カテゴリー別アーカイブ: ただの日記

三枝デンタルオフィスの・感染防止対策

若い時代に、

アメリカ合衆国の・医療機関にて研鑽した経験は、

今の私の・根幹になっています。

当時のアメリカ合衆国は、

HIVと医療機関との関わり方について、

ドタバタ劇は・沈静化し始め、

医学的見地を・取り戻しつつある最中だったと・記憶しています。

また、

アメリカ合衆国の抱える・さまざまな社会的な仕組みの矛盾点が

問題提議され、

公務員や企業体が、

働くスタッフは無論のこと、

ディレクターレベルにまで、

心のケアについて、

真剣に・解決へと対策徹底を始めた時期でも・ありました。

働く人すべてが、

心理カウンセラー、

セラピスト、

心療内科医師との関わりを持つ事を、

半ば強制的に・義務付けられる事が・始まった時期だと、

認識して頂いて良いと・思います。

当然、

私も・多くの施設なり、専門家を訪ねました。

この時代に・何気なしに過ごした期間は、

無意識下で、

私に・何かを・悟らせてくれたのだと・思います。

40代前半に、

現在の三枝デンタルオフィスは、建造されました。

この際に、

大きな壁に・ぶち当たった・のです。

ソレは、

設計士、工務店との【壁】の・大きさです。

ソレなりの・有名・1流と呼ばれる方、工務店と、

何回も・何回も・面談しましたが、

私は、全くを以て、

彼らに・不信感を抱き、

大いに落胆したのです。

なぜなら、

彼らの中での【歯科医院像】が・デキ上げって・しまっていたからです。

彼らの持つ【歯科医院】は、

私の望むモノとは・全く異次元のモノでした。

結局、

平面図は・私が自ら描き、

内装から、

カラーコーディネートは、

家人に全てを・託したのです。

家人こそ、

当時の私の・したい事を、

1番理解できる唯一の人間だったからです。

三枝デンタルオフィスの建造のポイントは4点に・尽きます。

1. 徹底した患者プライバシーの保護

ですから・三枝デンタルオフィスでは、

他の患者さんと・すれ違うような・シチュエーションは皆無です。

これは、昨今のソーシャル・ディスタンスと云うような・低レベルでは、ありません。

2. 医師に対する患者の持つ・心の【壁】の排除

人には言えない心情・事情って・誰でも在ります。

でも、

長い・お付き合いになる訳ですし、

できるだけ・お役にたちたいと・思います。

ですから、

私には、心を開いて欲しいと。

心を開いて下さってこそ、

医療が・デキるんです。

病は・もちろん・人を診る医療人であること。

これが私の目標ですから。

この局面は、

アメリカ合衆国の1流心療内科医師の診療所や対応が、

ガツンと・役に経ちましたね。

3.  院内感染防止対策を考慮した徹底的な導線

わざとらしいパーフォーマンスほど・イヤラシイものは無いと、

私の紳士道は信じています。

キザで、生意気だと・お感じなら、

ソレは・どうぞ・御随時に。

私の真似など・しないで下さい。

デキないでしょうけれど。

私の診療所の導線が理解できる方って、

相当・1流処の料亭、旅館、

ホテルでのVIP対応経験者でなければ・判らないでしょう。

また、

衛生的にも、

気学的にも、

空気循環は・熟考済みナンです。

歯科医師やスタッフの顔全体を被うフェイス・ガードの着用?

歯科医師は終生、

感染症に曝されて・生きて行く定めです。

今、

フェイス・ガードが必須、

手術用ガウン着用が必須と判断する歯科医師は、

引退まで、

その姿勢を・貫き通して下さいね。

当然、

そういう類のモノって、

ディスポーザブルの使い捨てでしょうから、

健康保険医なら、

2年で・経営破綻するでしょうね。

逆に、

使い捨てしないで、

アルコールで拭いて、

ガウンなら紙製ですから・どうするんでしょう?エチレンオキサイド滅菌するんですかね?

そういう類の話しって、

全く聞きませんけど。

三枝デンタルオフィスは、

現状、

診療体制は、

普段と・全く変わりません。

ただ、

バージョン・アップは、

考えています。

更なる【進化】が、

仕事には、必要不可欠ですから。

 

咬合

最近、

30代から40代の・歯科医師から、

質問を受ける内容が、

決まって【咬合】について。

結局、

突き詰めて、

問題整理をしてゆくと、

判らない事が、

具体的に、

判らない・ようです。

これも・みんな・共通。

一言で【咬合】って・言っても、

範疇は・宇宙の如く。

ソレを、

私の患者さんから得た・知見を織り交ぜながら、

整理している・今日この頃です。

歯根破折・防止策

歯根破折の症例って、

多いのです。

大概が・抜歯宣告を・受けるようです。

セラミッククラウンに違和感を覚える

この症例も、

クラウンを外すと、

ご覧の通りの・悲惨な状況。

金属の土台が入っている歯には、

鮮明に・縦割りの亀裂線が・認められます。

ねっ・歯頸部分から縦に・見えますね。

他の歯も、

根管治療の後に、

バッサリと、

機の幹を・斧で切断されたように、

ほとんどの・歯質が・残っていません。

この状況で、

ポストを歯根に建てても、

応力が・歯根に集中する・だけです。

ソコで、

臨床歯冠延長手術の・出番です。

残った貴重な・歯質を、

クラウンが・包み込むことで、

応力の・集中が・軽減され、

歯根破折のリスクから・回避できるのです。

父の初命日

今日は・父の初命日です。

昨日の仕事帰りに、

百貨店へと出向き、

生前・父の好物であったろう食材を

お供え物に・しようと・買い求めに。

ただ、

おぼろげながらの・記憶しか・ないのです。

微かな記憶を・辿り・辿りの、

買い物でしたが。

酒を・全く受け付けない体質であった父ですから、

父息子で・盃を重ねる事も・ありませんでした。

早朝、

御仏壇に・昨日用意した食材を・お供えし、

香を焚き、

経を唱えながら、

御位牌に認められた・私の名付けた・戒名を眺め、

なかなかの良い戒名だな・と、

自分でも・感心する・馬鹿な私は・相変わらず。

今から、

墓地へと・向かい、

初夏の讃岐の風の中に立つ・父のために、

偶然・見つけた・父の写真を、

スコップで・埋葬しようと。

父、息子、

それぞれに・事情が・在ったのです。

流儀に違いも・ありました。

でも、

そんな事は・些細なこと。

今は、

心から、

清んだ気持ちで・供養することが、

私の生涯の・務めであることに・変わりありません。

私が・身嗜みに・コダワル訳

朝から爆笑!

早朝、

新潟の友人と・電話で、歯の談義。

ところが、

話しが・ドンドン脇に・逸れるのも・いつもの通り。

前に・新潟の某ホテル〇〇に泊まった時によ、

あんまり疲れてたんでよ、

マッサージ呼んだんさ。

でさぁ、

上手な人かな?

ついでに、

できれば・綺麗なお姉さんが・来ないかな?

でも、

エロビデオみたいな展開になっても・困るけど。

馬鹿なこと・考えてたんさ。

で、

ピン・ポ〜ン。

来た・来た!

ドア開けて、

俺は・正に、

凍りついたんさ!

歳の頃は・70前後。

白髪の爺さんでな。

俺たち歯医者の・ほらっ・半袖白衣みたいなん・着てんさな。

で、

眼がご不自由な方。

でも、

これは・ありがたかった。

だって、

俺って、

直ぐに・ガッカリが・顔に出るやろ。

あの時の・俺の顔って、

自分でも・判るもの。

マルケな・俺の顔。

今日は・ついてねぇなぁ!

てな・感じで、

疲れ・プラス・ガッカリで、

マッサージが・始まったんさ。

これが、

死ぬ思いのする・恐怖のマッサージになるなんて、

この時には・全く考えてもいなかった・マヌケな俺。

最初は・仰向けだろ。

コッチも・見えないから判らないんだが、

なんか・違うんだよ。

マッサージの技術っ?

コレは・最悪レベルです・はい。

そういう問題じゃなく、

妙な・空気感なんさ。

で、

苦しんだよ。

息が・キツイ!

何で・マッサージで・息が苦しんだ?

そんなこんなを・我慢して、

仰向けに。

で、

もう・俺は・瞬殺!

イチコロ・ニコロ・サンコロですっ。

エイっ・エイっ!・エイ!って、

爺さんが・両腕で・プッシュするんは・イイんだが、

もう、

コレは・連発銃での・死刑でした!

脇から、

超・ド・スーパー級の【ワキガ】

眼が、アンモニア臭で・ヤラレるような・キツイ刺激臭。

で、

先生・どうされました?

話し相手の友人なんて、

泣いて・喜んでるんです。

どうされましたって・死ぬ寸前だろっ。

でも、

俺って・優しいし、

人徳的には・第1級だろっ?

オジサン・おつかれでした。

もう・今日は・これでオシマイに・してくだ〜い!

もう、

掌を合わせての・命がけの・お願い!

この当たりで、

友人の爆笑は・クライマックス!

何で・こんな展開に・なったのかと云えば、

医療人たる者、

患者さんに・決して不快感を・味合わせては・ならないって、

そんな処から、脱線したのです。

イヤハヤ、

今朝は・大爆笑でした。

無歯顎患者さんに対する・インプラント修復治療

お気の毒な事に、

全ての歯を・失った患者さんが、

大勢、

お越しに・なられます。

インプラント修復を希望されます時でも、

絶対に、

私は、

必ず、

総入れ歯を・お造りします。

なぜなら、

美しい・お顔創りの・ためです。

ワックスの上に・人口歯を・選んで、

列べて・観ます。

この作業は、

絶対に・欠かせません。

で、

ほらっ・ねっ?

お品の良い・お顔だちに・なりましたよ。

ついつい、

私の好みのタイプに、

仕上げちゃうんです。

 

歯科衛生士の理想像

私は、

診療の・バックヤード関係、

例えば、

機材の洗浄・消毒のこと、

材料関係のこと、

機材のメンテナンスのこと、

困った時、

新たな機材を選ぶ際に、

必ず、

新潟県小千谷市開業の阿部隆士先生の細君である

阿部孝子歯科衛生士に、

奥さ~ん・助けて・くれぃ~!

と、泣きつくンです。

阿部歯科医院は、

私が大学院生の時代に、

アルバイトに行っていた、

言わば、

武者修行の場で・ありました。

私の歯科治療における【基本的手技】は、

実は、

此処に・在るのです。

インや~!

厳しかったですよ。

患者さんの前で・怒鳴られる・なんて、

いつも・いつも・でしたね。

細君から、

首に・ストップウォッチを・ぶら下げられた際には、

顔から・火が出るくらい・恥ずかしかったです・

でも、

先生ご夫妻からの、

熱い愛情は・シッカリと・伝わっていましたので、

できない自分を・恥ずかしかったンです。

今日も、

奥さ~ん!

で、

云々・カクカク。

いろいろ歯科衛生士を知っています。

が、

阿部孝子歯科衛生士を凌駕できるプロを、

私は・知りません。

勝手なのが見本のような私は、

今日も・実は・恥ずかしかったンです。

なぜなら、

今日は、

阿部孝子歯科衛生士の・70歳の誕生日だったことを、

ご本人から・聞いたから。

先生、私も・歳とったのよ。

もう70。

九州から上京して、

縁が在って・新潟。

それも、

雪の深い小千谷。

皆さん、

田舎には、

1流など・居ないと・思っているでしょう?

甘いですよ。

この私が、

唯一・先生と・頭を垂れるのは、

阿部孝子歯科衛生士だけですから。

歯科衛生士と云う仕事。

時代は・間違えた方向に・行っていると・思います。

本当の・筋金入りの歯科衛生士。

雪深い・越後に・確実に・いらっしゃいます。

で、

還暦前の私が・言われたのです。

テレビで・スケート選手・観てるとね、

頑張ってる・じゃない。

直向きで。

可愛いい・でしょっ。

先生んこと・思いだすんよ。

で、

そのスケート選手。

私が、

転べ!転べ!

って・応援していない選手だったモンで、

黙ってました。

でもね、

パッションって・大切なんじゃ・ないですか?

何事に・おいても。

私も・まだまだ・はな垂れ坊主。

ゴールド修復

奥から2番目の大臼歯に、

ゴールド修復をセットした直後の・写真です。

今から、

ゴールドと・歯質の移行部を、

ピッタリと【擦り合わせ】作業します。

美しい・華麗なる・ゴールド修復です。

その後ろ隣の・金属クラウンは、

無論、

私の仕事では・ありません。

全く・基本も・へったくれも・ない、

ただの金属製の加工物ですね。

ゴールド修復って、

こうやって・創るんですよ。

ワックスにて・歯の外形を・盛り上げます。

ドンドンと・進めます。

上下の・噛み合わせ部分を・決定します。

コレは、

日本歯科大学新潟病院・歯科技工科の・三富君の仕事です。

ドロップ・コーン・テクニックを、

もっか・必死で・取得中なんです。

歯の形に・彫刻するのではなく、

歯の形に・盛り上げることに、

大きな意義があります。

より・精密で、

より・躍動感ある・歯が生まれます。

白衣を纏う男

私が幼少期にあった、

昭和40年代の日本は、

正に・高度成長期。

商家には・勢いが・ありました。

働き方改革などいう・概念など、

当時の日本人が・聞かされたら、

一応に・なにをバカ言ってんだって・評価されたと・思います。

何故って、

少しばかり前には、

大変な戦争で、

わが国は・焼け野原となり、

家族の中の誰かしらに・戦死者をだした、

凄まじい記憶が・脳裏に焼きついていたからです。

食べるモノに困り、

飢えを・経験した世代が、

新しい日本を牽引する時代だったからです。

ですから、

私の幼少期は、

家族が・従業員と一丸となり、

休みなく、

夜遅くまで、汗を流して、

家族のために・一生懸命・働いている光景を覚えています。

私も・手伝って・いましたよ。

当時は、五右衛門風呂です。

薪をたたき割って、

火で・風呂を焚いていました。

顔中が・ススだらけ・でしたモノです。

夕食の準備も、

小学校1年の歳には、

簡単なモノですが、

それでも、

工夫しながら、

家族に喜ばれたい・と、

知恵を搾ったモノです。

でも、

幼いことには・かわりません。

淋しかったです。

そんな時、

蔵の雨樋から、

子猫の鳴き声が・聞こえてきたのです。

作業員のおじさんが、

梯子をかけて、

子猫を助けて・くれました。

小学校1年の私の掌に乗るほど、

生まれたばかりの・眼の明いていない、

子猫です。

ボンっ!コレは・アカンわ。

死ぬで!

育たんわ!

鮮明に・覚えています。

泣いて・泣いて、

子猫を潰さないように・抱へ、

自分の部屋に・逃げたんです。

段ボールに・毛布を敷きつめ、

さて、

牛乳を皿に容れても、

当たり前ですけど、

飲みません。

理科の教材の付録のスポイトで、

口に・流し込んだのです。

育ちましたよ。

ミィ・ミィ・と泣いて、

歩くようになりました。

私が学校へ登校する度に、

庭の通路を先導し、

門まで・送ってくれるのが、習慣に・なりました。

私の小学校時代、

私の中学校時代、

私の高校時代、

ミィは・私と過ごして・くれました。

大学へと・進学する際、

私は・ミィ・と別々に・なりました。

長期休暇の際には、

ミィは・相当・高齢に・なりました。

でも、

私の傍に・居てくれました。

私が大学4年の冬、

電話で、

ミィが・息を引き取った事を報されました。

私の幼年期、少年期、青年期は、

ミィと・過ごした・泣き笑いの前半生です。

先日、

父の写真と共に、

懐かしい・ミィの写真が・在ったのです。

おう・ミィよ・忘れていたよ・ごめんなさい。

歳とったンでしょう。

涙腺が・緩んで、

私は・泣いていました。

額縁に入れて、

早速・院長室へと・運びました。

同業者や・他人から・してみれば、

私など、

順風満帆の人生を送ってきた・幸せな奴と・

お思いでしょう。

でもね、

本当の私は、

泣いて、

恥じて、

苦しんで、

怒って、

情けなくて、

反省も・し、

時には、

戦い、

私の前の森の木を、

私の前の雑草を、

切り拓いて、

自分の歩く・道を造って・きたのです。

それでも、

いっぱい・後悔は・あります。

至らなかった・と云う反省も・あります。

ミィに・問いかけました。

俺も・歳とったろう?

これからの俺を・観ててくれなよ!

私は【白衣】を纏うに・相応しい男に・なりたいです。