カテゴリー別アーカイブ: ただの日記

夏の夜は

夏休みを過ごす小学生の娘の所作を眺めながら、

男女の差は在れども、

今時の子どもの大人しいことに

私は心配になります。

其の辺りが

他所さまの親御さんと私が

大きく違う処であることも自覚しています。

夏の夜には、

アチコチの鎮守の森はお祭りで賑わい、

夕食のあと、

皆から小遣いを貰って、

ポケットを手でシッカリと押さえて、

サンダルを履きながら玄関戸を飛び出して、

お参りもソコソコに、

電灯輝く夜店を徘徊する私は

なんとも言えない幸福な心持ちでありました。

で、

翌日。

小遣いはシッカリと取りあげつつ、

日頃から口喧しい婆やを

ここは一つ懲らしめてやろうと、

購入資金源が婆やであることはスッキリと忘れて、

ゴム製の大きな蛇を振り回す私がいました。

離れのトイレ、

昔は水洗ではありませんよ。

所謂ポットン便所です。

穴の開いた床の脇に、

用を済ませた後に使う紙が

小箱の中に重ねてしまっているのが常でした。

箱には取っ手のついた蓋があり、

これが昭和中期の日本の家でした。

私は必殺大蛇を

この箱に忍ばせたのです。

もう心はウキウキ、ワクワク気分です。

渡り廊下の向こう側の座敷の障子越しに

さぁさぁ早く、婆やよ!

其の際の自分の顔を覚えています。

結末ですか?

そりゃ大変なことになったのは云うまでもありません。

婆やは蛇が一番苦手であったのを

幼い私はシッカリと知っていたのです。

大勢の大人が、

糞まみれとなった婆やを救助し、

で、

私は翌朝まで蔵に閉じ込められた結末です。

それでも、

蔵の中で、

大いなる空想に耽っていたのです。

其処から生まれた【ネズミの忠太郎】という作品が、

大人になって、

一人前に子を持ち、

寝物語にて

子どもたちのワクワク気分を満たすことになりました。

今の子どもに、

当時の私の度胸はないでしょう。

夏の夜になると、

そんな昔を思いだすのです。

一日暮らし

海に行って

海の久遠を眺め

お弁当を    食べる

少しの貝と  少しのノリを採り

蒔きにする流木を拾い集めて     一日をくらす

山に行って

山の静かさにひたり

お弁当を      食べる

ツワブキの新芽と    少しのヨモギ

蒔きにする枯木を拾い集めて     一日を暮らす

一生を暮らす    のではない

ただ一日一日

一日一日と     暮らしてゆくのだ

 

【一日暮らし】山尾三省  氏の詞です。

この日がくる度に

今日は叔母の命日であったなと、

朝からお仏壇の前にて読経する私です。

帰りに叔母の好物であったモノを買って帰ろう

などと考えながら、

幼い頃の記憶に想いを馳せていたのです。

幼少期には、

随分と可愛がって貰ったにも拘わらず、

青年期以降、

私はこの叔母に辛く当たりました。

叔母は生涯を独身で通し、

年老いた両親の世話が叔母の家での役目でありました。

商家に嫁いだ母にとっては天敵、

不倶戴天の敵が叔母であったと言って良いでしょう。

橋田壽賀子氏の小説丸出しのような家事情であったことが、

私が商家を継がずに

家から逃げ出した大きな訳でも在りました。

私も54です。

毎日の読経のなかで、

今まで見えなかったものが

観えるようになりました。

叔母は私を赦してくれるでしょうか?

叔母の位牌を眺め、

叔母との時間が

走馬灯のように脳裏に浮かんできます。

もう直にお盆がきます。

叔母は私の元へ帰って来てくれるでしょうか?

人を苛めることを最も嫌う私は、

過去に自分が逆であったことを

認めています。

酷い自分であったと、

赦しを乞う時には、

もう其の人は居ないのだと。

長崎市に投下された原爆の悲しい日に重ねて、

私も心も沈みがちになるのです。

今の私にでき得る限りのことをして、

仏さまとなった叔母にひたすら詫びる。

鏡に写った姿が美しいものであるように。

 

 

歯の神経への気遣い

ダイレクトボンディング修復だからと言って、6

虫歯に罹患した感染歯質を徹底的に

取り除かなければ全く意味がありません。

虫歯が再発しますから。

タービンやエンジンなどの

回転切削器具も使いますが、

最後はヤハリこれです。

手先で丁寧に丁寧に。

神経に近い部分を

効率の良い回転切削器具を使うと危ない!危ない!

取り過ぎる!

注水していても歯の神経はシッカリと

摩擦熱を察知しています。

摩擦熱は神経が弱る原因なのです。

だから、

手先に持った小さな小さな鋭利なスプーンにて、

丁寧に、丁寧に。

これが神経には一番やさしい治療です。

帽子

【アルプスの少女ハイジ】のアニメを観て、

ですから、

小学校低学年の頃でしょうね?

お祖父さんが被るチロルハットを凝視する

自分の表情が手に取るように思いだせます。

4、5年頃になると

シャーロックホームズが難問奇問を解くさまを

白地に黒いペン一色で顕す挿し絵にある【あの帽子】。

頭頂で結んだ紐を解どくと、

両の耳が隠れると云うアレです。

無論、

私が大いに興味を抱いたことは云うまでもありません。

親類縁者にとって、

少年期の私の様が、

さまざまな種類の帽子で皆の記憶に残ったことも

云うまでもありません。

尚登へのお土産は【帽子】

それが皆の暗黙の了解であったそうな。

それほどに私は帽子が好きでした。

それが、

いつ頃からか、

私と帽子の付き合いは途絶えました。

色気ついて、

気恥ずかしくなったからでしょう。

それでも、

海外に赴いた際には、

野球帽にサングラスが、

私の定番でもありましたから、

私の潜在意識に帽子が刷り込まれていたのでしょう。

普段の私はスーツを纏っています。

スーツに野球帽と云ういでたちがマッチする筈はなく、

やはり普段の私から帽子は見られなくなりました。

が、

今年の猛暑の凄まじさに、

ついに思案に思案を重ねて、

帽子売り場へと足を運んだのです。

それでも、

大いに躊躇したのです。

某ニヒルな大臣のように観られないだろうか?

被っては鏡で写し、

で、

落胆。

傍目からすれば滑稽であったと思います。

何度繰り返したでしょう。

で、

ある黒い帽子が私の心を射ぬいたのです。

街にて、

妙な格好のオジサンを見かけたら

私かもしれませんよ。

馬鹿げた格闘

院長室の窓の向こう側は、

大きく左右に揺すられるように動く

大きな街路樹と、

風の轟音と、

車の挙げる水飛沫の音とだけ。

禁煙によるニコチンを欲する肺胞を

胸にジワジワと実感し、

実な肺胞に感情など在る筈もないことから、

本当は脳髄が、

そのような偽りの指令を出して、

私の心を試す以上、

挫折させようと云う意地悪さを、

そんな葛藤と戦っています。

しかし、

自分の胸部レントゲン像を診て、

繊維化が進んでいることに気づかぬ筈はなく、

健康を維持するには、

これ以上の喫煙は、

近い将来に必ず自らの頸を締める結末に至ると云うことを実感。

別の脳髄では、

明確にしなければならないことを

判っている筈にも関わらず。

気晴らしのキャンディの舐め過ぎでしょうか?

舌の先がピリピリします。

呼吸のリズムの度に、

大きく肺胞がニコチンを繰り返し繰り返し

欲しています。

人間関係に於いても、

このような場合もしばしば経験してきました。

心と脳味噌の判断結果の相違です。

この際には、

心持ちよりも脳味噌の判断の方が

冷静で正しいと、

これまた明確に判っているのですが。

難しい処ですね。

それに比べれば、

禁煙などメカニズムが単純ですから、

楽であると、

自分に自分で言い聞かせる。

そんな全ての局面に於いて

馬鹿げた格闘に四苦八苦です。

まだまだ未熟者

【置かれた場所で咲いた渡辺和子の生涯】

先に倉敷市中央図書館にて地元の歴史資料に夢中になっていた私が、

チョッと脳ミソの休憩をと、

違うジャンルの書棚へと移動し、

並んだ書物の背表紙を

指と眼で、

ゆっくりと移動しながら、

心にひっかかる一瞬を求めていました。

で、

先の書籍を引っ張り出したのです。

著者は保江 ( やすえ ) 邦夫 氏。

元ノートルダム清心女子大学教授であった氏を私は初めて知りました。

私は渡辺和子シスターとはお会いしたことはありません。

が、

氏はシスターの信頼を得ていたことが文面から察せます。

そういう意味に於いても、

この書籍は良い参考文献になると思います。

その中で、

【人間には上下はありません、しかし人格に上下はあります】

シスターの酷しい台詞に、

置かれた場所が安養な処でなかったことが想像できます。

私自身の未熟さをつくづく感じ、

反省させられる良いキッカケとなりました。

知らぬが仏と云う言葉があります。

言葉通りの意味合い以上の深い処を

味わっている今日この頃です。

図書館にて

夏に入ってからは、

暑さに悲鳴を挙げています。

幼い頃、

明確に虚弱体質で在った私は、

しばしば風邪で臥せって学校を休んでいました。

婆やの作る、

すりおろした林檎。

少しだけ甘い煎り卵。

味のないお粥をどうしても受け付けない私に、

薄い出汁でサラッと煮立てた雑炊など。

時々に思い出すのです。

で、

炎天下の車の運転でさへ、

私には堪えるほど、

今年の夏は異変を感じています。

笠岡市に在る教会までは、

高速道路を使っても2時間ほどかかります。

しばらくお休みしていたのですが、

昨日の日曜日は久しぶりに教会へと。

帰り道、

倉敷市中央図書館まで足を伸ばしました。

閉館近くまで、

時間の経過を忘れてしまいそうな位に

佳い図書館であったからです。

本当に倉敷とは不思議な街です。

自宅付近に香川県立図書館が在ります。

子どもの宿題の手伝いのために、

此処を訪問した際に大いに驚愕した記憶が甦りました。

倉敷市中央図書館の足元、

否、

つま先の先までも及ばないだろうと、

そんなマイナスの点に於いて、

地元の図書館を思い出したのです。

この差は何処から来るのだろう?

不思議でなりません。

図書館とは、

本を買わずに借りれる処ではありません。

図書館とは、

調べものの根拠と知恵を探す処だと、

私は、そう考えています。

そのような意味あいで、

2つの図書館を比べて、

ついつい、

文化度の懐の深さの差を

感じざるを得ないのです。

 

私は私

診療所へと向かう車が

吹き飛ばされそうに、

あるいは、

道路を転がる看板などを避けながら、

また、

フロントガラス一面をドサン!と、

大きな音と振動で、

覆い被さる路面の水溜まりの深さに、

これは本格的に来るぞ!

台風の到来です。

昨日までは、

日照りの中のカエルのようであった私です。

夏風邪がキッカケとなり、

体温調整機能の恒常性を失ったようです。

で、

元来の食の細い質に加えて、

この暑さですから、

自分の体力の【身の丈】を

実感したのです。

今度こそは3日坊主に成りたくありません。

断った煙草の禁煙も継続中です。

今回は、

この世には煙草なる物は存在しない!

そう、

自己暗示術を使っています。

ニコチン中毒で在ろうが、

無かろうが、

そんな事は関係ないのだ。

この世には、

煙草なる物は消えてしまったのだから。

そんなこんな感じで過ごしています。

で、

診療所に到着し、

今日の予定の患者さんにお電話を。

明日からお盆休みの前までに、

分散して来て頂くことに。

ですから、

明日から当分は、

診療所はバタバタするでしょう。

医療機関の宿命です。

最近では、

医療従事者も一般労働者なみの時間環境を

と云う机の上で考えたモットモらしい理論体系で、

現場と頭の中での理屈の解離に、

そろそろ気づいた方が良いのにと。

変な権利意識ばかりが発芽して、

我慢するここと、

克己心なんて日本語は死語になってるんじゃないでしょうか?

話しが反れてしまうのも、

まだまだ私に熱情が在る証だと思ってください。

スタッフの宮田君には自宅待機を命じました。

通勤の最中に事故が在ってはなりませんから。

「 先生は診療所にズット居られるんですか? 」

艦長は沈む船と運命を共にするからね。

こんな時だからこそ、此処に居ないとイケナイんでね。

今遇の考え方なり常識は、

既に私には理解不能です。

私は私です。

開き直ったのです。

梅干し

猛暑の影響にて、

食が細くなっていました。

私の患者さんは女性が大半なのですが、

しばしば、

先生に肉を別けてあげたい、

そんな会話を笑いながら。

朝、

なぜか【梅干し】を口に放りこんだのです。

ウム?

ジワ~っと、

口の中の粘膜から、

身体を元気にする基が

染み込んでゆくような【感じ】に気づいたのです。

ビンゴ!

って、

閃きが灯ったのです。

そこからです。

食を欲したいと。

昔の人の知恵に感心したのです。