昨日、
ふと思い立ち、
早朝ミサに出かけてみたら、
とても気分の良い1日を過ごすことができました。
で、
今朝も。
最初から、
そんなに気張ることはありませんよと、
高齢の女性が微笑みながら仰いました。
今朝のミサは、
四国司教さま自らが執り行った
とても厳粛なモノでした。
あぁ、清々しいと、
大いに満足し、
教会の地下から階段を登ると
日が射していました。
しかし、
変われば変わるモノだと。
大学2年の時に、
ラテン語の講義がありました。
私の成績簿には、
しっかりと欠点と記録されています。
講義は外部からの非常勤講師として
授業をサボっているので、
お名前は全く記憶にありません。
が、
教会の神父さんだったことだけは
はっきりと覚えています。
なぜなら、
お召しになった衣装と、
先生が黒板に向かっている際に
タイミングを見計らい、
教室の後方の窓から逃げ出す私の背中に
コラ!サタンよ!待てぃ!
それだけは明確に記憶しているからです。
息子の日常に
秘かに胸を痛め、
頭を抱える愚かな父である私です。
が、
当の私も、
今の息子の源流が自分であることを
大いに自覚していますので、
口を閉ざすしかありません。
少年老いやすく学成りがたし、
とは上手いことを云うモンだと
昔の人を大いに称え感心するのです。
それにしても、
ありがたいのは
技術の仕事。
勝手に手先が、
意識とは関係なく
動いてくれるのです。
身に付いたモノとは、
こういうことかと。
昨夜、
就寝前の読書にて、
お茶の水女子大の先生の随筆と聖書を
交互に眺めながら、
つくづく集中力の欠如を痛感しています。
この頃は、
若い人たちを
温かい眼差しにて
エールを送っている自分を感じています。
昨日、
日本歯科大学病院の副院長である黒川教授と
電話にて、
笑いながら雑談に興じ、
互いに、
悪ガキ大将の頃を懐かしみながら、
三枝よ、お前の役目だからな!
と、
念を押され、
私は頭を抱えたのです。
母校のシンボルマークを掲げた白衣を纏う責任を
私は十分に認識しているからです。
4月16日が、
大学での新しい仕事の初日です。
明確にされたことで、
心を整えるために、
主の祈りを唱えて過ごしています。