3つの故郷


 香川県高松市に診療所を構えている私であるが、
私は此の地に生まれ育った訳ではない。

 私の母親が
香川県三木町の生まれで
高松市に育った縁で
幼い頃に
彼岸と盆の墓参りに
母親に連れられて
船に乗って
四国へと訪れるのを
楽しみにしていた位の
異郷の地であった。

 母親の実家は
母親の兄である跡継ぎ息子が
神戸にて産科を開業したるをきっかけとして
此の地から引き払って仕舞っていた。

 此の産科の叔父は子に恵まれず
故郷に残したる先祖の墓は
其のままになっていた。

 幼い頃より
馴染みの在った其の墓は
墓石を眺めれば
平安期のものから数多く
私が診療所を構える気持ちになった時に
此の墓のお守りを考えて
香川県高松市としたのは
ごく自然の成り行きであった。

 せっかちなる私は
越後の地に暮らしたお陰で
随分とマシにはなったが
讃岐の人の
時間感覚と間合いの取り方には
随分と苦労したものである。

 しかしながら、
生粋の讃岐人ではないので
今でも中々
馴染めないのは本音の処である。

 其れでも、
青い島影と屋島の姿に
今では帰ってきたと
感じられる様になった。

 私の中には
此の地香川県高松市と
関西の遣い、
そして越後新潟という
3つの故郷を持ち合わせたるのである。