カテゴリー別アーカイブ: ただの日記

第六感

昨日は、

今年に入って初めての完全オフの日でした。

寝ました・寝ました!

食事以外は、

ズッとベットで横になって、

映画を流しつつ・ウトウトと。

携帯電話も車に置いて、

外界から完全にシャットアウト。

で、

夜の9時過ぎに、

電話を貰っていた都内で勤務の後輩歯科医師に

折り返しの電話を入れたのです。

若い歯科医師の悩みを・聴いていました。

真面目に歯科医学に取り組む・この後輩歯科医師は、

私の後輩に当たります。

今年になって・知り合いました。

押し潰されるほどのプレッシャーから、

成長することを・経験上・学びました。

私も、日々・自分との戦いの連続であると。

先生でも?

ビックリして・いました。

プレッシャーが私のエネルギー源であることを伝えました。

プレッシャーが私の【五感】を磨くのだと。

【五感】から【第六感】が生まれることを・伝えました。

【五感】は、【情熱】から生まれるのだと・伝えました。

【自我】を棄てて・初めて・【医療人】になれることを・伝えました。

良い歯科医師に育ってくれればと、

私も・そんな歳になったのですね。

歯科医療は愛の仕事である

昨日の夕刻から・ある会合へ。

で、

私は・ますます、

浮いている自分を実感させられたのです。

私は【歯のプロフェッショナル】であることに、

徹してきました。

また、

【歯のプロフェッショナル】になろうと、

若い時分から、

自己修錬に努めてきました。

また、

どのようにしたら、

患者さんに安心感を与えられるのかを、

ズッと、

考えながら、

本来の自分を制御し、

演じることに努めてきました。

その結果、

今の仕事の成果を得るに至ったのです。

なにかあれば、

私だから・できるんだと、

何事もないように・言われます。

そのような時に、

内心で、

私は憤慨するのです。

【歯科治療は愛の仕事である】

内村鑑三の言葉です。

日本の聖書の普及に尽力した氏は、

札幌農学校のクラーク博士の弟子です。

氏が

長野県で、歯科疾患にて床に倒れた際に、

地元の歯科関係者の尽力によって、

回復した後に、

残した言葉です。

当時は、

抗生物質が普及していなかったことと、

虫歯による細菌感染からの・顎骨髄炎にて命を落とす人も多かったのです。

【歯科治療は愛の仕事である】

この言葉がズッと私の・ど真ん中に在りました。

歯科医師としての結果を出すことの・引き換えに、

私は世間一般から・外れてゆく自分を感じています。

私の患者さんが仰います。

だからこそ、

私たちは・此処に来るんですよと。

 

転換点

私の1番弟子である、

東京都吉祥寺開業の小出明歯科医師からの

電話が鳴り響きます。

早朝です。

???

先生、台風、天候は?

飛行機・飛びそうですか?

あぁ・そうだった。

今日はA子さんの学校見学の日だったな。

A子さんは現在、

高松市の歯科医院にて歯科助手をしている

20を少しばかり過ぎた女性です。

ある時、

私の診療所を訪ねて来られました。

先生ところで・勤めたい。

ゆっくりと面談した結果、

私は即座に申し上げました。

あなたは・まだまだ若い。

将来をジックリと・お考えなさい。

歯科助手で・一生涯を?

歯科助手も大切な仕事ですが、

あなたは・もっと考えて欲しい。

歯科衛生士におなりなさい。

学校へ進学なさい。

その上で、

私は受け入れましょう。

その後のA子さん。

昼間の歯科医院の勤務の傍ら、

夜は居酒屋でアルバイト。

歯科衛生士学校へ進学する資金調達のためだと聞き、

私の視る眼は正しかったと。

そのくらいの【覚悟】がなければ、

医療人には・なれないと、

私は考えています。

その話しを、

小出明歯科医師にした処、

先生、私がお引き受けします!

東京には夜間の歯科衛生士学校があります。

昼はウチで勤務して頂いたなら、

修学期間中の生活費は大丈夫でしょう。

住居も私が面倒みます。

 

今どき・珍しい良い話しでしょう?

歯科衛生士は歯科医療には・欠かせない・存在です。

しかしながら、

私の眼に適う歯科衛生士は数少ないのです。

専門技術の向上に努める歯科衛生士は数多くいます。

スキルを磨く努力に日々を過ごす歯科衛生士も、

大勢・視てきました。

しかしながら、

医療人としての【職責】について、

自問自答する歯科衛生士は数少ないと、

看護師と歯科衛生士の違いについて、

考えさせられる事・たびたびでした。

そんなこと言うと、

大勢の歯科衛生士さんから反発を受けるかも・しれません。

看護師は厳しい環境のなか・奉仕の精神で、

スキルアップしなければなりません。

夜勤もあります。

患者さんの【死】にも・直面します。

亡骸のお世話をし、

送る手当ても・しなければなりません。

また、

看護学部の偏差値を考えると、

高校時代に、

そうとう勉学に勤しんでいたという実績は事実です。

歯科医学は・医学とは別の、

特殊性を持っています。

この特殊性に気づく歯科衛生士さんこそ、

プロフェッショナルの中のプロフェッショナルでしょう。

この辺のところを、

A子さんの面談の際に、

私の彼女の才能に気づいたのです。

小出明歯科医師の基で育てられ、

学校と現場を同一時期に経験できるA子さんは、

必ず一流の歯科衛生士に育って、

社会貢献して下さるでしょう。

おそらくA子さんは、学校を卒業されてから、

小出明歯科医師の基で、

最大の戦力となって、

都内で有数の歯科衛生士になるでしょう。

私の診療所を訪ねて来られた若い方が、

将来への転換点になってくれること。

それも、

私しか・できない仕事だと・思っています。

 

 

 

 

歯科医学から学んだ・物指し

今まで多くの人との関わりから、

生き方の物指しと云うモノを実感するのです。

その物指しの違いから、

見えるモノも、

違って視えると云うことも・学びました。

視えたモノを、

どう受け取るかという・判断基準の違いも、

どのように・考えてきたのか・の違いから、

変わって来ることも・学びました。

その結果、

どのような・行動をとるのか・

それも、

それぞれの・生き方から変わってきます。

正しい、正しくない・と云う評価を、

気にすることは・ない・

と、

私は考えています。

批判に対する行動については、

私は・相手によって・変えています。

そのような物指しを、

私は歯科医学の臨床から・学びました。

物指し

インプラント治療の出現が、

歯科治療の普遍に【一石】を投じました。

四半世紀も経ても、

未だに、

歯科界は、

この恐竜の出現を十分に消化できていない模様です・

ソコに、

CAD/CAMと光学印象と云う

デジタル化の恐竜が押し寄せて来ています。

ですから、

あえて私は、

【古典】に還ることを頑なに守っているのです。

歯科保存学的見地からは、

感染防止と歯質保全を第1とし、

炎症のコントロールに徹底すること。

歯科補綴学的見地からは、

顎位の安定のために・咀嚼運動の垂直化に努め、

力のコントロールに徹すること。

歯科技工学的見地からは、

徹底的な精密化に努めること。

その【物指し】を

頭の・ど真ん中に留めていれば、

溢れる情報に・振り回されることは・ありません。

また、

生き方の【物指し】を、

私は【聖書】に還ることに・した訳です。

何事においても、

【自分】を見失うことがないように。

その【自分】造りに、

仕事が在るんだと・考えています。

遊び心

ウッシッシ!

ヤッパリ、引っかかって・くれました!

悪戯こころが・この歳になっても・あるんです。

先日、

ブログにてご紹介させて頂いた・この症例です。

奥歯のセラミック修復。

歯周病が生じて、

歯肉が下がって、

大臼歯の歯根が露出しています。

歯根の分岐部分が・明瞭に見えます。

その歯に・セラミッククラウンですか?

そんな・質問を・後進たちから尋ねられたのです。

で、

馬っ鹿・も~ん!

よ~く・視て・ご覧なさ~い!

この露出歯根も・

セラミッククラウン修復・なのじゃっ!

そういった【遊び心】が、

仕事の上では、

大切ナンですよっ。

奥歯の虫歯治療

重装備でしょう?

ラバーダム防湿を行って、

唾液から・露出した切削歯質を保護し、

感染防止に努め、

適切な・歯の形態を回復するために、

隔壁を造って、

ソコから、

ダイレクトボンディング修復する過程です。

派手でしょう?

で・完成。

これが・虫歯治療のルーティンワークです。

後進たちへ

私の朝は・早いのです。

昨日・書き残したブログを更新した後に、

マリリンと・いつも通り散歩。

マリリンも・落ち着いた年齢になりました。

散歩の距離が短くなりました。

マリリンが帰ろうと、

私を引き戻すからです。

朝風呂を日常とする私は、

今、

風呂に湯をためる間に、

思い立ったように、

再び、

ブログを認めています。

昨夜、

長電話していた、

20代後半の後輩歯科医師との会話が、

心に引っかかっていたからです。

専門職独特の苦しみを感じていることは、

とても・大切な経験なのです。

逆に、

そのような感情を感じる感性、

クドイですが、

【感】を繰り返しました。

ソレが・芸の肥やしになるのですよ。

歯科医学は、

歯科医師の技術力が、

結果を左右します。

とても酷な・仕事です。

否が応でも、

歯科医師は自分の技術力を認識します。

ですから、

若いうちは、

その苦しみとの・付き合いかたが、

判らないのでしょう。

私の歳になったら、

より一層、

技術向上の努力をしなければ・なりません。

ですから、

一生涯、

苦しむ訳です。

その苦しみを・楽しんで下さい。

その若い歯科医師へエールを送りたいと・思います。

また、

40代半ばになった〇〇歯科医師も、

どうぞ、

踏ん張って、

頑張って下さい。

 

鏡の向こう側の私

長い間、

絶縁状態にあった母に電話したのです。

何故?

東北地方の、とある街の施設に入所し、

毎日、

私の名前を呼び、

迎えに来て欲しいと、

懇願していることを、

人伝に知ったからです。

半年ほど前でしょうか、

診療所に、

突然、

母から電話が入りました。

私は驚き、

受話器を置いてしまいました。

長い間の・さまざまなドラマのような出来事の

消化ができていなかったのです。

先般、

父の死をメールと云う味気ない手段で

知らされた私は、

ある種のショック状態になったのでしょうね。

数日の後に・私の出した答えは、

仏壇の過去帳に父の名前を記し、

供養し始めました。

私はカトリックに改宗しましたが、

家の長男として生まれ・育ちましたので、

せがれが・一人前になるまで、

すなわち私が生きている間は、

先祖の供養は・私に責任があると考えているからです。

そんな・こんな日々を過ごしながら、

父と会話する自分を不思議に思う時がたびたび。

で、

思い立ったように、

知人に母の携帯電話番号を聞き、

早速に電話したのです。

86歳になった母です。

電話の向こう側で、

本当に尚登なのと、

何度も・何度も・繰り返す母。

迎えに行こうか?

と問う私に、

本当に?

と、何度も・何度も・繰り返す母。

あぁ、讃岐に帰ろうと、

応える私の心中は・

穏やかではありませんでした。

半ば老人特有の症状を感じる母は、

恐らく毎日を、

施設の人たちに、

息子が迎えに来てくれるのよ・と、

喜びながら・召されてゆく定めに・なるのだと、

母の置かれた環境を察したからです。

その日は・偶然、

敬老の日でした。

翌日、

再び・電話を入れました。

携帯電話の電源が切れていました。

その翌日・再び、

電話を入れました。

母の携帯電話は・解約されていました。

私の・思っていた結末に、

それでも、

母の残された短い時間が、

穏やかで、

息子を楽しみに待つことで、

送れるのだと、

自分で、自分に言い聞かされるしか・ありません。

私が歯科医学の道に・没頭した訳の一因は、

ソコに自分の存在意義を

見いだすしか・なかったからかも・しれません。

私の人生の多くの時間を、

歯科医学が・支え棒になってくれました。

泣くたびたびに、

歯の声が・聞こえてくるように・なりました。

このような、

赤裸々な事情を、

恥とも一切・思わない私を、

不思議に思われるかも・しれません。

ですが、

私の診療所にお越しになられる・患者さんたち。

私の前で、

頬に涙を流しながら、

悲しさを・表現されるのです。

患者さんや・後進たちから、

しばしば聞かれる台詞。

先生は、

何で・強いのですか?

どのようにして・心の安らぎを得てるんですか?

私は・いつも通り応えるのです。

歯の治療をしている時は、

心が清みきった水面のようになるのですよ。

私は・歯が好きで堪りません。

好きなことが・仕事になって、

幸せな人生だったと・感謝しています。

歯を通じて、

人を診るのが、

歯医者の仕事だと思っています。

自分を全て・曝した時にこそ、

患者さんと・真の関わりが・できるのだと・信じています。

私のブログには、

ある方への、

その時々のメッセージが・込められています。

私は決して、強くは・ありません。

特別な存在でも・ありません。

心満たされない環境に・置かれた境遇で、

私なりに・モガイテ生きてきたのが・本音です。

それでも、

生きた道の証を刻むことに、

人生の意義を感じてきました。

これからの時間も、

歯で始まり、

歯で終わる。

そういう覚悟が、

私の強さに見えるのでしょう。

でも、

本当の私は・弱いのです。

馬鹿な・お人好し・ナンです。