末の娘の誕生日です。
45も過ぎて、また子供を授かるとは想いもよらずといった心持ちでした。
倅と書店へと出向き買い求めたる姓名判断の本を前に、アレヤコレヤと悩んだ末に、
最終的にこの娘の名前を決めたのは、倅でした。
倅とは所謂、腹違いの妹です。
まだ小学生の高学年であった倅は、自身が始める新しい生活の中で、これも又、新しく生まれた命に希望を託したのだと思います。
愛奈(マナ)と云う名前です。
仕事が終わってから直ぐに、海の向こう側の川崎医科大学病院まで車を飛ばす間の、
倅と二人の幼い娘のヤリトリを今でも鮮明に覚えています。
倅と幼い二人の娘が、神妙な顔つきで手を消毒し、新生児室へと入る後ろ姿が瞼に焼きついています。
赤ちゃんと呼ぶに相応しいこの赤子を、最初に恐々抱いたのは倅でした。
6歳になりました。
色々な事がありました。
家族それぞれの立場で、皆が一生懸命だったのだと思います。
私にとっては、私と共にできる時間が一番短くなるであろうこの娘が、
私とソックリの性格を受け継いでいると思っています。
気が短く、癇癪持ちで、それで恥ずかしがりやの甘えん坊。
この娘が大きくなった頃に私には、どれ場の力も残ってはいないと思います。
其れが判るが故に、この娘の将来を是非に観ていたいと想う気持ちが、私が変わったと言われる所以かもしれません。
子育てで逆に、親たる私が育てられているのを感じています。