生きる


父が・召されて、

もうすぐ1年が・来ます。

もっと・息子らしく・接してあげれば良かったと、

後悔しています。

性格的には・全く逆の・父息子でした。

価値観も・生き方も・全く逆の・父息子でした。

ただ、

私も歳を経る度に、

声が・大きくなりました。

聞こえ難くなったのか?

それとも、

考え事が増えて、

耳に入らなく・なったのか?

ついつい、

声が大きくなったと、

家族から・疎んじられる機会が・増えました。

そのような時、

少し・傷つきます。

父に、

恥ずかしいと言った事を・後悔しています。

食事の好みも、

父に・似てきたような気分に・なる機会が、

時たま・在る今日この頃です。

毎日、

お仏壇の・お世話をしながら、

話しをするのが・日課になりました。

複雑な・想いです。

ただ、

一家の家長としての自覚と責任が・無かったという

私の父の人生への評価は・手厳しいモノですが、

ソレはソレで・良いのだ、

父には・父なりの・やむを得ない事情が在った事として、

責める気持ちは・毛頭・ありません。

せがれも、

いつか私の生きた結果について、

手厳し評価を下すでしょうから。

人が生まれて、

生きて、

死ぬ。

ただ・ソレだけの・事です。

でも、

死んでも、

誰かの・記憶の中では、

生きてるんです。

ソレならば、

一生懸命・丁寧に・生きるべきと、

そう・思うンです。

だからこそ、

歯科の仕事にも、

情熱の灯火が・衰える事は・無いのです。