節目


先週の土曜日は臨時休診を頂きました。

先冬から懸念であった

母方の墓地の移転を執り行うことになったからです。

土の中から遺骨が観えました。

壺は長年の浸水のためでしょう。

土の重さにて割れ沈み、

遺骨と土が混ざっていました。

やはり血は濃いのだと思います。

素手で、

取り残しがないようにと、

眼を凝らして、

一片、一片、

更級の上に置いてゆきました。

私から数えて8代前までのご先祖さまです。

無論、顔は知りません。

が、

掌の上で、

仏さまの温かさを確かに感じていたのです。

墓石をクレーン車で持ち上げる際の、

生前、心配性であった祖母の案じる様を思い立ち、

さぞや不安がっているに違いないと、

心配ないから、

心配ないから、

と、

祖母の墓石に声をかける私は

やはり孫であることも実感したのです。

墓石の在った場所がすっかり整理され更地となり、

私は立ちすくんでいました。

長い間、

長い間、

本当にお世話になった土地に合掌し、

ご先祖をのせたトラックを

私が28年の前に三枝家の墓地として手当てした墓地の真横へと

助手席のご遺骨とともに先導して

真夏日のような讃岐路を通り抜けていました。

大きな、大きく穴を掘って、

ご先祖さまの遺骨を新しい土の中へと返しました。

香の煙の寺の住職の読経の中、

これで長男の家長の役目が終わったと、

私の人生の1つの節目を終えた心持ちとなりました。

息子が、

父ちゃん、墓参りが一ヶ所で済んで楽になったな!

と。

この跡継ぎ息子が、

いつ、

どのようにすれば、

ひとかどの男になるものか?

と、

先祖に心のなかで相談したのです。