カテゴリー別アーカイブ: ただの日記

歯科医師の務め

今月の31日復活祭の夜のミサにて、

私はカトリックの洗礼を受けます。

倉敷市のノートルダム学園の校長先生でもある

三宅シスターも、

お忙しいなか、

立ち会ってくださることになっています。

私が手にする聖書は、

師匠である内藤正裕先生から頂いたもの。

私はなんと恵まれた者でしょうか!

その時を一刻一刻と、

朝の祈り、

夜の祈りを捧げ、

心の準備に入っています。

昨夜、

珍しい人を思い出して、

古い手帳を捲ってみたのです。

で早速、

携帯電話をかけました。

今の時代では誠に不謹慎な話しですが、

この国にもある時代には、

寛容な?部分もありました。

私には尊敬する叔父がいました。

私は確実に彼の背中を見て、

物事の判断基準を身につけました。

ただ、

誰しも欠点はあるモノです。

海軍兵学校を卒業し、

大戦を経験し、

その後に、

産婦人科の医師になった彼でした。

彼が聡明な伴侶に恵まれなかったことが

唯一の悲しい運命であったと思います。

その境遇と仕事のストレスから

逃れるためでしょうか。

彼は数名の女性との関わり合いがありました。

モテるんだから、

仕方がないじゃないか。

私は本心では、

そう思いましたし、

叔父を責める気持ちは毛頭ありません。

カトリック洗礼を受ける私は

戒律によりと云うよりも、

女性は世界で1番恐ろしいと

思うに至り、

もうその辺は卒業したのです。

ここだけは、

私は叔父よりも賢明になりました。

で、

電話をかけた相手は、

亡くなった叔父の

元交際相手以上妻以下の女性のうちの一人です。

私の声を聞いて、

あらぁ?尚登君?

何かあった?

私の学生時代のままの対応は、

かえって嬉しく感じました。

叔父の死後、

大いなる紛争が生じたのです。

よくある話しです。

その結果、

叔父の遺骨は、

未だに先祖の墓地に埋葬すらされておりません。

財産や権利、

様々な都合によって、

声なき叔父は、

浮かばれていないのです。

叔父の家は既に絶えました。

昨年、三枝家の墓地の隣に場所を準備し、

叔父を除く私の祖父母から

全ての先祖の遺骨と墓標を移転しました。

私の母方の先祖だからです。

血を受け継ぐ者の責務だと

自然な考え方だと思っています。

仏教の考えでの、

因縁をここで断つと云う思いで、

私は電話を入れたのです。

私がカトリックに改宗すれば、

私は三枝家の当主ではなくなります。

当然、

仏教の墓には入れません。

諸般、愚息との相談の上で事を進めたのは、

愚息がその役割を引き継がねばなりませんから。

無論、

お仏壇や墓地の日常の供養は、

今まで通りに。

愚息が一人立ちするまで、

私が代理で行いますが。

私のなかでのケジメをつけなければ、

愚息に申し訳がたちません。

昨夜、

無事に叔父の戒名と命日を記録することができました。

墓標に刻んでやれると、

一段階前に進んだのです。

遺骨は必ず戻って来るでしょう。

死ぬ間際に、

両手を合わせて、

讃岐に帰りたいと

涙を初めて見せた叔父ですから。

今、

私を取り巻く環境が大きく変わろうと

グルグルと回転し始めたように思います。

天のお導きを感じざるを得ないのです。

人の生涯と云うのは、

誠に短く儚いものでしかありません。

歯を診る、

そして、

人を治すのが、

歯科医師としての務めであることを

カトリックとの短い関わり合いですが、

気づいたのです。

 

 

私の根菅治療

今まさに根菅治療の最中です。

治療中なのに、

何でブログが書けるんだ?

レントゲンの現像待ちの間の

チョッと休憩中だからです。

が、

もう行かねばならないようです。

後は治療が終わった後に。

朝の10時半から始めた

下顎第1大臼歯の根菅治療です。

今12時です。

1つの根菅はMTAセメントにて

根菅充填まで終了しました。

マイクロスコープ視野にて、

根菅の先端まで視えますから、

確実な手当てができるのです。

先の休憩は、

そのあとの一服と云う訳です。

残りの2根菅は、

綺麗に拡大形成するまでで。

お薬を入れて、

次回、

根菅充填を行う方が良いと判断したのです。

この際には、

通常通りの方法にて行う予定です。

根菅治療の良し悪しは、

歯科医師の頭の良し悪しとは関係ありません。

手先の器用さで決まります。

これが悲しい現実でもあります。

だから、

私らは書物に向き合うのも大切ですが、

指先の鍛練も怠れないのです。

私の根菅治療の極意ですか?

ただヒタスラ、

シツコイに尽きることです。

主の祈り

昨日、

ふと思い立ち、

早朝ミサに出かけてみたら、

とても気分の良い1日を過ごすことができました。

で、

今朝も。

最初から、

そんなに気張ることはありませんよと、

高齢の女性が微笑みながら仰いました。

今朝のミサは、

四国司教さま自らが執り行った

とても厳粛なモノでした。

あぁ、清々しいと、

大いに満足し、

教会の地下から階段を登ると

日が射していました。

しかし、

変われば変わるモノだと。

大学2年の時に、

ラテン語の講義がありました。

私の成績簿には、

しっかりと欠点と記録されています。

講義は外部からの非常勤講師として

授業をサボっているので、

お名前は全く記憶にありません。

が、

教会の神父さんだったことだけは

はっきりと覚えています。

なぜなら、

お召しになった衣装と、

先生が黒板に向かっている際に

タイミングを見計らい、

教室の後方の窓から逃げ出す私の背中に

コラ!サタンよ!待てぃ!

それだけは明確に記憶しているからです。

息子の日常に

秘かに胸を痛め、

頭を抱える愚かな父である私です。

が、

当の私も、

今の息子の源流が自分であることを

大いに自覚していますので、

口を閉ざすしかありません。

少年老いやすく学成りがたし、

とは上手いことを云うモンだと

昔の人を大いに称え感心するのです。

それにしても、

ありがたいのは

技術の仕事。

勝手に手先が、

意識とは関係なく

動いてくれるのです。

身に付いたモノとは、

こういうことかと。

昨夜、

就寝前の読書にて、

お茶の水女子大の先生の随筆と聖書を

交互に眺めながら、

つくづく集中力の欠如を痛感しています。

この頃は、

若い人たちを

温かい眼差しにて

エールを送っている自分を感じています。

昨日、

日本歯科大学病院の副院長である黒川教授と

電話にて、

笑いながら雑談に興じ、

互いに、

悪ガキ大将の頃を懐かしみながら、

三枝よ、お前の役目だからな!

と、

念を押され、

私は頭を抱えたのです。

母校のシンボルマークを掲げた白衣を纏う責任を

私は十分に認識しているからです。

4月16日が、

大学での新しい仕事の初日です。

明確にされたことで、

心を整えるために、

主の祈りを唱えて過ごしています。

 

 

なんだコリャ?

私も随分と長い間歯科医師をやっていますが、

ある歯科医院から転院して来られる患者さんの

口腔の中を視る都度に、

なんだコリャ?

一瞬、

眼鏡なりルーペを外して、

眼を擦るのが常となりました。

セラミックで造られた大臼歯だそうな。

私は他の動物の歯を間違えて、

無理やり入れたのかと思いました。

このような状況で入っている訳です。

数万円請求されたとのこと。

上物がこの程度ですから、

根菅治療なんて、

そりゃ!凄まじいですよ。

類い稀な不器用と言う素質と、

綺麗、醜いの区別のつかない類い稀な視力と感性。

この修復はセレックによる製作物もどきですが、

いくら私がセレックを好まないにしても、

セレックも、

これほど酷い代物を造られてるとは

全く知らない、

見たことがないと思います。

モノには限度と云うモノがあり、

これは最早、

治療と呼べる領域のモノではありません。

歯科大生が、

初めて歯を削る実習の際は、

マネキン人形の口にセットされた人工歯で行います。

それでも、

この奇才の歯科医師よりは、

ずっとずっとマシに削りますよ。

国家試験は筆記試験ですから、

この奇才の方には幸運だったのでしょうが、

私の知る限り、

1位か2位を争うほどの

手先と眼をお持ちだと思います。

歯科医師は口が上手いのが

特なのでしょうか?

 

早朝ミサに初めて参加する

お彼岸の間、

お供えした花とお酒を

かたづけしようと、

郊外の墓地まで、

暗いうちに車を走らせたのですが、

墓地付近は闇夜にて、

全く視界がありません。

お化けなどは怖かぁありませんが、

転んで怪我でもしたらと、

コンビニを探して懐中電灯を購入。

で、

再び墓地へと舞い戻ったのです。

簡単に掃除して、

お線香を焚き、

香の煙を振り返りつつ、

足元を懐中電灯で照らしながら、

春の行事を終えることができました。

やっと東雲頃合いになったようです。

家に戻り、

スーツに着替えたものの、

診療所へ行くには少々早すぎると。

そうだ、

教会の早朝ミサに行ってこようと

思い立ったのです。

日曜日のミサは大講堂にて午前10時から

執り行われますが、

平日のミサは早朝6時30から、

地下の霊安堂にてと予てより聞いておりました。

聞いた当初は、

教会の地下のカタコンベ!

なんだか近寄る気持ちにはなれませんでした。

でも、

私も変わりましたよ。

旧約聖書の最初の創世記の格調高い文章に触れると、

科学を遥かに越えた大きな力を確信するのです。

目に見えないモノは信じないと云う人が居られました。

では、

電波は?

放射線は?

ついでにあなたは人の心が見えるのですか?

見えないのならば、

人を信じないのですか?

現在、実証されていない事象の方が多いことを

知識階級でなくても、

判っていますよね!

話しは戻り、

教会の地下への階段は、

おどろおどろしい雰囲気など皆無で、

意外だったのです。

小さな霊安所の前に祭壇が設けられ、

高齢の女性が6人、

私より少々年少の男性がお二人。

70間近のおぼしき紳士がお一人。

どうも皆さん常連の様子。

訳の判らない間抜け顔だったのでしょう。

あぁ、今度洗礼を受ける方ねと、

皆さんが大変親切に指導してくださいます。

男って駄目ですね。

どうしてもスーツを着こんで居られる人の方が

語りかけ易いのです。

朝のミサは細かな処が異なりますので、

横に付いて教えて頂きながら、

神父さんから祝福を頂きました。

雑談のなかで、

この紳士が微生物学者であること。

現在は弟子に教授を譲り、

研究員として、

今でも大学にて研究を楽しんでいること。

そんななかから、

たんぱく質の話しになり、

そこから口腔内のバイオフィルムの話しへと。

教会前の駐車場に立ち、

互いの同じ匂いを感じとったのです。

立っている処を見上げれば、

聖母マリアさまが見えます。

この縁も聖母マリアさまのお導きだと

感謝したのです。

よし、

平日の早朝ミサにも挑戦すっか!

そんなルンルン気分にて、

診療所のドアを開けたのです。

知らぬが仏

私には、

そのような経済力はありませんし、

宝くじの1等に当たっても、

フェラーリだけは買いません。

父ちゃん、仮に景品で現物を貰ったら?

あり得もしない馬鹿なことを聞く息子です。

要らねぇな。

直ぐに売っちまうよ。

別にフェラーリが悪い車だとは思いません。

が、

普通に考えて、

地道に汗を流して働いている人に

買える車ではありません。

成功者の証に、

私は何の悪意もありませんし、

凄いなと感心の拍手を送りますよ。

単に、

フェラーリを転がして居られる方と、

私とでは、

匂いが違う。

それだけのことです。

が、

それでも、

往年のこのフェラーリだけは別物です。

ディーノ。

この車が似合う男は、

単にお金を腐る位持っていても、

そうざらにはいませんよ。

持ち物って、

そういう類いのモンじゃないですか?

よく歯科医院のホームページで見るじゃないですか?

最新のCTを導入しました!

最新の○○を使っています!

でも、

腐った眼と手先では、

無用でしょう?

また、

一向にホームページのリニューアルもしていないので、

最新である筈のCTが、

今では廃品程度の値打ちしかありませんよ!

知らぬが仏と云う言葉がありますが。

車にしても、

医療技術にしても、

自分自身の立ち位置にしても、

知らぬが仏なのでしょうか?

この車はアルピーヌ.ルノー。

メルセデスも、

これなら格好良いですね。

眼を肥やすことが大事なんですね。

 

自然に

女性の方です。

新居に移られると云うことで、

古い蔵書に困っておられるのだそうな。

聞けば、

私にとっては宝の宝庫。

古本屋に見せれば高く売れると思いますよ。

ところが、

診療に通われる都度に、

大きな袋が破けてしまうように見えます。

先生、この本はお好きでしょ?

私に下さるために、

重い重い荷物を持って来てくださいます。

70過ぎの女性には、

とてもとても大荷物。

本の背表紙を観れば、

やはり宝物。

でも、

私にとっては、

本の価値よりも、

この患者さんのご厚意が尊い宝物です。

しかも、

私の好みを外していません。

よく私をご覧になっていたのでしょう。

医療は人と人との関わり合いです。

患者さんが私に身を委せて下さることに、

ありがとうございます。

患者さんが私を選んで下さったことに、

ありがとうございます。

私を信じて、

治療に通って下さることに、

ありがとうございます。

私は医師足る者は、

患者さんのために生きていると

普通にそう信じてきました。

良い格好する訳ではありません。

昨夜、

息子との電話での会話にて、

歯科大学の合格発表の時に、

歯科医師免許を頂いた時に、

良い歯医者になろうと、

その都度に、

決意した気持ちは、

今でも全く変わってはおりません。

だから、

父は努力など、

無理してはしていないのだと。

歯と関わり合い、

楽しかった!

これからも、

歯と共に生きる。

父の生涯は、

このように単純なモノなんだよ。

 

 

総合診療

初診でお越しになられた時の、

私の驚きようといったら。

いろんな症例を拝見していましたが、

これには流石に!

この結果は、

ある歯科医師の為した結末です。

しかも280万円もの御費用を頂いての

結末です。

本来はお綺麗なお顔の造りをされた

恵まれた容姿の女性です。

しかし、

口元は人の顔を壊します。

治療の経過は、

時々にご報告させて頂きましたから、

あぁ、あの方か!

思い出される方も多いでしょう。

今日、

9割まで完成に至りました。

インプラント治療も使いましたし、

義歯の治療も使いました。

 

治療の途中から、

お好きな蓮根も、

何でもお召し上がりになられるようになりました。

あとは、

義歯を入れておられることを忘れさせる

微妙な粘膜の処理が仕事です。

これが、

総合診療なのです。

今日の患者さんです。

いかがでしょうか?

たまのゆっくりと

せっかくの彼岸の中日であるのに、

小雨模様。

早朝から車を出して、

市へと出かけ、

お墓へお供えする花や讃岐の餡餅などを

買い求め、

線香の煙が墓標に漂う頃には

もう既にお昼前になっていました。

これも長男の役目ですから、

冬から春への一区切り。

安堵したのです。

久しぶりにゆっくりしました。

内藤先生から頂いた聖書を読んだり、

車の下回りの掃除をしたりで。

4月からは、

仕事が目一杯です。

束の間の休日は、

神仏からの贈り物だと思います。

王道を歩く

カトリックの門を叩いて、

まだ1年経っていません。

ひよっ子ですよ。

ですから、

先ずは新約聖書を求め、

それも、

前半のマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネによる福音だけに

搾って、

何度も読み返している段階です。

で、

後半に入ろうと、

頁を開いて、

少々眼を通し、

まだ私には早い。

基本にたちかえろうと、

手を付けずにいた、

旧約聖書に取り組みことにしました。

頁を開いて、

なんと、

自然に頭に入ってくるのに

戸惑いました。

で、

ハタと、

気づいたのです。

歯科医学の研鑽と同じであったと。

新しい技術の説明書には

将来への保証も、

足腰の強さもないのですよ。

古典的な過去から今日に至る治療方法の変遷を学びながら、

技術を身に付けてゆく。

手間隙かかる作業ですが、

これが、

何かを身につけるための王道だと

改めて実感したのです。