カテゴリー別アーカイブ: ただの日記

主治医の責務

今日は午後の4時からの診療です。

ソレまでですか?

岡山市に行ってました。

長い間、

私の患者さんである○○さんに

付き添って、

大学病院へ出向いていたのです。

私の専門外の医科の分野ですが、

某医院にて、

ある病名の診断を受けた○○さん。

難しい病気で、

その医師から具体的な専門病院を紹介されなかったとの事。

相談を受けていたのです。

病気によって、

得意分野が違うのは正直な処です。

で、

私のネットワークから、

○○さんの治療に相当する名医を聞き出し、

予約を取り、

私の患者さんに対して、

キチンと対応して下さる医療機関かを

自分で確かめるために、

同行したのです。

これは、

○○さんに限った行いではありません。

長年の患者さんを、

初めての病院へとご紹介する際には、

東京でも何処でも、

私は一緒に行くことを

私の職責の一部であると考えてきました。

ソレが、

自費治療専門医の自負でもあり、

患者さんと共に寄り添う主治医の義務だと。

○○さんは、

決して待たされることなく、

専門分野の教授の診察を受けて、

スムーズな検査へと進み、

即座な確定診断を受けて、

今後の治療のレールに無事に乗る事ができました。

とても安堵したご様子の○○さんでした。

病院側も十分なご配慮をして下さり、

私の面目も大いにたちました。

用意された車に乗り、

たった今、

診療所へ帰って来た処です。

ホスピタリティとは、

患者さんを

○○様と呼んで、

変な処でサービス精神を発揮する事ではありません。

私は歯科医師です。

歯科分野を専門とする医療人です。

すなわち、

患者さんと云う人の病気を与ることを職業としているのです。

長年の私の患者さんが

病気でお困りの際には、

私が居るぞ!

ソレが私の存在価値だと思って、

そうでなければ、

診療などできませんよ。

口先だけのサービス医療を

私は軽蔑しています。

時には、

患者さんを叱ります。

ソレが理解できない人は、

私は他の歯科医院は沢山ありますから、

ソチラでどうぞと云う姿勢です。

患者さんに対して、

大きな敬意と尊厳を重視していますが、

なにかの次いでに治療すると云う姿勢、

ナンでもカンでも他力本願と云う姿勢、

お金を払ってルンだから治療しろと云う姿勢、

患者権利の履き違いをする不道徳な方には、

私の診療所は扉を閉ざします。

私の診療所は、

困った方の駆け込み寺?教会か?

そのような考え方で、

通してきました。

歯なんか!

そのような方には、

私は大いなるヤブ医者、

態度のデカい不届き者でしょう。

でも、

絶対的な三枝ファンに支えられているから、

私は器具を手に出来るんです。

大勢に埋没したくありません。

唯一無比の少数派であることが

私の流儀ですから。

チョッと生意気ですみません

1本、

歯の先端が欠けていますが、

この歯を観て頂きたい訳ではありません。

写真に映るこれらの歯は

ほぼセラミック.ベニア修復です。

既に16年は経過しています。

歯の表面を、

薄く貝殻状に削って、

セラミックのシェルを

接着剤にて、

歯のエナメル質と一体化させる治療です。

先端が欠けた歯の

向かって左側のシェルが、

外れて壊れてしまったのです。

で、

ダイレクトボンディング修復にて。

口腔内で、

私がマテリアルを直接

盛り上げて、

歯を造りました。

どうでしょう?

珍しい歯科医院

先日、

新患でお越しになられた女性患者さんは

税理士の先生でした。

で、

完全自費治療の歯科医院で、

これだけ新患が多いのはスゴい!ですねと。

私ですか?

私も、

同じ心境です。

それだけ、

健康保険診療取り扱いの歯科医院が

本当に患者さんが歯で困った時には、

信用を失いかけてるってことでしょう。

どのジャンルにも言えることですが、

たった1つだけの存在になる勇気がなければ、

夢も目標も、

絶対に叶えることは出来ないでしょう。

勇気さへ在れば、

辛くても、

苦しくても、

継続して、

頑張って、

踏ん張って、

道を誤ることはありません。

私は歯が好きで、好きでたまりません。

ですから、

こ難しいことなど、

考えません。

全ては歯の番人であることに。

祈り

昨日は久しぶりに、

司教さまが、

ミサを取り仕切っておられました。

私は司教さまのミサでの、

表情なり所作が好きです。

私の仕事に於いても、

同じことが言えるのだと思います。

絶対的な安心感と安定感。

患者さんに伝わるように、

患者さんが感じて下さるように、

私ら医療人は、

自分造りに気をつけて

暮らしをと。

今から入学試験の季節を迎えます。

少年たちは、

不安と希望に満ちた日々を過ごしているでしょう。

ソレを見守るご両親。

心中察することができます。

私ら医療職の人間は、

正に同じ心境にて、

患者さんの診療に与っています。

神さまの御子である幼いイエスさまを抱いた

この世でのイエスさまの父である聖ヨゼフ。

ルーブル美術館にある

画家ラ.トゥールの描いた聖ヨゼフと幼いイエスさま。

私の診療室の入り口の

師匠である内藤正裕先生のお婆ちゃんの描いた聖ヨゼフ。

さまざまな眼で、

私たちに祈りを捧げて下さっておられます。

私がカトリック信仰の道を

最後の選択の道としたのは、

歯の番人であることに、

生涯を捧げたからです。

若い歯科医師や、

有名になりたいだけの野心家の歯科医師、

経営者としての歯科医師の方には、

変人扱いされても

一向に構いません。

私にとって歯は、

生き方の

誠に清々しい道しるべでありました。

歯科大学の門を叩いてからの時間は

既に私には残されていません。

大切に、

大切に、

丁寧に、

丁寧に、

手当てを尽くす。

その上で、

患者さんと云う人の心に

染み渡ってゆくような歯科医師になれますように。

これが私の日々の祈りです。

 

 

真剣勝負

午前8時からのミサを受けて、

診療所へと。

10時からの患者さんを待っている処です。

下顎第1大臼歯の根管治療です。

この歯にとっては、

残るか、

ダメかの、

最後のチャンスです。

ジックリと、

時間を気にしないで、

根管と真剣勝負です。

私は歯を残したいのです。

歯の番人ですから。

総合診療歯科の仕事

この4月に初診でお越しになられた女性。

たびたびブログにて、

ご報告していた方です。

ほぼ全ての歯を、

治療と云う名の破壊行為にて、

口腔咀嚼系は、

悲惨な状態になっていました。

今年は、

この患者さんは頑張って、

私の治療に就いてきてくれました。

全顎に至る大掛かりな手術。

そして、

根管治療。

インプラントに加えて、

歯肉強化のための歯肉移植。

はたまた、

抜歯即時埋入インプラントに、

サイナスリフト。

で、

仮歯を使っての、

噛み合わせ治療も2回ほで。

で、

今日、

ここまでたどり着きました。

2回目に装着した仮歯です。

次は、

3回目の仮歯を造るため、

現状の噛み合わせの誤差を捜すための、

マウスピース治療です。

そして、

左下奥歯部分に埋め込む

インプラントの時期を待っています。

歯科治療は、

治療の毎に、

誤差が生じる可能性があるので、

その治療の度に

再評価し続けて、

精密な治療手順を進めてゆかねばなりません。

豊かな心

私ら医療職の人間が、

専門書を手放さない暮らしを送るのは、

当たり前だと。

私の云う医療職とは、

医師、歯科医師、獣医師、薬剤師は無論のこと、

看護師、歯科衛生士、歯科技工士などの

患者さんの治療に関わる人すべてを含みます。

医療職に与る人間で、

読書しない人を私は信用しません。

その際の読書とは、

専門書ではありません。

文学、哲学、評論、宗教、歴史、

所謂、

仕事には関連のない書籍です。

何故(?_?)

了見と教養のない人に

豊かな心は育たないからです。

医療は自らの身を捨てて、

奉仕の心がスタートラインです。

つくづく、

私はそう思うようになりました。

ハナ垂れ小僧

患者さんとの距離感が

近いことが、

私の診療所の独特のスタイルです。

ですから、

プライベートタイムでも、

しょっちゅう、

誰か彼かから、

連絡を頂戴します。

ソレって、

とても嬉しいことナンです。

今から飛行機に搭乗する処です。

今、新幹線の中で。

まだ講義中で。

そんなこんな度々。

移動時間が多いですから、

読書も増えました。

で、

今は、

この書籍を。

2.26事件にて凶弾に倒れた

高橋是清公を私は尊敬しています。

伝記モノは多く読みましたが、

ご本人の随想録は初めて。

活字に吸い込まれて行きそうなほどに

オモシロい!

私なんぞ、

ハナ垂れ小僧だと、

まだまだ未熟さを

実感させられたのです。

本当ですかね?

人手不足が緊急課題だとか。

会社経営者の多い私の患者さんからも、

従業員確保に頭が痛いと、

頻繁に耳にします。

ソレって、

景気が良いってことですか?

私の診療所は、

歯科医師が私ひとり。

診療チェアも1台のみ。

1日に診察できる患者さんの数が決まっていますから、

景気の良し悪しに関係ないんです。

ただ、

出張が多いですから、

新潟市なんかも、

そうですが、

ドンドン、

景気が悪化しているように感じるんですが。

大阪市も同じです。

神戸市も、

岡山市も、

無論、

高松市も。

商店や地元経営者の悲鳴、

あるいは、

諦めムードを

感じるんですが。

あと、

あの休日の多さ。

大丈夫なんでしょうか?

国土も狭い。

資源も乏しい。

人口も減少し高齢者が増加する。

今こそ、

日本人は、

ガムシャラに働かねばならない時なのでは。

私が古いんですかね?

 

師の姿が弟子たちに与える影響の重さ

毎月の楽しみの1つに、

母校から送られてくる

校友会の会報と新聞。

ペーパーレスの時代のなか、

あくまでも紙面にこだわるのは、

中原泉学長の主義なのだと、

学部長が微笑みながら

仰られておりましたのを、

耳にしました時には、

とても心が温かい心地になりました。

会報の中でも、

私を首を長く待たせてくれるのは、

中原泉1枚の写真と云うタイトルの、

言わば、

学長先生のエッセイ・プラス・回顧録・プラス・メッセージ。

先生の言葉の使い方に、

私は降参するのです。

それと、

必ず、

ピシッと決める

辛口の利いた先生の意見。

今回の決め台詞は良かった!

【自分の専門とする学問の歴史に無関心な人は軽蔑する】

毎月、

私は学内キャンパスに設立されている

わが国唯一の【医の博物館】へと

脚を運ぶのです。

その展示物の歴史上の偉人たちの姿や著作の放つ

静寂さと圧倒的なエネルギーに

日々の暮らしからの惰性を

修正することが出来ることを

感じたからです。

これも、

師からのかけがえのない贈り物なのだと。

私にとって、

学長先生とは、

雲の上の方。

学内でお姿を見かけた際には、

目立たぬように、

直立不動で最敬礼で。

恐れ多くて、

正視できるような方ではありません。

が、

私は確かに、

この学長先生のお考えの基での

歯科教育を受けました。

それは、

今になって、

私の大きな誇りとなっています。

いつも、

顔も知らぬ学生たちの目に、

私ら教官は曝されています。

で、

自分流スタイルが、

いつ、

学生たちの生き方に

開花のキッカケになるかもしれません。

そう感じたさせてくれる機会を

与えて下さったのが、

学長先生からの紙面なのです。