なぜ 高松市で 開業したんですか? って 聞かれます?


私が 高松市で 開業いたしました訳を

しばしば 聞かれます。

ここに 一冊の ボロボロになった 国語事典が あります。

執筆の際に 

あえて 現在の 日本語を 使いたくない時に

この 辞書の 出番と なります。

この6月で 89歳を迎える 母が 青春期に 使っていた 国語事典です。

バカ マヌケ って 落書き

恐らく 授業中に 

教師の 眼を盗んで

隣席の 生徒と フザケテいた 痕跡に 吹き出して しまいます。

悪いこと できませんね!

この母は 高松高校の 第1期生でした。

その後

母は 関西へと 移り住むことに なるんですが

母方の 御先祖さまの 墓地が 讃岐にあることと、

私を 可愛がってくれた 母の兄

西明石にて 婦人科医を 開業していた叔父が 1人息子との 縁が 薄かったことから

母方の 墓地の お世話を することが

私の 役割だと 思っておりましたので、

何の 由縁もない この高松市にて

私は 診療所を 構えたのです。

私の 育った 文化圏とは 全く 異なる この街に

馴染むことは とても 気苦労?が 在るんでしょうね

それが 幸いし

歯科の仕事だけに 専念できたんだと 思います。

今では

すっかり 瀬戸内海の風景が 心和ませて くれる ように なりました。

瀬戸内海に 面した 徳川家所縁の 城下町。

【本当に歯で困った時の歯科医院】

三枝デンタルオフィスは 溶け込んできた ように 思います。