信仰する心


家業は継がなくとも、

私は家の長男ですから、

私の朝は、

天照大御神と氏神様を奉った神棚の

お水を交換して、

かけまくもかしこき~

幼い頃から耳で覚えたお払いの祝詞で始まります。

で、

お仏壇のお花の水を交換して、

一保堂のほうじ茶と煎茶、

蝋燭に火を灯し、

香を焚いて、

きみょうむりょう~

浄土真宗のお経を唱え、

それから、

いろいろ私用に取りかかります。

診療所へ出勤してからも、

神棚は自宅と同じ。

次いで、

幼い頃から私の横で、

私の成長を見守って下さった観音さまに

これも、

お水とお酒。

で、

香を焚いて、

般若心教と、

オンアロリキャソワカの御真言をお唱えする。

これが私の日常でした。

私は神さまや仏さま、ご先祖さまの霊の存在を

信じて疑っていません。

日々を過ごせることを感謝しています。

これは本当に本心です。

悪いこともイッパイイッパイした私です。

が、

本心から信じています。

でも、

いくら信心に努めても、

心の中に封印した、

怒りと、

恨みと云う

2つの感情がどうしても取れません。

春、

縁が在ったのでしょう。

ノートルダム学園の三宅聖子シスターと知り合いました。

以前にも申し上げましたが、

私は完全に降参したのです。

一目観て、

俺にゃ敵わない!

持つ物指しが違う方だと悟ったのです。

私の心にある負の感情を

消し去ってしまいたい。

シスターに就いて行けば、

心穏やかな人になれるだろう!

それが私がカトリックへのドアを開いたキッチリです。

情熱を秘めて歯科にぶつかる姿勢は変える積もりはありません。

ついでに、

穏やかな優しい人で居たいと

常日頃から、

そう願っていたのです。

まだまだカトリックの勉強の途中です。

が、

通勤時の車中でハンドルを握りながら、

ふと、患者さんを待つ間に、

アヴェ、マリア、

恵みに満ちた方、

主はあなたと共におられます。

あなたは女のうちで祝福され、

ご胎内の御子イエスも

祝福されています。

神の母、聖マリア、

わたしたち罪びとのために、

今も、

死を迎える時も、

お祈りください、

アーメン。

1日に何度も何度も

心うちで復唱するのです。

何故って聞かれます。

もっともっと高見に行きたいですから。

人の身体を診る仕事ですから。

いつも、

患者さんと一緒に居たいですから。

私は男ですからナイチンゲールにはなれません。

が、

心はナイチンゲールになって、

患者さんと共に居たいですから。