カテゴリー別アーカイブ: ただの日記

心もち

青春期に歯科医師の道を志して、

なんとか此の歳を無事に迎えることが出来ました。

長い人生ですから、

追い風、向かい風、

その度々に

心が落ち着くことがなかったように思います。

しかし、

良い歯科医師になりたいと云う【夢】は

決して【ぶれる】ことはなかったと思っています。

つくづく果報者であると感じますのは、

妥協した治療を

患者さんから求められることが極々、

稀であったことと思います。

ですから、

余計に努めて努力せざるを得ない状況でも在った訳です。

幼い頃から仏さまに掌をあわせて、

見えない力を心底信じて来ました。

真面目に積み重ねることが、

歯科医師としての力量に役立つのだと、

そう信じて、

患者さんに接して来ました。

若い時分には、

持て余さんばかりのエネルギーを

歯に集中照射させていたように思います。

仏教の世界で云う処の、

不動明王のような強さが、

芸事に生きる人間が絶対に味わう【壁】の連続を

打ち破るには必要であったと、

其れは其れで認める処です。

私の【我の強さ】は、

そういう意味において自然発生的産物だっとと

自己弁護せざるを得ません。

私は54歳です。

今でも青春期の夢であった良い歯科医師になりたいと云う気持ちに

微塵の変化もありません。

ただし、

良い歯科医師の意味合いが、

やっと判ってきたように感じています。

岡山県のノートルダム清心学園の校長先生である

三宅聖子先生のような人を

私は嘗て知りませんでした。

私は男ですから、

常に勝ち負けの世界に生きてきたように思います。

が、

勝ち負けなどと云う【物指し】の無意味さを

私はシスターとの出会いにて経験したのです。

私は歯科医学に生きる人間です。

歯科医学は自然科学の分野の学問ではありますが、

それと共に、

人を包みこむ器を持つことに

大きな意義が在るように思います。

今からの私に必要な大切な気持ちを

毎日、ひしひしと感じて、

空を仰いで、

診療所へと通っています。

不思議なものですね。

院長室のデスク脇で、

ズット私を護って下さったいる観音さまのお顔と、

聖母マリアさまのお顔に、

全く違いがないのですから。

今日も手術とマイクロスコープでの根管治療です。

穏やかな心、

波一つない静かな水面のような心、

しかし、

眼はあくまでもハンターのような鋭さ、

指先の動きは精密機械のように、

それが私の選んだ仕事です。

医療人の心

今日もインプラントの手術です。

メスを手にする毎日を

【普通のこと】と感じたならば、

医師の免許を返上すべきでしょう。

メスを手にすることは、

医療人にのみ【認められた】行為です。

緊張感を忘れてはなりませんし、

手術の方法も、

星の数ほど沢山ある訳ですから、

患者さんに適応した唯一の方法を

最後の最後まで、

模索してこそ、

医療人の心と言えるのではないでしょうか?

縁が在って、

敬虔な仏教徒であった私が、

カトリックと縁を持ちました。

聖書だけでなく、

歴史的な背景などを、

書籍や神父さんから学び始めた処です。

毎度、毎度の食事に対しても

感謝の心を思い出させてくれました。

だからこそ、

私は歯科医師であることを、

もっと、もっと、

感謝しながら患者さんをお迎えしようと

感じているのです。

チョッとだけひと休み

今週の土曜日から1週間ていど、

臨時休診を頂きますことから、

休みの前の戦場のような私の診療所です。

今の診療所を新築移転してから早いものですね。

10年が過ぎました。

先日、トアル職人さんが仰られておられました。

先生、どの仕事も同じでね。

私らみたいな職人は恵まれてますよ。

定年退職っもんがありませんから。

人間の身体ってのは働くように出来てるんだと、

この頃つくづく感じますね。

ですから、

休みながら働く。

で、

ズッと働く。

良いお顔の表情をされた職人でした。

テレビタレントでも、そうじゃないですか?

ズット同じことしてたら、

やがて飽きられて、

いつの間にか消え去ってしまう。

私もチョッとだけ人生の中休みをと。

県内に居りますと、

ヤハリ仕事のことが頭から離れません。

犬たちを連れて、

ブラリ旅と云う塩梅。

なんせ気が張り詰めた毎日でしたもの。

書籍を何冊か持って、

那須高原にでも。

スタッフの宮田君の新婚旅行でもなければ、

こんな休日など頂けませんでしたもの。

エエか、宮田君、

旅行先で喧嘩などしたらイカンよ!

迷子にならんように!

迷子は君のことではないわな。

君のご亭主の方だがな!

ウロチョロせんように、

よ~く見ておくのじゃ。

腹痛の薬を持って行きなさい!

そんな毎日です。

で、

宮田君が言いました。

主人が迷子にならないように、

マリリンのリードを貸してください。

この妻君、

なかなかのシッカリ者だと、

私は大いに安堵したのです。

 

本当に困った時の歯科医院

私の診療所のキーワードは、

【本当に困った時の歯科医院】です。

先般から手当てしていた無歯顎の女性患者さんの治療が終わりました。

上下ともに全く歯がありませんので、

上下に総入れ歯をお造りしました。

ただし、

下の顎の骨の痩せかたが著明であることから、

頤 ( おとがい )部分と云う、

ちょうど前歯が生えている辺りでしょうか。

この部分の骨は比較的、誰しもシッカリしているので、

インプラントを入れて、

このような装置をベルギーにて加工して、

総入れ歯の支えに使いました。

ねっ!

患者さんに笑みが甦りましたよ。

治療のための準備

先般、

大阪市の歯科医院にてインプラント治療を受けた患者さんが、

深刻な表情にてお越しになられたのです。

こんな筈じゃなかった!と云うのが

患者さんの心の叫びであったのだろうと、

瞬時に判断されました。

ソッと、

お口のなかを拝見するために、

手の指の先で、

上の唇を持ち上げて、

で、

直ぐに元に戻したのです。

この医師がどのような状況下での処置であったのかが

瞬時に判断されました。

インプラント治療を行う前に、

物凄く沢山で複雑な手当てを要する症例であることの

判断ができなかった結果なのです。

上の1本の前歯にインプラントが入っています。

其所にセラミックのクラウンを被せています。

その両隣のご自身の歯と、

インプラント治療をした歯の長さの違いに注意してください。

ご自身の歯と、

インプラント治療した歯の歯茎のラインに注意してください。

患者さんの頬を涙が伝わっていました。

綺麗で自然な状況に戻すために必要な処置を、

私は責任を持って考えています。

今朝一番に、

所見を師匠である内藤正祐先生にメール転送しつつ、

レントゲン像から、

このインプラントのメーカーと種類の特定作業に着手しました。

これは難症例です。

 

 

第一歩

私は決めていたのです。

ご先祖さまのお祀りのケジメがついたら、

家長は息子に譲ると。

無論、

大学生の息子に経済力はありませんし、

ひとかどの大人になった訳ではありませんから、

当分は、

毎朝のお仏壇のお祀りと、

毎月のお墓参りは、

私が息子に成り代わり、

これまで通り。

が、

私は両親のご先祖さまの安住の環境が整い次第、

長男の重荷は下ろすことに決めていたのです。

家全般のことは、

息子の意見に従い、

私は【歯だけに専念】することに決めていたのです。

人が生きてゆく上で様々な荷物を背負います。

そのなかで、

様々な感情を抱えこんで生きて行くのが定めです。

青春期に歯科医師の道を志しました。

私のなかで、

良い歯科医師になることが

人生の目標点でした。

ぶれては、

今日の私はなかったでしょう。

しかし、

ぶれない自分を造るには、

自分をシッカリと持つ必要もありました。

技術的な問題は、

放っておいても、

私は自分で工夫し、

思案し、

前へ、前へと進むでしょう。

ただ、

人として心の豊かな人で居たいと思うようになりました。

怒りや恨みを抱えこんで、

生涯を終えたくはありません。

右の頬を打たれて、

左の頬を出す人にはなれないでしょう。

隣人を愛し、

何人 ( なんびと ) をも赦せる自分になれるのかも判りません。

でも、

諦めたくはありません。

良い人生であったと、

幕引きの際に、

そう思えるように、

カトリックのミサに昨朝、

初めて出かけてゆきました。

岡山県のノートルダム清心学園の校長先生である

三宅聖子シスターのご紹介にて、

県外のカトリック教会で学ぶ第一歩を踏み出したのです。

節目

先週の土曜日は臨時休診を頂きました。

先冬から懸念であった

母方の墓地の移転を執り行うことになったからです。

土の中から遺骨が観えました。

壺は長年の浸水のためでしょう。

土の重さにて割れ沈み、

遺骨と土が混ざっていました。

やはり血は濃いのだと思います。

素手で、

取り残しがないようにと、

眼を凝らして、

一片、一片、

更級の上に置いてゆきました。

私から数えて8代前までのご先祖さまです。

無論、顔は知りません。

が、

掌の上で、

仏さまの温かさを確かに感じていたのです。

墓石をクレーン車で持ち上げる際の、

生前、心配性であった祖母の案じる様を思い立ち、

さぞや不安がっているに違いないと、

心配ないから、

心配ないから、

と、

祖母の墓石に声をかける私は

やはり孫であることも実感したのです。

墓石の在った場所がすっかり整理され更地となり、

私は立ちすくんでいました。

長い間、

長い間、

本当にお世話になった土地に合掌し、

ご先祖をのせたトラックを

私が28年の前に三枝家の墓地として手当てした墓地の真横へと

助手席のご遺骨とともに先導して

真夏日のような讃岐路を通り抜けていました。

大きな、大きく穴を掘って、

ご先祖さまの遺骨を新しい土の中へと返しました。

香の煙の寺の住職の読経の中、

これで長男の家長の役目が終わったと、

私の人生の1つの節目を終えた心持ちとなりました。

息子が、

父ちゃん、墓参りが一ヶ所で済んで楽になったな!

と。

この跡継ぎ息子が、

いつ、

どのようにすれば、

ひとかどの男になるものか?

と、

先祖に心のなかで相談したのです。

歯科治療は私の命

夜も遅いのにと、

不謹慎とお感じになられるのならば、

其れは其れで構いません。

夜の11時前です。

今日、最後の患者さんにお電話を入れました。

先のブログで紹介した手術の患者さんです。

そろそろ痛みが出る頃合いだろうと思ったからです。

全身麻酔でしたので、

手術後に通常行う術後の説明は

薬の作用である健忘効果にて、

ほとんど、

否、

全て忘れている筈です。

痛みが出ると、

手術が気になって不安になるものです。

手術は確かな手順で終了しました。

手術中の全身管理と麻酔も、

わざわざ日本歯科大学の新潟病院の大橋準教授に担当して頂きました。

日本歯科大学新潟の麻酔科は、

今春叙勲された柬理十三雄前教授が手塩にかけて育てた佐野主任教授と、

新潟の学部長である藤井一維教授の率いる伝統の教室です。

難しい症例を執刀する時に私は、

自分の身を削って、

命懸けで、

メスを手にしています。

患部に完全に集中しなければなりません。

ですから、

全身管理には気を向けることが出来ません。

私の代わりに、

私が完全に信じて患者さんを任せられるのは、

この伝統の麻酔科のエースであり、

麻酔科長を務める大橋準教授以外には考えられないのです。

私が医師として患者さんに、

して差し上げられる手当ての全ては尽くしました。

でも今頃、

患者が不安感に案じて居られたならばと思い立ち、

お電話をと云う次第です。

このような私の心配性は毎度のことです。

私に出来ることは全てする積もりです。

本当に困ってお出でになられて、

恐い手術を決意されて、

その思いをシッカリと受け止める積もりです。

本当に困って頼って来て下さるからこそ、

私も命をかけられるのです。

唖然!

先ほどまで、

手術の際の全身管理を担当して下さった

日本歯科大学の全身管理科 科長である大橋先生を

マリンライナーまでお送りして、

帰宅した処です。

私、大橋先生、スタッフ共々、

クタクタになりました。

大橋先生がポツリと語りました。

イヤー、私も長年臨床やって来ましたが、

新潟県には歯学部が2校在るからでしょうか?

これほど凄まじい?治療の痕跡を観る機会はありませんでした。

どのような教育を受けて来られてか?

先生、手術の後の治し方を

記録して医局員たちに見せてやって下さいよ。

私の四半世紀は、

このような症例の後始末ばかりでした。

本音で、

同業者として腹がたちます。

この輩、

ホームページで堂々と

自己自賛の名医でいらっしゃいますから。

歯科医師の名誉にかけて

キチンと治して差し上げます。

それにしても、

コレが治療でしょうか?

センスとか、

技術とか、

知識以前の問題です。

全く意味不明な治療に唖然!