歩く


高校1年の夏休みに、

私は【一人旅】に初めて行きました。

リュックサックでの【一人旅】です。

在来線に乗車しての、

目的のない【一人旅】です。

途中、琵琶湖の湖畔の街に下車し、

照り返す畔の道を

アイスキャンディーを食べながら、

歩いていたのを覚えています。

小高い安土の山は荒れていました。

現在のように整備されてはなく、

ただただ荒れ放題のままで、

大手門が在ったであろう処から続く崩れた山道を

上へ上へと天守台目指して、

足を進めながら考えていた事も鮮明に覚えています。

遥か昔に華麗な天守の在った場所は、

見事に崩れ去っていましたが、

其処から彼方の琵琶湖を仰ぎ、

清々しい気持ちであった私は、

当時は未だ、

歯科の道に入る事さえ知り得ませんでした。

成るがままにが、

青春期の特権だろうと。

あの日から今日までの時間は、

既に私には残されてはいないでしょう。

人の一生とは儚いモノと言われます。

後には残骸も残りません。

が、

人の記憶に残る見せ方を意識しながら生きることが

精一杯の反抗心かもしれません。

息子も既に、

当時の私よりも年長にまで育ちました。

さて、

どの様な歩き方するものやら。