カテゴリー別アーカイブ: ただの日記

最後の賭け

ある人との出会いが私の人生を大きく変えました。

歯科医学においては内藤正裕先生です。

内藤先生なくしては、

私の歯科医師としての今の姿はなかったでしょう。

個人的にも、

ある人との出会いが、

やはり私の人生を一変させました。

ある決意を自分の胸に硬く約束し、

私はその人との関わり合いを持ちました。

人は生まれも育ちも大きく異なります。

価値観や言葉の使い方、心の襞の違いに

大きく戸惑いながらも、

その兼ね合いを模索し、

私自身も成長できたように思います。

そのような意味合いにおいては、

私はその人に感謝しています。

しかし、

成長には苦痛も伴います。

これは歯科医学においても同じでした。

私との大きな差に、

大きな苦しみと、

時には怒りや苦しみを

味わう日々を余儀なくされたのも事実です。

私は硬く天に一度決意したことを

覆すことはありません。

しかし、

ある人との関わり合いは、

私を挫折直前にまで、

追い込むほどに苦しいものでした。

自分の仕事は、

自分の血と汗と涙、努力と工夫で

半分は解決できるものです。

後は運と時期、

天祐に左右されると思います。

しかし、

人との関わり合いは、

自分の力だけではどうにもなりません。

一生懸命に仕事に向き合い、

一生懸命に人と交わり、

私は断崖に立たされたのです。

そんな時に、

神さまのお導きでしょうか?

岡山県倉敷市のノートルダム学園の三宅シスターとのご縁にて、

私はカトリックの門を叩いたのです。

三宅シスターは、

あの有名な渡辺和子シスターの後任の校長先生です。

さぞ大きなプレッシャーとシスターは交わり、

日々を祈りを捧げて過ごしておられるでしょう。

ある人との関わり合いも18年になろうかと思います。

しかし、

16年ほどは、

私は地獄でした。

歯科医師として、

残りの人生を感謝と奉仕の心で過ごすために。

そして、

私にはどのような手立てを以てしても

悲しい心で、

全く自分の耳を塞ぎ、

頑なな心の人が、

【気づく】きっかけにならますようにと、

カトリック信仰に生涯を捧げる決意に

最後に賭けに出たのです。

毎夜、毎夜

私はその人のために祈りを捧げています。

朝は患者さんのために祈りを捧げて過ごしています。

父と子と聖霊、

そして、

聖母マリアさま、

聖ヨゼフさまが、

必ず門を開いて下さると

私は硬く信じています。

 

 

 

春が来ます

春が来ます。

私を取り巻く環境も、

大きなうねりを以て、

グルグルと大きく回転し始めているようです。

私はこの時のために、

日々を準備していたように思います。

心構えや、

心の準備、

日常の所作などなど。

例えば、

31日の夜、

高松市桜町教会の復活祭でのミサにて、

私はカトリックの洗礼を受けます。

患者さんの幾らかは、

教会へと足を運んで下さるそうです。

洗礼とは、

この世で1度死に、

神さまの御力にて復活し、

残された時間を敬虔に

感謝して過ごすと云う

新しい生き方を選ぶ誓いの儀式です。

同じキリスト教でも、

カトリックとプロテスタント系諸流派とは

大きく考え方が違います。

プロテスタント教会には、

イエスさまの磔された十字架はありません。

聖母マリアさまも、

多くの聖人の姿もありません。

聖書を中心に信仰の拠り所とするのがプロテスタント教会です。

しかし、

私は聖母マリアさまを信じます。

そして、

磔されたイエスキリストのお姿に涙するのです。

万能の神である父と、

古来日本の神々は、

もしかしたら同じ神さまかもしれません。

神さまとお会いし、

その会見談をした人は、

歴史的にモーゼとイエスさま位ですから。

私は万能の神さまを信じます。

私の新しい名前はヨゼフとなりました。

師匠である内藤正裕先生が名付け親です。

聖ヨゼフはイエスさまの、

この世での父親です。

大工を生業としていたそうです。

パリのルーブル美術館にある、

画家ラ.トゥールによる【大工ヨゼフ】と云う絵です。

私はこの絵に心を打たれたのです。

カトリックネームを師匠にお願いした際に、

間髪入れずに、

師は仰いました。

三枝!お前は歯の大工、大工ヨゼフに決まってるだろ!

私の診療室のドアの前の空間には、

内藤先生のおばあ様の描かれた【大工ヨゼフ】の絵が、

掲げられています。

私の診療所は、

見えない力によって護られている処だと。

そして、

カトリック信仰の中心である奉仕と感謝の心で、

歯の番人を務めてゆきたいと思っています。

私の診療台の前には師匠の写真を掲げています。

その前に、

幼いイエスさまを抱く聖ヨゼフ像です。

これからの私は、

歯科医ヨゼフとして、

大勢の患者さんを抱いて、

手当てに尽くす日々を過ごすこととなります。

また、

4月1日をもって、

私の大学での仕事が大きく変わることを、

学部長から伝えられました。

誠に名誉ある光栄の至りであります。

私は日本歯科大学において、

歯科医学のい・ろ・は・を教えて頂きました。

私の医療倫理、医療哲学は勿論、

歯科医師としての生き方の原点が

日本歯科大学に在ります。

私の微力が母校のお役にたつのであれば、

どんな労苦も惜しみません。

考え方も大きく変わりました。

春が来ます。

大きな変化

深夜の0時は回っていたと思います。

私も診療所で調べモノをしていました。

携帯電話が鳴り響きます。

???

日本歯科大学新潟生命歯学部の学部長です。

受話器の向こう側から、

いきなり、

先生、起きてます?

ええ、この頃は調べモノが多くて。

今夜は帰宅出来そうにありません。

そんな他愛ない話しから、

次第に、

仕事の話しへと。

最近の私は、

腹が座ったように思います。

歯科医師として、

生きることをです。

目の前に大きな壁が

立ちはだかる機会もありますし、

頭を抱えるような難しい症例もあります。

そういう時、

ソファーの腰を下ろして、

ミサのCDを聴くことにしています。

持ち歩く鞄の中の、

新約聖書とカトリックの祈りの本。

小袋の中には、

小さな聖母マリアさまの絵の描かれた折り畳み式の何てモノでしょうか?

それとロザリオを入れて、

いつも持ち歩いています。

私は歯科医師であり、

私はカトリックを信仰する者。

その自覚が、

私の行動に大きな変化をもたらせたと自覚しています。

聖書の中のルカによる福音の受胎告知の場面は、

私を何度も感動させてくれますし、

ヨハネの福音書の冒頭の言葉は

私の心の琴線に触れるのです。

東京の聖路加病院の名前の由来は、

このルカによるモノだそうな。

白衣を纏う医療人の心構えに

聖書はとても、

道しるべになってくれることを

この歳になって知ったのです。

自負

昨日やっと、

今年の特別講義の準備が終わりました。

日本歯科大学に入学したばかりの

1年生に対する、

【プロとしての心構え】を認識して貰うための

【プロフェッション】と云う講義です。

私が担当して、

早いもので11年になりました。

原稿はありません。

相手は未だ高校生みたいなもので、

医学を学ぶ学徒の顔ではありませんから。

彼らを知らず知らずのうちに、

三枝ワールドに引き込み、

歯科医学の戸を、

自らの手で開くきっかけを創る。

これが大学から私に与えられたミッションです。

良い歯科医師を世に送り出すことが、

私ども日本歯科大学の使命です。

そこに我が国最古で最大の歯科医学教育機関の自負があるのです。

メタルボンド修復

オールセラミック修復全盛の歯科界ですが、

私はメタルボンド修復を頻用します。

メタルフリーは金属アレルギーになりませんと云うのは

嘘八百です。

セラミック本体の中には、

多くの金属が含まれていますので。

オールセラミック修復の利点は、

金属の裏打ちが無いので、

色が出しやすい。

ただそれだけです。

歯とに適合も、

金属には遥かに及びません。

最近流行りのセレックですか?

あのメーカーは超一流の機材しか作っていません。

私の診療椅子も、

そのメーカーを何十年と、

入れ換えては、

浮気しないで愛用しています。

が、

あのセレックだけは、

頂けません。

精密な歯などと云う代物ではありません。

ブカブカの不恰好な完成品に

目がたちくらんでしまいます。

絶対的に安定した修復物は

今現段階においても、

メタルボンド修復だと確信しています。

この大型のインプラント修復もメタルボンド修復です。

本当に上手な歯科技工士の造るメタルボンド修復は、

普通の歯科技工士が造るオールセラミック修復よりも

断然に自然観に溢れています。

男なら

7年前の今ごろは、

立ちはだかる雪の壁の山道を、

太平洋側の仙台市に向けて、

山形県山中の小道を

ひたすら駆け走っていました。

気が狂ったように、

息子の名前を叫びながら、

涙で顔中がぐちゃぐちゃになり、

ハンドルにしがみ付いていたのです。

繰り返し繰り返し流される

ACのナレーションが

ヤケに癪に障っていました。

と言って、

新たな情報が発表されるかもしれず。

ただ、

今思えば、

あの時の報道なんて、

いい加減なモノばかりだったことが判ります。

民主党が分裂し、

二人の代表選が行われましたが、

その演説に、

私はのけ反ったのです。

被災者に対して、

国民に対して、

次から次へと放った嘘八百の落とし前を

あの方々はとっておりません。

あの被災の大半は、

人災であったと痛感し、

緊急時の対応に納得された国民は皆無でしょう。

多くの死者の姿に触れて、

私の怒りは消えません。

最近、

森友学園問題で賑わしい報道ですが、

どちらもどっち。

野党が与党を非難しても、

みんな判っているんです。

あなた方は、

挙げ足をとるだけの人々。

政権運営ができなかった人々。

また、

与党に関しても、

もっと上手い対応して下さいと。

世間では【そんたく】など当たり前。

みんな優等生ばかりで、

喧嘩が下手になりました。

世の中ってのは不条理なモノですから。

私は政治向きには全く関心はありません。

が、

高齢者、

若い世代、

安心して暮らせる国創りを

本気で取り組んで下さい。

だからこそ、

政治家、役人と云う職責に自ら望んで

就いたのでしょう?

私には私ができる歯科の仕事を

精一杯、

努力する。

それが男ってモンじゃあないですか?

外観と実際の間には

クラウンが外れて、

ズット放置しておいたのだそうな。

ここまで来れば、

まさかこの根だけになった歯が

残るとは思っておられない様子。

根も真っ二つに折れています。

抜いて、

インプラント入れましょう!

って言われたのだそうな。

で、

私の診療所へお越しになられました。

歯肉に被われていますが、

このような症例においては、

根を被う表面の骨が

楔のように溶けているものです。

そのままインプラントなど入れようものならば、

インプラントの頬側の骨が無い訳ですから、

インプラントが剥き出しになってしまいます。

じゃあ、

ブリッジにしようか?

そう考えてみたのですが、

抜歯の今日、

さぁて麻酔注射をと、

粘膜を視て、

ガ~ン!

大臼歯の真下の歯肉にフィステルが!

前に2名の歯科医師によって

根管治療が施されたとのこと。

クラウンを外して、

精密検査しなければ、

折れ易い根であれば、

ブリッジには使えません。

抜歯の際に、

粘膜を開いて、

双方の歯の骨を視てみました。

ねっ!

簡単ではないでしょう?

 

 

度胸と肝の太さ

先の東北大震災を自分の肌で経験し、

報道を全く信用しなくなりました。

ですから、

新聞もテレビニュースも

ある程度の参考までに

としか。

だって、

原発にしても、

メルトダウンしてたじゃないですか?

あの時の官房長官のコメントは?

現地での、

必死の作業を知ってますか?

放射能が怖いって文句は

誰も言いませんでしたよ。

目の前の地獄に、

少しでもお役にたたねば!

当事者みんなが、

そうだったんです。

私にしても、

圧倒的な放射能を浴びてるでしょうね。

石巻市に私の姉は嫁いでいますが、

家族一同で、

香川県に逃げ帰っていました。

当然かもしれません。

事務所から何から何まで

流された訳ですから。

会計士ですし。

ただ、

医療人は、

そこの辺りが、

一般の常識とは違うべきだと思いますし、

実際、違うんでしょう。

病気の人たち、

多くの死者のなかに、

職責があると云うただそれだけで、

飛び込んでゆくんですから。

自衛隊、消防士、警察官、

水道管やガス、電力工事の現場作業員。

みんな同じでした。

が、

本社で指示する背広組、

今では憤りも感じませんが、

同じ人間だとも思いません。

東北の真の復興は、

霞ヶ関の役所の東北移転が第1歩だと

私は確信しています。

東北が安全で、

人々が安心して、

自分の子どもたちの成長と思い出の地と

担保でき、

本気で東北の復興を決めるなら、

家族一同で東北に移住し、

国の政治の中心にすれば良いのです。

土地は充分に余っているのですから。

高速道路も新幹線。

アメリカのように、

仙台や福島をワシントンにすれば良いのです。

政治家に対して、

一歩冷めた視線を向けるのも、

そんな度胸もない、

そんな行動力もない、

そんなリーダーシップもない、

それを国民が感じているからです。

 

 

7年経っても

昨日の昼下がり、

息子から電話があり、

もう7年も経つんだねと、

互いの7年前を思いだし、

海を仰いで、

祈りを捧げたのです。

あの日の翌日である今日の今頃、

大空から降り舞う雪の彦根城の前に

立って、途方にくれていたのです。

夜明けを待てずに、

大阪市を車で出発した私は

一路新潟を目指して、

北陸道を駆け走る積もりでした。

が、

春目前にも関わらず、

京都過ぎ、

比叡山の滋賀越え辺りから

激しい雪に見舞われたのです。

雪規制のために、

私の車は走ることができません。

彦根インターにて、

泣く泣く、

高速道路を降りる羽目となったのです。

朝早いので、

何処の店も開店してはおりません。

数ヶ所のタイアショップを探し周り、

なすすべもなく、

彦根城の天守閣の前に

呆然と立っていた私は、

当時の心持ちの

瞬間瞬間を

今でも鮮明に覚えています。

量販店の常識的な開店時刻である10時までの、

長かったこと。

10時から、

彦根中を走り周りました。

季節外れのスノータイアを探すためです。

有名店など、

端から相手にしてくれませんでした。

何件あたったものか。

そんななか、

タイア館の店長さんには、

今でも恩を忘れることができません。

私の事情を聞くや、

お父さん、

絶対に宮城まで行かせてあげます。

タイアの在庫は神戸市に在るようです。

今から車で、

此処まで持って来させます。

運賃なんて要りません。

午後の1時には、

此処を出発できます。

タイアは安心して下さい。

新潟へは夜遅くになるでしょう。

新潟で情報をとって、

日が明けてから山形経由で。

長いですよ。

今、身体を休ませておいて下さい。

息子さんのこと

ご心配でしょうが。

この時ほど、

人の情けのありがたさを

しみじみ感じたことはありません。

息子の今日あるのは、

このタイア館の店長さんのお蔭です。

ハンドルを握りながら、

仮に息子の身に何か在れば、

私も生きて帰る積もりはありませんでした。

被災地の模様を、

私は明日の午後に

実際に自分の眼でもって

体験する訳です。

呆然と立つ息子を

新潟市まで回避させ、

再び宮城まで舞い戻り、

私は歯科医師であることの

意味を初めて、

思い知ったのです。

それからの私の、

歯科医師としてのアイデンティティーは、

腹が座ったモノになりました。

歯科医師しかできない業務があることを

身をもって経験したからです。

ただ、

毎年繰り返される

あの日の報道がテレビで流される都度に、

私の心は不安に怯え、

身体も小刻みに震えるのです。

あの日の記憶は

生涯消えない大きな傷となりましたのも事実です。

被災地の方々の日常は、

今も当時と大きくは変わってはおりません。

共に味わい、

共に祈りを捧げる。

私はそう思います。

 

 

予知する能力

49歳の女性の口腔所見です。

下顎の歯肉を注意して観て下さい。

左右の差がお分かりになりますか?

この方の初診は24年前です。

今では立派な大学生のお母さんですが、

当時はきゃピきゃピの証券会社のOLさん。

歯列矯正治療を成長期に受けておられたのですが、

これは、

完全なる矯正治療の失敗症例でした。

様々な問題が、

将来的に予想されました。

歯肉退縮も予知されました。

でも、

患者さんには理解できっこありませんよね。

左右に治療の差を付けました。

左側には歯肉移植を。

右側は、そのままで。

25年経って、

その差が歴然ですね。

当然、

左右での、

歯のグラグラ度合いも違います。

私らの仕事には、

将来の予知も大切です。