10年・経ちましたが

先の・東北大震災は10年前の・今日・発生しました。

現地に2日後に・入った私の当地での記憶と、

地震発生から現地へと向かうまでの・私の記憶は、

今でも・身体中に・刻まれ、

恐らくは・生涯・消えることは・ないでしょう。

先月の10日に、

10年ぶりに・現地へと・足を入れました。

で、

先月の11日に・母を故郷である高松市へと・迎えることが・できました。

ここに、

因縁めいたものを・感じていました。

二度と・現地へは・足を踏み込むことは・しまいと・決めていましたのに。

それほど、

当時の・トラウマが・大きかったのです。

現在の現地は、

仙台市の・一人勝ちの様相でした。

さまざまな・被災からの復興のための手当て。

本来であれば、

もっと手厚くと・思われる場所は、

今も・無惨な傷跡の・まま。

それとは裏腹に、

仙台市は・西の商都大阪を凌ぐほどの・勢いを感じました。

矛盾。

再び、

東北の大地を踏んだ私の体は、

揺れ動いて・います。

その状況下での・今日。

祈りを捧げて・過ごすことにします。

人のこころ

夢であった・故郷の高松で暮らせることになった・母は、

穏やかに・過ごしています。

デイサービスの入浴や、

体操、

踊りなど、

忙しく・なったようです。

お友達も・できたようす。

東北では、

会話が・全く理解できず、

ただただ、

聴いてる振りをして、

微笑んでいるのに・疲れたそうです。

ですから、

今は、

他人と・コミュニケーションが可能になった。

これは・高齢者にとっては、

脳の・リハビリテーションには効果的結果と・なりました。

東方の娘夫婦や孫たち、

施設のスタッフから、

認知症・扱いされた事を、

まぁ・なんと失礼な人達!

そんな会話も・できるように・なりました。

縁の薄かった母です。

が、

色んな事情は・忘れてあげよう。

そんな気持ちなれれたのも、

私が・医療職に就いたからでしょう。

許すこと。

それが、

人の心で・もっとも大切なことと・思うようになりました。

凄まじい・根管治療

上の犬歯の・根管治療に・苦しんでいます。

通常でれば、

通院回数2回。

で、1回の治療時間は1時間程度です。

が、

この症例、

前医の為した・根管充填材を除去するだけで、

延・8時間・要しました。

なぜなら、

根管充填材に、

フルオアブル・レジンを根管内に・みっちり・充填していたからです。

犬歯は・歯根が長いですから、

通常の器具が・根先端まで・届かないのです。

しかし、

この歯科医、

何を・考えて・こんな暴挙に・及んだのでしょう!

どんな人だろう・そんな想いにて、

ホームページを・覗いて見たのです。

が、

情報が・少なく、

ただただ・自己賛美のみ。

で、

弟子に・調べて貰ったのです。

国立大学卒でしたから、

阿呆では・ない筈。

しかし、

さまざまなる破壊行為の結果を見るに、

間違いなく・阿呆としか・言いようがありません。

根管治療は、

1に根気・2に根気。

3、4がなくて・4に根気です。

が、

マイクロスコープ視野下での、

ただ根管充填材の除去に・8時間は、

私は・この歯科医を・恨みましたね。

やっと、

根管内は・綺麗になりました。

次回は、

私の・根管充填です。

変な・自己流の・間違った解釈での治療。

辞めてください!

でも、

歯科業界って・狭いですね。

すぐに、

この歯科医の情報は・入手できたのですから。

ありがとうございます

母の境遇を知った方々から、

母に、

色々な、

お菓子や、

お届けもの、

そして、

温かい・お心遣い、

励ましの・お気持ち、

いっぱい・頂き、

ありがとうございます。

お陰さまにて、

毎朝、

菊池寛通り・の光景に、

あ〜・高松だねぇ!

で、

診療所の階段を、

蟹歩きで、

両の手で・シッカリと手すりを・握りしめ、

登ってき、

院長室の・お仏壇のお供えをする私を

腰掛けて・じっと・眺めて、

熱いお茶を・お供えした処で、

蝋燭に線香に火を灯し、

1日が・始まるのが日課となりました。

人の一生とは・長いようで・短く・儚い・線香花火。

美味しいものと、

清潔な衣服、

そして

暖かい人の気配。

贅沢はさせて・あげられないと・思いますが、

人としての・尊厳だけは、

母には・担保して、

そんな風に・思いながら、

同じ話の繰り返しに、

うなずくのも・繰り返す私。

綴る

私が・文章を書くようになったのは、

大学院に入ってからの事。

文献の翻訳から・始まりました。

指導教授から・返された原稿用紙は、

訂正の赤ペンで・真っ赤に・なっていました。

それを見た瞬間、

私の顔も・真っ赤に・なっていたんだと・思います。

恥じらい・プラス・怒り。

私の入った世界では、

教授を始め・先輩の言うことは・絶対服従。

今とは・雲泥の違いです。

不条理という・現実も・しみじみ実感しました。

そのような環境下で、

文を綴る・という行為を・学んだんです。

医療行為は・ある種の矛盾を・はらんだ行為です。

身体を傷つける行為によって・成り立っているからです。

その・やるせない日常を・解決するために、

さまざまなジャンルの書籍を読むことが・日常になりました。

それが、

私が文章を綴る際に、

大きな影響を持ったことは・間違いありません。

なぜ・このような話題に触れたかと云うと、

後進から・問われたからです。

働く・喜び

58歳を・迎えた・今日、

世間は・休日なのですが、

私は・診療しています。

これだけ・祭日が多いと、

患者さんの治療が・予定通りの段取りで、

できないので・困ります。

ですから、

診療所を・開けて、

と云う・塩梅。

しかし、

これは考えように・よっては、

幸せな・ことです。

歯科医師過剰の昨今は、

どこの歯科医院も・まるで商人のように、

血眼になって・患者集客に必死になっているとのこと。

ありがたいことに、

そのような・競争には・無縁にて、

好きな歯の手当てを、

マイペースで・行えているのですから。

歯と云うモノは、

誠に・奥深い・大宇宙のようなモノです。

何処まで行っても、

真実に・至らない処が、

私の興味を・そらさないのだと・思います。

宮本武蔵の言葉に、

万里一空という・何処まで行っても空は手に届かない、

歯科医学というモノも・同じ。

大変な・仕事に・就いたモンだと、しみじみ感じます。

母を引き取って、

凡そ2週間が・あっという間に・過ぎました。

今夜は、

熱めの・風呂に入れてあげようと、

この母あっての・私なのですから、

そんな事を・思いながら、

長生き・について、

なんとも言えない・気持ち。

ホスピタリティ

春の陽気のなか、

郊外の先祖の墓地を参拝し終わった母は、

安堵したようです。

朗らかに・昔話に・花を咲かせます。

東北地方の施設に、

本人の意思とは関係なく、

半ば強制的に入居さされ、

お小遣いも・持たされず、

お菓子をお裾分けするなど・もってのほか、

何も・持ってきてはくれない、

放置状態だった訳です。

生まれ育った・讃岐の空気に包まれて、

母は・人間性を・取り戻したのだと・思います。

痴呆症と診断されていたようですが、

それは、

家族が作りだした・高齢者の心の叫びだったのだと・思います。

医療の原点は・手当てという・言葉から。

手の・温もりは、

心も、

精神も、

癒してくれる事を、

母を通じて・学んでいます。

穏やかな日々

それこそ・死にもの狂いの・想いにての、

東北の施設からの逃避行から・1週間が過ぎ、

母は・穏やかな日々を過ごしています。

当地にて・痴呆扱いされたことに、

まぁ・失礼な人っ‼︎

と・憤り、

高松の光景と・空気が、正常なる母を蘇らせたのです。

孫たちに・手を繋いでもらって・近くのコンビニに行くのが

今の母の楽しみに・なっているようです。

お小遣いを1000円渡すと、

これだけじゃ・足らないわ!

孫たちのも・あるんだから!

もう少し・頂戴!

私に・掌を出すのです。

で、

中央公園へと・孫に手をひかれて、

お散歩し、

故郷の空を流れる雲を仰ぎながら、

おしゃべりしながら、

あ〜・此処は高松だね?

本当に・帰ったんだね!

と・孫が辟易するほど、

高松を楽しんで・いるようです。

歯科医療は・愛の仕事

タイトルの・言葉は、

内村鑑三氏の・遺した有名な台詞です。

この頃、

日々・実感しています。

私の母は、

今から凡そ30年前に、

上下全てを・インプラントにて、

私が施術したものです。

当の本人は、

今では・全て自身の歯だと・思っていますが。

私の歯は丈夫なの・と云う台詞を、

微笑んで・聴いて・うなずいている私です。

母とは縁の・薄かった環境で・過ごしてきました。

私の中での・母の記憶と言えば、

幼児であった私にとっての母の手は・大きく感じていたことです。

手を繋いで歩く際に、

母の親指を・掌で・シッカリと・握りしめていた事。

それほど・母の親指に・安堵感を持っていたのだと・思います。

それが、

58歳を迎える私が、

母と手を繋いで、導くようになりました。

母は・私の掌を・シッカリと・握りしめて、

転ばぬように・息子に迷惑をかけないように・と云う

必死さが・温かさから・感じとれるのです。

私が・このような心境の大きな変化に至ったのは、

まさしく・患者さんを診る仕事に就いたお陰だと思います。

患者さんにとっての私は、

母にとっての・私の掌に相違ない・と云う気持ちで、

大切な・人の身体の手当を、

心を込めて・尽くすことに精をだすのが務め。

歯科医療から・学んだこと

夜になると、

怖がるのですが、

大丈夫!大丈夫だ‼︎

誰も・来ないから、

此処は・高松だ!

そう・声がけすると、

そうだ・そうだ・此処は高松だったと、

安堵する母。

それ以外は、

幼児の様に・笑みを浮かべ、

穏やかな・日々を過ごして・います。

あなたの・周りは・みんなが・優しいね。

あなたは・みんなに・あんなに・頭を下げて・ビックリした!

お母さん、

鏡に映った・自分の姿を・思い浮かべて、

大学の学生さんや、

後進の歯科医師たちや、

私の患者さんたちに、

恥をかかす・ことは・できない・からね。