まだまだ子ども


茹だるような炎天下だと思えば、

深夜に突然の豪雨に見舞われたり、

今年の夏に、

地球の変調を感じています。

週末は、

一歩も家から出ることなく、

ゆっくりと過ごしていました。

この暑さですから、

犬たちも散歩などしたがらず、

テレビの前に座る私に、

退屈すればジャレあってきたり、

で、

飽きたら昼寝。

そりゃそうだ。

彼女らはぶあつい毛皮を纏っているのですから。

本来の私の性格からしてみれば、

ジッとしていると云う行為は大変な努力を必要とします。

貧乏暇なしとか、

働かざる者喰うべからず、

などと云った言葉の生きた時代に

人間形成期を過ごしましたもので。

特に商家の育ちでしたので、

お得意先の百貨店などは休日祭日が稼ぎ時な訳で、

百貨店もお客さんで【ごっちゃがえす】ほどに、

今では信じられないほど繁盛していた時代ですから、

店から欠品の補充を求める電話が入ってくる訳です。

当時は便利な宅急便などありませんでしたから、

家の人間が冷房もない軽トラックに荷物を満載する

その助手席に、

それが私の幼い頃の夏の思い出でしょうか?

店も夜遅くまで、

大勢の人が働いていました。

夕食は交代で、

店の食堂で皆が摂っていたように思います。

そんななかを、

私は育った訳です。

小学校の低学年頃は、

確実に風呂は五右衛門風呂でした。

商材を仕入れた際の木箱を小斧で壊して、

風呂の燃料にするのは私の仕事でした。

風呂の外壁の小さな焚き場の穴から

溜まった灰を綺麗に取り除いて、

木を入れるのです。

これを考えてしないと、

空気が中にキチンと入りませんから、

煙がモウモウ!と私の顔を燻してきます。

それこそ咳き込みながら、

逃げ出す始末。

こんな事を何回か経験して、

風呂の焚き方を

身を以て覚えた訳です。

幼い子どもと云えども、

商家では、

ある役割は担わされていた、

あるいは、

自然と、

担うような仕組みが、

世の中全体で準備できていたように感じるのです。

それがいつ頃からでしょうか?

全てが全く違う国のようになってしまいました。

私などは、

昔のほうが、

国全体にエネルギーが充満していたような

そんな気がしてなりません。

今は夏休み真っ只中。

恐らく、

良い子はみんなお勉強なのでしょう。

でも、

これからの、この国の形を想像するに、

幼い頃こそ、

自分の身を以て覚えることに

夏休みと云うまとまった時間を

使って貰いたいと思うのです。

それが必ずいつの日か役にたつでしょう。

私もまだまだ若いと、

自分では思っています。

未熟者から、

早く脱出できるように、

幼い頃仰ぎ見た、

大人になれていない自覚がありますから、

もっと、もっと、

頑張って、

色んなことにチャレンジしてゆきたいと思うのです。