日別アーカイブ: 2021年10月19日

歯科治療・と・歯壊治療の・境目

私の仕事は、

転院されて・お越しになられた・患者さんの、

再治療を・行うのが・日常です。

ですから、

歯科医師という・専門職が・行った歯科治療にも・かかわらず、

歯科医師、患者さん・ともに、

予期せぬ・悲しい結末を・迎えたことに、

何故・このような悲惨な状況に・なったのか?

考古学者が、

砂漠の砂を・丁寧に・筆を使って、

遺跡の表面を・はらい除くように、

クラウンで・隠された・歯質、

壊れたクラウンの原形、

セットされた直後の・噛み合わせ平面などを

脳裏に・描きながら、

その歯科医師の・癖を・読み取り、

口腔が崩壊するに・至った・

原因を・探ることから・始まります。

で・なければ、

私も・同じテツを・踏むことに・なりかねません・から。

その原因探しの・作業と共に、

診断を・つけて・ゆくのです。

そこが・歯科治療においては、

1番・大切な・手順なんですよ。

私の中での・歯科治療のゴールは、

既に・決まって・います。

ですから、

登山のように、

頂上を目指すのだ・けれども、

どの・ルートを採用するのか。

それが・歯科治療では、

治療方法の・手順の決定・ということに・なります。

それが・決まれば、

あとは、

ひたすら・丁寧な・手当てに・尽きます。

自分よがりの・手順の省略は・最も危険な・行為です。

ラバーダム防湿のない・根管治療なり、

フェイスボーを使わない・咬合器への・上顎模型の装着。

咬頭嵌合位だけでの・噛み合わせの・診断。

歯科治療には、

さまざまな・下準備が、

料理・以上に・あるんですよ。

ひとつでも、

その・手順を・割愛することが・危険なのです。

そういう癖が・身について・しまいますから。

手抜き・と、

医師の裁量権・を、

履き違えた時に、

歯科治療は・無惨な・歯壊行為へと、

全く・逆の結果の・原因と変貌するのですよ。

 

 

毎日

急に・寒く・なりました。

私の・朝は早い・ので、

余計に・寒さを・感じます。

まだ・窓の外は・真っ暗。

ガラス越しに・冷気が・圧っして・きます。

グイグイと・押してくる冷気。

たじろいで、

でも、

布団を・跳ね除け、

1日の・始動開始です。

床の上で、

掌を合わせ、

主の祈り・を・心内で・唱和し、

床から・出るのが、

最初の・行動。

あとは、

いつも通りの・決まりきったパターンで、

日々を・過ごすのです。

時々、

面白み・の・ない・人生かも?

何が・楽しくて・生きてるんだろう?

歳をとって・ゆくのが・恐い!

これから先々・どうなるんだろう?

そんな・弱気な・1面も・あるのですよ。

そりゃ・そうでしょっ。

死に・向かって・進むのが・生命体の定め・ですから。

恐いから・こそ、

大切に・1日を・過ごそう・なんて考えは、

ここ5年くらい・前から・ですよ。

若いうちは、

絶対的な・体力がありましたから、

そんな・ことは・普通は・考えない・でしょう。

でも、

だんだんと、

疲れ・とか、

痛み・とかを自覚したところ・から、

そういう・弱い1面が・顔を出し始めて・きて、

でも・逆に、

今までは、

決して・眼に見えなかったものが、

視力は・確実に・衰えているにも・かかわらず、

鮮明に・視えて・き始めて、

判断基準の・精度が、

抜群に・向上するのも・自覚し、

不思議なモンだな!と。

で、

いろんな・こと・考えるんです。

何故・だろう?

どうして・だろう?

こういう・自分って、

子供の頃から・全く・変わって・いないのです。

だから、

大人子供って・言われる・のかも・しれません。

おとなげ・なくて・悪いん・でしょうか?

なりは・大人の男を演じていますが、

内側は、

子供で・悪いん・ですか?

まぁ・進歩がない・と言われれば・同じ・なん・でしょうが。

男の・仕事というモノ

こんな・時代ですのに、

街の・郊外のメインストリートには、

雨後の筍・のように、

次々と、

歯科医院の建築現場を・見かけます。

広い駐車場と、

建物を囲む・大きな囲いを・横目に、

大丈夫?

なんだろうか?

と、

他人事・商売敵・にも・かかわらず、

こちら・の方が、

案じて・しまうのです。

人生に・チャレンジ精神は・必要であり、

チャレンジ精神が・人を大きく・育てます。

ですが。

古来、

日本の男は、

戦いの・中に・身を置いて・いました。

狩り・の時代は・獣と戦い、

戦国の世にあっては・刀を手にし、

明治から昭和の初期にかけては・銃にて、

列強の大国と・民族の存亡をかけた戦いに、

戦場へと・出向いたのです。

負けは・すなわち・死を意味します。

ですから、

戦うに際し、

さまざまなる・準備にも、

戦い・以上の・知恵を搾って・いたのです。

いつからか・判りませんが、

日本の男は、

死と・背中合わせの・戦いを・忘れたようです。

私の仕事でも、刀も銃も・使いません。

が、

さまざまな・道具を手に・します。

だからこそ、

私は、

死に物狂いで・治療に・勤しむのです。

そんな4半世紀・でした。

各地から、

いろいろな・難しい症例の・患者さんが・お越しに・なられます。

現状、

地域密着型の・街の歯医者さん・では・ありません。

若い歯科医師の方々には・信じてもらえない・でしょうが、

毎日・毎日が、

工夫を加える・知恵を絞り出すための・情報収集と、

自在なる・動きを可能に・するための・自己修練、

自分自身が・道具ですから、

自己向上に繋がるモノならば、

選ばず、

考えず、

何でも・取り入れ、

試し、

継続し続け、

我慢比べ・でしょうね。

いつの日・からかは、

戦う・相手が、

自分自身に・なって・しまいました。

そのような経緯から・でしょう。

他の・歯科医師の存在に・全く関心が・なくなりました。

そんな・他人事の・歯科医院の建築ラッシュ。

建物の概要が、

囲いが取れて・現れたのを・視界に、

安堵・するのです。

脅かされる・ことは・ない・と。

戦い続ける者は、

独特の・臆病さを・持つ・のです。

決して・負けは・許されませんから。

仕事は・死ぬほど・辛いもの。

死に物狂いで・働け。

この国には・昔・そのような・表現が・ありました。

私は・そういう時代に・育ちましたので、

何ら・違和感を・感じません。

私は・生涯を・戦いに・明け暮れるでしょう。