カテゴリー別アーカイブ: ただの日記

人格決定

人の性格や行動の基本は

幼児期に決定付けされると

言われているようですが、

私はそうは思いません。

30歳前に縁を頂いた

師匠である内藤正裕先生の背中を観て

今日55歳に至りました。

ある意味、

私は師匠の模倣で生きてきました。

コピーで構わないと、

私は覚悟したのです。

しかし、

師匠のコピーを演じることは

凄まじいエネルギーを要するのです。

多くの人の出会いましたが、

未だに師匠を凌駕する人を

私は知りません。

迷った時には基本にたちかえれ。

ただし、

基本と云うのは、

真実であって、

この基本軸を見つけることには、

大変な労苦を伴います。

昨夜、

電話口で師匠がポツリと

語ったのです。

三枝よ、歯科医学ってのは、

科学ではないのかもしれんな。

私は答えました。

手先仕事です。

結局は、

腕の良し悪しで、

決まってくるんじゃないですか?

それと、

仕事への心の持ちよう。

それは人格かもしれません。

品があるか、

品格そのものを知らずに歯科医師免許を持ち、

単に器具を振り回している輩か。

そういうのは問題外として、

先生、

私らは見えないものを視る眼を持ったことが、

もしかしたら、

不幸なのかもしれませんね。

そんなことを申し上げましたが、

よく考えれば、

過去に師匠から聞かされた台詞ばかりです。

何十年か遅れながら、

師匠の考えが身に付いてきたんだなと。

それと共に、

今、

師匠は進化の過程に入ったのだと

察したのです。

74歳にして、

まだ【考える歯科治療】を実践されておられることに

誠に敬意を表したのです。

心がけ、所作、全ての規範を

私は30歳前から

今日に至るまでに

大きく変わったのですから、

幼児期云々ではなく、

青春期、成人してからも、

どのような人物と関わり合いを持つのかで、

人の一生の質は大きく変わると思います。

 

聖ヨゼフの日

聖書を読むなどと云う暮らしからは

全く無縁であった私の日常が、

今では、

少しでも間の空いた時、

電車や飛行機の中で、

床に就いてスタンドの灯火を消すまで、

聖書の頁の一文字一文字を

眼で追っているのです。

そんなにも、

一転したのも、

歩いて来た道を振り返り、

後悔ばかりだからです。

せめて、

残りの時間を

穏やかもので締めくくりたいと

自然発生的な心の泡が湧いてきたからだと

思っています。

今日は聖ヨゼフの日だそうな。

私のカトリックネームが、

ヨゼフと云うことになるので、

今夜は、

聖書にはほとんど記載のない

イエスキリストのこの世での父について

想いを馳せようと。

私は歯科医師です。

人の身体の、

ほんの一部を診ることを

仕事として生きてきました。

でも、

歯科医学の奥の深さに

魅了され、

また、

翻弄され。

今しがた、

再び、

内藤先生から電話を頂いたのです。

今日のヨゼフの日に合わせて、

私に聖書を送って下さった

粋なはからいと、

長年の先生からの温情に、

思わず私が男泣きしたことを

案じたからだと思います。

先生は仰いました。

聖書はボロボロになるまで

読むのも良いが、

チョッとしたときに、

本を手に取って、

その重みを感じるのが良い。

机のうえの革表紙に

THE BIBLE の金文字が視界に入るだけでも良い。

医師には、

心の拠り所ってモンが、

絶対にいるんだよ。

私が日本一の師の、

一番の面倒かかる愚弟であることを

どうかお笑いください。

 

師匠からのメッセージ

東京麻布開業の内藤正裕先生は

歯科医学は勿論のことながら、

人生全般の唯一無二の師匠です。

私にとっての先生は、

全知全能の父であり、

慈悲深き父でもあります。

今日の私が在るのは、

間違いなく先生のお導きの賜物です。

今朝、

小包が届きました。

先生からです。

????

蓋の箱を開いて、

中身が目に入り、

急いで取りだし、

私は男泣きしたのです。

即に先生にお礼の電話を入れました。

先生には感ずかれてしまったかもしれません。

聖書は私は当然、

持っています。

が、

先生の送って下さった聖書は、

私にはハードルの高いモノだと

断念したモノだったのです。

今所有している聖書を

繰り返し、

繰り返し、

この1年ほど読み込んできました。

知的欲求と信仰心の高まりでしょうか?

そんなタイミングで、

ストライクゾーンのど真ん中の聖書が、

私の掌の上に。

内藤先生の気配りと観察力、

改めて敬服したのです。

 

浪花の人情

大阪の街で、

珍しい人に、

50年降りに再会したのです。

心斎橋の大丸の前のアーケードで、

突然に、

声をかけられたのです。

尚登ちゃん?

55の親父に尚登ちゃんはどうかと思います。

が、

確かに、

尚登ちゃんの主は、

この私です。

怪訝な表情だったのでしょうね、私の顔が。

が、

思い出したのです。

淀屋橋のうどん屋のお姉ちゃんではないか?

変わり果て、

すみません。

70をとっくに過ぎて居られるようでしたので。

何故、判ったンですか?

お尋ねしたら、

偶然に前に立つ息子が、

私に話しかける声と顔。

それで一気に

時が半世紀も前に遡ったのだそうな。

近くのお団子屋にて、

息子には聞かれたくはない話しで、

散々に笑われ、

また、

息子の心のなかにあった、

何処の家にでもある筈の疑いは

お姉ちゃんのお蔭でもって、

晴れて私は無実の身となったのです。

で、

大丸百貨店へと入り、

あれやこれやと、

講釈を受ける長い時間となりました。

お店は未だご健在のこと。

携帯電話が嫌いで持ちませんのです。

店の電話をお伝えしますと、

手を振って別れたあとに、

お姉ちゃん、

また駆け走り戻り、

晋太郎ちゃん、

うちは何時でもタダやさかい。

あぁ、浪花の人情は未だ健在であったことに

感動したのです。

夙川教会のミサにて

今、

ミサの儀式が終わった処です。

夙川教会は、

日本で2番目に古い教会だそうな。

会堂の中、

正面に、

大きな聖母マリアさまの御像が。

お優しいお顔で、

私たちを見守って下さっておられます。

生きると云う当たり前の時間の中で、

心の汚泥が溜まるのを感じる頃、

私はカトリック信仰の縁を頂きました。

生きることはシンドイですよ。

週ごとのミサにて、

私の心の汚泥は消しさるのです。

 

父息子

21の息子は、

何でも酒を断ったとのこと。

あれだけ呑めば、

誰も留めることはないだろう。

飯で腹いっぱいになったら、

帰りたくなった。

近くの息子の住まいへと向かい、

犬のアール君を挟んでの川の字になって、

聖書の話しから、

歴史から職業感へと

話しは巡り、

眠ったのは午前の4時であった。

10時から夙川教会でのミサを受けようと、

今は大急ぎの最中である。

魚慶と云う小料理屋にて

阪急苦楽園口前の広場を

上島珈琲本店に向かっての通りに

至る直前に、

春の訪れにブレーキをかけるような木枯らし。

夜も8時は回っていたので、

小腹もすき、

そんな瞬間に、

視界に入った店が

【勘働き】の対象となったと云う塩梅。

開店して2年と云うこと。

この付近の店は、

ある面において恐ろしいもの。

関西1の高級住宅地を付近に控えていることから、

目と味に肥えた人が暮らす処だから。

焼き鳥屋も多いが、

これらは通勤のサラリーマンの憩いの場であろう。

心が疲れきって、

さ迷うがごとくに訪れた私が、

サラリーマンの騒ぐ居酒屋は、

この時は敬遠させて頂き、

長年の遊び人の自分の勘に託したのである。

何でもご亭主の誕生日であったそうな。

私より年少の53歳。

愛想の良い女将は大阪堺市の床屋の娘。

店の名前の由来を聞けば、

父の理髪店を誰も継がなかった申し訳なさから、

父の店を屋号にと。

今時、優しい女性である。

料理の味に触れないのは、

確か鮮度と、

確かな手当て、

文句のつけようがないのは、

私の見立てには、

間違いがないからである。

運転手役の息子は烏龍茶を2杯。

私は久しぶりに、

新潟の酒を相当飲んだ。

若者を連れて、

こういう店に行くには覚悟がいるが、

会計はなんと1万円で野口英世と小銭のお釣が帰るのに

思わず、

女将の顔を覗き込んでしまった。

こういう店には、

無理してでも、

通わねばならない。

商いは3年目からが勝負である。

皆で育てて、

親父の腕も更に磨きがかかると云うもの。

最近の関西はだらしない。

格好だけの東京との勝負を棄てている感がある。

東京なんぞ、

所詮は田舎者の集団である。

味でも、

価格でも、

気遣いにおいても、

久しぶりに良い店であった。

名前は【魚慶】と云う。

グルメ雑誌や、

テレビのグルメレポーターの味音痴と、情報収集の怠慢で、

この店は光があたっていない様子。

私は大いに満足至極であった。

 

医師の仕事には

海外の歯科医師なり医師と会話すると、

話しがノレば、

専門領域から大きく外れ、

美術、

歴史、

そして宗教の話しに

必ず至ります。

カトリック信仰の私には、

日本の神々への信仰との違いや、

神々と仏さまとの違いなどを

よく聞かれます。

コチラも慣れたもので、

海外の医療人の納得する【落とし処】は

前もって勉強して頭に入っています。

この間、

シカゴの学会にて、

懐かしい歯科医師と再会したのです。

私より5つほど年長の日本人の歯科医師を

伴っておられました。

腰かけての雑談の際に、

ホラ、来たぞ!

シカゴ美術館へは行ったのか?

キリスト教の絵画、

ギリシャの神々の像はどうだった?

博物館へは行ったのか?

エジプト人の神々をどう考える?

そこで、

この同胞の歯科医師は地雷を

見事に踏んだのです。

私は科学者ですから、無神論者です。

この台詞を聞きながら、

高名な歯科医師は、

西洋人特有の明確な不愉快な表情を表したのです。

科学の進歩と、

心の問題は完全に別な次元のものと区別すべきなのです。

医師は病だけ診れば良い訳ではありません。

良い医師であるためには、人の心を診なければなりません。

人の心と信仰は表裏一体の大切な問題です。

信仰のない医師など、

海外には皆無でしょう。

で、

旧知の歯科医師は楽しそうに

私に尋ねました。

合衆国には珍しく、

彼もカトリックだったからです。

私の肩を抱いて、

主の祈りを日本語で教えてくれぃ!

序でに、

ローマ字表記で、

このノートに書いて欲しいと。

天にましますわれらの父よ、

願わくはみ名の尊まれんことを。

み国の来たらんことを。

み旨の天に行われるごとく

地にも行われんことを。

われらの日用の糧を今日われらに与え給え。

われらが人をゆるすごとく、

われらの罪を許し給え。

われらを試みに引き給わざれ、

われらを悪より救い給え。

両者は学会だというのに、

大勢のなかで、

両者の母国語で、

声に出してお祈りしたのです。

で、

大きく頷いたのでした。

チェンジ

今日、

仕事が終わったら、

県外に出ようと思っています。

仕事も沢山積まっていますが、

心がもたなくなりました。

私は嫌なことがあっても、

仕事には全く影響はありません。

歯と向き合っている際には、

無心の境地に至っているからです。

ですから、

治療が多ければ多いほど、

私は嫌なことを忘れています。

でも、

治療から離れると、

不快なことで、

胸が潰されそうになるのです。

最近では、

嫌なことがあると、

神さまとの会話で、

気をそらす手当てを覚えたのですが、

余りにも大きな不快感は

そう簡単には消えません。

出掛けたことで、

不快の原因が消え去る訳ではありません。

でも、

状況を変えることを

次々と

実践する気持ちになりました。

今までと同じであれば、

何も変わらないことは、

月日の経過と結果が一致しないことで

学んだからです。

信仰と仕事の実績が

私の身体を支えてくれています。

私はヤる時にはトコトン、ヤる男です。

次々と、

ヤるべきことを進めようと決めました。

こういう時の周囲は大変でしょうね?

私はバランス人間ではありませんから、

周囲の迷惑は考えません。

別段、

迷惑かけるような悪いことを

する訳ではありませんし。

スピード感ある動きをするだけです。

ただ、

スピードが出ると、

風が吹きます。

風が吹くと、

風車が回り出すのです。

そうやって、

状況を変えてゆくんだと、

経験上、

私は知っているのです。

短い人生です。

走れ!

駆けろ!

雲を離散させろ!

それが私の生き方です。

神さまとの会話

こう言われたから、こうシテヤル。

こうされたから、こうシテヤル。

気にくわないから、無視してやる。

そういう態度が、

普通にできる人がいます。

そのような、

心を傷つけられた時に、

爆発する時もあります。

が、

後で思い返すようになりました。

自分で腕の肉をつねってみるのです。

痛みから、

私は少なくとも、

こういう事は止めようと、

思うようになりました。

が、

相手はそのようなことはありません。

相変わらず、

心傷つく行動は続きます。

そのよう時には、

神父さんから教わった方法を採り入れました。

神さまとの会話です。

何故、悪いように受けとるんでしょうか?

何故、物事の一面だけで判断するんでしょうか?

何故、最後の一線を越えてまで言うンですか?

神さまは万物の創造主です。

何でもお見通しな筈だと。

神父さんに聞きました。

返事が聞こえません。

神父さんは仰いました。

あなたには聞こえなくても、

神さまにはしっかりと聞こえていますから。

信じて、

神さまとの会話を続けなさい。

会話をする際に、

悲しくて、

辛くて、

何と不条理なと、

涙流すことも

しばしばあります。

55歳の男の私がですよ。

私は決して人を苛めない。

悪口は言わない。

他人を無視しない。

意識的な嫌なことはしない。

そんなことを

今になって学んでいます。

距離を置いて、

身を守り、

ひたすら祈るようになりました。