさせてはならじと、

新しい赤い前掛けを何百枚と一年かかりで準備して、

今日の日に交換するのが私の35年来の恒例行事だったのですが、

今年からは

春か秋のお彼岸に代えさせて頂こうと、

お地蔵さまにお伝えしたのです。

この炎天下、

1日がかりの石に囲まれの作業が

私の体力では無理になったからです。

コレは仏さまは判って下さると思います。

なんせ今日だけで、

私は消耗したからです。

帰宅したのは、

もう夕方の5時半を回っていました。

シャワーを浴びて、

チョッとベッドに横になって、

ふと気づくと22時。

いつもなら深い眠りの最中の頃合いですのに。

相当疲れたんでしょう。

台所で牛乳をコップに2杯イッキ飲み。

で、

足元マッサージ機に両の足を突っ込み包まれて、

そんなこんなでブログを綴っています。

明日も早朝から出かけます。

できれば、またご報告したいと思っています。

皆さんも、

どうぞ交通安全と暑け対策、海難水難事故などには

くれぐれもご注意ください。

では。

仕事

私の帽子姿を観た患者さんから

大いに褒められて、

相手は社交辞令なのでしょうが、

私は大いに自信を取り戻したのです。

通りのショッピング街のガラスに映る姿を

周囲に気づかれないように、

チラチラと眺めて、

そんな単純な処から、

いつまで経っても大人になれていないと

批判を受けるのです。

歯科医師と云う仕事、

子ども心を失っては到底できないのだ!

私は自己弁護しています。

どうして?

どうして?

考へ、

工夫し続けるのが、

歯科医師の本来の姿だと思います。

変わり者でないと、

歯科医師の仕事を全うできないと

そう今では開き直りました。

私の人生は歯科そのものでした。

これからも、そうでしょうか。

少年期に読んだ

トム・ソーヤやロビンソンクルーソーの物語に

心を高揚させ、

夢いっぱいに空想に耽った心模様が、

大人の私を歯科がドップリと魅了してくれたのです。

食べる手段が仕事だとは思いません。

といって、

ワーカホリックの狂気の沙汰の狭い了見の人で居たくはありません。

ただ、

道のない処を

自分で道を造って

一歩、一歩と、

大地を踏み込んで、

それが私の仕事です。

当時のままの

先のブログで触れた祖母の命日が今日であったので、

昨日の叔母へのお供えに続いて、

今日も祖母が生前好物であったモノをと考えています。

が、

祖母の好物が思い出せません。

祖父の口を借りれば、

お前は【猫また】じゃ!

と、しばしば耳にしたものでした。

【猫また】?

コレは祖父の弁です。

猫でもまたいで、

食べないほどに不味い食べ物でも、

お前は何でも食べる、

そういう意味なのだそうな。

ですから、

好物ってモノを思い浮かばないのです。

思いだすのは、

先ほどのようなイタズラの的が祖母であったこと。

懐が淋しくなった際には、

おだてれば、

気前よく財布を全開にする単純な私にとってのATMであったこと。

と、

今の人は皆目わからないでしょうが、

【杉野!杉野!杉野はいずこ?】

で有名な広瀬中隊長を称える軍歌などの歌詞と節回しが

自然と口から出るのも、

乃木大将や東郷元帥の

聞くも心が高揚する明治の大戦の模様を

あたかも実際の眼で

観たかのように語る祖母の影響であることは間違いありません。

幼児期の体験は、

自覚なくとも、

身体に染み込んでいる証だと思います。

それが実感できますので、

私は子育てにおいて、

今風には抵抗が在るのかもしれません。

お位牌を前に、

生前の名とは異なる戒名を観ては、

当時と今との境目が判らなくなるのです。

時間の流れを感じないのです。

今でも私は当時のままの悪戯坊主の積もりですし、

祖母も今は無き家の玄関戸を開けると、

台所から顔を出して声をかけられる気がしてなりません。

こういう心情になるのも、

お盆が近く、

墓参りとお仏壇のすす払いを

待ってくれているからでしょうか?