私は決めていたのです。
ご先祖さまのお祀りのケジメがついたら、
家長は息子に譲ると。
無論、
大学生の息子に経済力はありませんし、
ひとかどの大人になった訳ではありませんから、
当分は、
毎朝のお仏壇のお祀りと、
毎月のお墓参りは、
私が息子に成り代わり、
これまで通り。
が、
私は両親のご先祖さまの安住の環境が整い次第、
長男の重荷は下ろすことに決めていたのです。
家全般のことは、
息子の意見に従い、
私は【歯だけに専念】することに決めていたのです。
人が生きてゆく上で様々な荷物を背負います。
そのなかで、
様々な感情を抱えこんで生きて行くのが定めです。
青春期に歯科医師の道を志しました。
私のなかで、
良い歯科医師になることが
人生の目標点でした。
ぶれては、
今日の私はなかったでしょう。
しかし、
ぶれない自分を造るには、
自分をシッカリと持つ必要もありました。
技術的な問題は、
放っておいても、
私は自分で工夫し、
思案し、
前へ、前へと進むでしょう。
ただ、
人として心の豊かな人で居たいと思うようになりました。
怒りや恨みを抱えこんで、
生涯を終えたくはありません。
右の頬を打たれて、
左の頬を出す人にはなれないでしょう。
隣人を愛し、
何人 ( なんびと ) をも赦せる自分になれるのかも判りません。
でも、
諦めたくはありません。
良い人生であったと、
幕引きの際に、
そう思えるように、
カトリックのミサに昨朝、
初めて出かけてゆきました。
岡山県のノートルダム清心学園の校長先生である
三宅聖子シスターのご紹介にて、
県外のカトリック教会で学ぶ第一歩を踏み出したのです。