
インプラント手術 の 麻酔直前。

根管充填あと の レントゲン現像 待つ間 の 3分ていど。
悩み は 尽きません!
私は 神さま では ありません から。
指先 に 全身全霊を 傾ける。
絶対 なんて ありません から。
ソレでも
夢中に なれる 仕事が 歯科治療。
そう云う 仕事に 就けたこと
幸せ なんで しょう
が
【芸事】 の 厳しさ に
のたうち回る 40年ちかく。
ソレが 【本音】 なんです

インプラント手術 の 麻酔直前。

根管充填あと の レントゲン現像 待つ間 の 3分ていど。
悩み は 尽きません!
私は 神さま では ありません から。
指先 に 全身全霊を 傾ける。
絶対 なんて ありません から。
ソレでも
夢中に なれる 仕事が 歯科治療。
そう云う 仕事に 就けたこと
幸せ なんで しょう
が
【芸事】 の 厳しさ に
のたうち回る 40年ちかく。
ソレが 【本音】 なんです
現在
三枝デンタルオフィスでは
新潟県出身 の 青年歯科医師 2名 を お預かり して います。
いずれ も 歯科医師 2世 では ありません。
で
私学出身者 で 大学院卒 の 【博士】ホヤホヤ。
序でに
彼らの 父親から 依頼された。
全く の 共通項 が 在ります。
私は 越後 新潟を 第2の 故郷だと 思って います。
だから
お預かり した の です。
時々
彼ら の 近況を 父上に 電話にて 報告して います。
インにゃあ〜
ご迷惑 ばかり かけて 申し訳ない こと ですぅ~
どうか
厳しく 躾して ヤッて くだせぇ〜!
懐かしい 新潟言葉。
しばしば
新潟県 の 特産品が 贈られて きます。
越後新潟 は 海の幸 山の幸 大地の幸に
恵まれた ところ。


昨日 の 【ハタハタ】 も お届けモノ です。
北国 の 魚は 実に 美味しい の です。
この季節
あんこう鍋 も タマラナイ。
瀬戸内 の 魚とは 少し 違う の です。

新潟県 と 云えば 【米ところ】
南魚沼産 の 【コシヒカリ】 【新之助】
そして
米麹 の 味噌
夏は 白根産 の 【枝豆】
秋は 【茸】
青年歯科医師たち
彼らの 父上から の 贈りモノ
食べさせて
郷里 に 想いを はせらせる。
序でに
親 の ありがたさ
しみじみ 感じて 貰いたい。
オメェらっ
オヤッサン に ありがたい
と
思わん と バチ かぶる ぜっ!
判って ると 思います。
さぁ
今から
インプラント の 手術です。
昼の 弁当は
みんな の 分
家人 の 担当です。
手術 終わったら
新潟 の 味
堪能 すん べぇ~。
昨日は
せっかく の 日曜日 だと 云う のに
スタッフたち 総出で 診療所の 【大掃除】
なんだ とか!
私も と。
ダメです ダメです
先生は 静養して ください!
ありがたい じゃあ ない ですか!
と 云われて も
ジッと
自宅で 【時代劇】とも 云えず
落ち着かない ので
キッチンカウンター越し に 【鬼平犯科帳】を 観ながら
ヤツら に 【弁当】 でも と。

【干し カレイ】を 新聞紙の 上に 置いて
トンカチ で 叩いて 叩いて。
こうすると
身が 柔らかく なる ことを
幼い頃
バアちゃん の お手伝い で 教えて 貰った
私 の 仕事だった なぁ~
と
思い出し

網で 焼いて
熱々 の カレイを
軍手で
オットット
と
火傷 しそう に なりながら
ハサミで
身を 切り
丼鉢に 放りこんで
花鰹節を 降って
豪快に 醤油を かける。
じゅう〜
と
云う 音 の 中で 鰹節が 踊る。
コレを
ご飯 の 上に 載せて 食べる
と
実に 美味い。
あと
この 季節は コレっ!

腹 に タップリ 卵を 満たした 【ハタハタ】
パラっ
と
塩 降って
コレは
炭 で 焼く!

柴犬 の 【おまさ】
1番 暖かい 場所で
キッチンに 向かって
楽しみに 待って いる 模様。
最後は

ほろ苦い 【タラの芽】 の 煮付け。
出汁は
【道頓堀 今井】 のを 借用。
【男】 の 【弁当】は 単純明快 シンプル なのです。
コレら を
折詰 して
電話して
取りに 来て 貰い ました。
休日の 私の 格好。
絶対に 外出 できません。
丹前 羽織って
戦前 の 日本仕様 ですから。
先日は
スタッフたち の 慰労を 兼ねて
仕事 ついで に
大阪市 まで。
お昼時 は
【道頓堀 今井】へと。
関西文化圏 以外 で
産まれ 育った
家人 スタッフ に
関西文化圏 から の 患者さん 独特 の 【あや】
より
理解を 深めて 貰おう と。
夜は
心斎橋 界隈 の 三寺筋 の 脇路地 へと。
コーリアンタウン。
韓国と 云えば 【焼肉】 だと 思って いた 様子。
普段
韓国 の 人 が
日常
口に する 【郷土料理】の 店 へと。
彼ら 家人
固まって ました。
いろんな 文化圏 識ること は
食 を 通じて が 1番 なの です。
今夜は
今
某人物たち との 戦い にて
本当に
丁寧な 調査活動を 行なって くださって いる
【さくら幸子 探偵事務所】 の 方たち
と
慰労を 感謝し 夕食会。
みなさん の ご厚意 で
私
頑張れる ん です。
そう云う 訳 で
今夜は
イレギュラーな 夜。
ブログを 認めながら
明日 の 朝食の 味噌汁 を 調理。
関西文化圏 と 日本海 越後 の 味 の 融和。
家人 に
私 の 好み を 伝授 して います。
私が 初めて 授かった 長女
の
中学校 の 同級生
が
まさか
人生最後 の 伴侶に なろう とは
思い も よらず。
皆から
歯は 診えて も
女を 診る 眼が 無いから
ココは
皆の 意見に したがい なさい
と
半ば
強制的に 強引に
年甲斐も なく
池波正太郎氏 の 著作 の 【剣客商売】
では
ありません
が
秋山小兵衛 と お春 の ような 境遇に
照れる 半分 恥ずかし 半分。
そのような 生活が 始まって
もうすぐ 丸3年に なろう と して います。
先日
大阪市へと 出向いた際
青年歯科医師 たち スタッフ 家人
に
いたわって もらい ながら
梅田界隈 を。
あぁ 懐かしい。

梅田 阪急百貨店 の クリスマスの 【飾りつけ】
どうやら
今年は 【不思議の国のアリス】 だ そうなっ!

娘が 幼い頃
背負って
喜ぶ 娘の 声に 嬉しかった。
ふと
もう 30年近く 前 の 光景が
網膜 と 鼓膜 に 蘇って きました。
私の 人生。
恐らく
人 の 5人 や 10人 ほど の
人生 を 経験 した ように 思います。
因みに
私の 羽織ったる コート。
私の 成人 の お祝い にと
ロンドン に 居た 叔母が
アクアスキュータム の 本店 にて
買い求め
送って くれた カシミヤ の コート。
42年前 の コート です。
私の 体型を 知っていた 叔母の 愛情に
今頃
感謝しつつ
体型 を 維持して いる 自分 にも 感心。
今は
若い人たち に 【手本】
なるように と
自分で 自分に 鞭打つ 私なのです。
昨日
大阪市へ 出張 でした。
この頃
自分で 運転しなく なりました
ので
昨日は
スタッフ 総出 で。
私は 道頓堀【今井】 の 饂飩が 好きです。
讃岐は 饂飩で 全国各地に
その名を 知られて います
が
確かに 【コシ】ある 讃岐饂飩
美味しい と
私も 郷土料理として
大変 評価しています。
県外の 方から
【讃岐饂飩 美味しい】
と
言われれば
嬉しい です。
ただ
私は 【道頓堀 今井】の 饂飩が 1番 好きです。

饂飩だけ 観れば
【コシ】では 讃岐饂飩に 勝敗が 上がります。
ただ
料理 とは 【ハーモニー】 だと 思います。

一見
讃岐饂飩 でも よく観る 素材組み合わせ
ですが
【料理】の さまざま な 条件を 完全に 満たして
食した 瞬間
良かった!
と
納得 する でしょう。
私は
もっぱら

鍋焼きうどん派 です が。
讃岐饂飩マニア から してみれば
饂飩 は 生醤油 あるいは ぶっかけ。
鍋焼きうどん は 邪道と 思うに 違い ありません。
が
鍋焼き こそ
饂飩 と云う 食材 に おいて
難しい 調理法は ありません。
私の ウンチクを 聴かされ ながら
スタッフたち
ふうふう はぁはぁ。
コイツら
判って んの かい。
御堂筋 は クリスマス一色。

あぁ 1年も あと 僅か。
昨年から 今年
大変な 日々 過ごして いました。
来年こそ は 勝負 つける ぞ
と。
昨日
患者さん が 診療室 に 入る や 否や
先生 ちょっと 悩んだん ですけど
鎌倉に 出向いて いた 際に
立ち寄って 来たん です。
【災難除け】で 有名な 神社 らしい ので。
と
私に 手渡して くださった

【災難除け】 の 【破魔矢】
私が カトリック信者 だから
気を 遣った の だと。
私は 本当に 幸せ な 歯医者。
私は 55歳の 年 に カトリック教会 の 洗礼を 受けました。
ソレまで は
朝晩
神棚 に 柏手 うって
バリバリ の 日本人 です。
ですから
診療所 の 1番 陽当たり 良い 事務室には
伊勢神宮 の 神棚 が。
たとえ
カトリック教会 に 改宗 しても
55年間 の 恩義
捨て去る 訳 には イキマセン。
まだ
神棚 に お祀りした
日本古来 の 八百万の 神々
朝
お水を 変えて
祝詞を あげる のが 日課 は 健在です。
いただいた 【破魔矢】
神棚 に お祀り させて いただいて

いくら 私が お人好し と 云えども
某人物たち から 受けた 仕打ち の 数々
酷すぎた。
私は 戦い の 最中に あること
みなさん ご承知の 通り。
天 に おわす
神々 仏さま
みなさん に お力を お借りして
戦って います。
裁判に おいて も
大勢 の 患者さん が 証言の 申し出 が 在り
また
昔 勤務していた スタッフも 供述書を 提出し
私は
みなさん に 心から 感謝して います。
歯科治療 も 歯科疾患 との 戦い です。
歯科医師 として
知恵を 搾って
口腔疾患 と 戦って きました。
私
絶対に 治すん で。

私が 歯科医師免許 を 取得した 時期から
今日に 至る まで
多くの スーパースターの 歯科医師の 先生方から
お世話に なり
その 背中を 追いかけて きました。
その 先生方 も 既に 80歳を 超えて
私は 先生方の ご健康を 祈って います。
いずれ
この 私にも 今の ような ペースでの 診療は
できなく なる でしょう。
この写真の 症例は インプラント修復です。
インプラントの 埋入は 小宮山弥太郎先生。
修復治療は 内藤正裕先生。
私の 師 です。

修復歯 の 咬合面。
あえて
内藤先生は ゴールドを 使って います。
その ゴールドも
経年変化 にて
セット当時は
緻密な 形態が 付与されて いた と 思います
が
摩耗 咬耗に よって
セット当時の 形態の 面影は ありません。
此処に
ゴールド修復 の 大きな 【意味】が あります。
セラミック修復ならば
とうの昔 に 割れる 欠ける
と
云う 悲惨な 羽目に なって いた でしょう。
この修復治療 の 対顎 は

大臼歯 部分 は 私が ゴールドクラウン修復 させて いただき ました。
小臼歯 部分 は 内藤先生に 依る モノ です。
第2小臼歯 の パーシャル ベニヤ クラウン修復。
凄まじく 際だった 超適合に 天下の内藤の技に 敬礼。
私 も 内藤先生も
臼歯 の 修復治療に セラミッククラウン修復
イッパイ して います。
では
何故に この症例には ゴールド なのっ!
訳 は

判る か なっ!
積極的 に 噛み合わせ
変えずに
患者さん の 歯列 尊重しながら の 歯科治療。
天然歯 の 前歯。
ヒビ 亀裂 イッパイ デキて います。
でも
ソレが 歯科疾患では 無い の です。
加齢現象 の 一環に 過ぎません。
加えて
左右 の 犬歯。
摩耗状況 違います。
此処に
ゴールド修復 の 出番が 在る ん です。
ダイレクトボンディング修復 では ダメ なんです。
この類 の 【診断】
とても 難しく
ソレなり の 経験が 要るん です。
此処に 生涯 学習 の 意味が あります。
生涯学習 とは
セミナー や 講習会に 参加する こと では ありません。
逆に
40歳 過ぎたら
自ら の 治療から 学ぶ モノ だと 思います。
昔 の 歯医者って 凄まじく 上手かった
と
つくづく 識らされた 仕事です。

上顎小臼歯 の オールセラミッククラウン修復 の 支台歯 です。
オットッ
隣 の 大臼歯に 歯冠色 の 変な 【詰め物】
コレ
私 の 仕事では ありません から ねっ
しかし
ピッタリ
適合 して いない 【詰め物モドキ】
再び
虫歯 に なる じゃん。
ダイレクトボンディング修復 の 適応症 ですよ!
いくら
金属 が 見えない ように って 言って も
コリャ
ダメ だわ ねぇ~。

模型上 で
セラミック ワーク 前 の フレーム チェック。

この 上 に
セラミック を 築盛 するん です。
歯科治療 って
手間暇
かかる ん です よっ!
時は 【元禄15年】
播州赤穂浪士 の 吉良邸 討つ入り
に
思い を 馳せて
私は
日の出 前 に
目覚め
東雲 過ぎ
数百年 の 昔
あぁ
赤穂浪士は 怨敵
吉良上野介 の 頸を 討ち
仙岳寺 に 向かって
頸印
持参 して いる 頃
だと
感無量で
珈琲 呑んで ました。
こんな に 早く から
ワンルーム の 自宅です。
家人 には 気の毒 なん です が。
あぁ
今日は 泉岳寺 ですね!
と
家人 も ポツリ。
家人 の 朝食 は
私 の 担当。
申し訳ない ン です
が
蟹 は 高額なんで
缶 で 代用。
(ソレでも 高ぇ〜よっ! )
菜の花 添えて
冬葱も 添えて
家人 と 約束 した
オメェ の 朝粥
俺 が 死ぬまで 毎日 造る から よう。
この 約束 は 恐らく 完璧 に 守れる でしょう。
今日は 自宅で
ズット 寝て ました。
よく 寝られ ます ねぇ~
ソレでも ねっ
夕食
日本海 の 一般庶民 の 夕の 定番
【あんこう鍋】
キチン と 味付け
家人 に 伝授 しました から。
