鏡の向こう側の私


長い間、

絶縁状態にあった母に電話したのです。

何故?

東北地方の、とある街の施設に入所し、

毎日、

私の名前を呼び、

迎えに来て欲しいと、

懇願していることを、

人伝に知ったからです。

半年ほど前でしょうか、

診療所に、

突然、

母から電話が入りました。

私は驚き、

受話器を置いてしまいました。

長い間の・さまざまなドラマのような出来事の

消化ができていなかったのです。

先般、

父の死をメールと云う味気ない手段で

知らされた私は、

ある種のショック状態になったのでしょうね。

数日の後に・私の出した答えは、

仏壇の過去帳に父の名前を記し、

供養し始めました。

私はカトリックに改宗しましたが、

家の長男として生まれ・育ちましたので、

せがれが・一人前になるまで、

すなわち私が生きている間は、

先祖の供養は・私に責任があると考えているからです。

そんな・こんな日々を過ごしながら、

父と会話する自分を不思議に思う時がたびたび。

で、

思い立ったように、

知人に母の携帯電話番号を聞き、

早速に電話したのです。

86歳になった母です。

電話の向こう側で、

本当に尚登なのと、

何度も・何度も・繰り返す母。

迎えに行こうか?

と問う私に、

本当に?

と、何度も・何度も・繰り返す母。

あぁ、讃岐に帰ろうと、

応える私の心中は・

穏やかではありませんでした。

半ば老人特有の症状を感じる母は、

恐らく毎日を、

施設の人たちに、

息子が迎えに来てくれるのよ・と、

喜びながら・召されてゆく定めに・なるのだと、

母の置かれた環境を察したからです。

その日は・偶然、

敬老の日でした。

翌日、

再び・電話を入れました。

携帯電話の電源が切れていました。

その翌日・再び、

電話を入れました。

母の携帯電話は・解約されていました。

私の・思っていた結末に、

それでも、

母の残された短い時間が、

穏やかで、

息子を楽しみに待つことで、

送れるのだと、

自分で、自分に言い聞かされるしか・ありません。

私が歯科医学の道に・没頭した訳の一因は、

ソコに自分の存在意義を

見いだすしか・なかったからかも・しれません。

私の人生の多くの時間を、

歯科医学が・支え棒になってくれました。

泣くたびたびに、

歯の声が・聞こえてくるように・なりました。

このような、

赤裸々な事情を、

恥とも一切・思わない私を、

不思議に思われるかも・しれません。

ですが、

私の診療所にお越しになられる・患者さんたち。

私の前で、

頬に涙を流しながら、

悲しさを・表現されるのです。

患者さんや・後進たちから、

しばしば聞かれる台詞。

先生は、

何で・強いのですか?

どのようにして・心の安らぎを得てるんですか?

私は・いつも通り応えるのです。

歯の治療をしている時は、

心が清みきった水面のようになるのですよ。

私は・歯が好きで堪りません。

好きなことが・仕事になって、

幸せな人生だったと・感謝しています。

歯を通じて、

人を診るのが、

歯医者の仕事だと思っています。

自分を全て・曝した時にこそ、

患者さんと・真の関わりが・できるのだと・信じています。

私のブログには、

ある方への、

その時々のメッセージが・込められています。

私は決して、強くは・ありません。

特別な存在でも・ありません。

心満たされない環境に・置かれた境遇で、

私なりに・モガイテ生きてきたのが・本音です。

それでも、

生きた道の証を刻むことに、

人生の意義を感じてきました。

これからの時間も、

歯で始まり、

歯で終わる。

そういう覚悟が、

私の強さに見えるのでしょう。

でも、

本当の私は・弱いのです。

馬鹿な・お人好し・ナンです。