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歯科保存学は歯学の王道である

 【歯科保存学は歯学の王道である】
此れは、
日本歯学大学.新潟.歯科保存学教室
初代主任教授を務められた
加藤嘉郎博士の最終講義での
言葉である。

 人の身体を
患者中心で考えるならば、
或いは、
医学の進歩は未だ
途上の最中に在り
現在のスタンダードが
将来、必ず未熟の謗りを
承ける定めに在るを識る
謙虚さの分別を持つ
科学者であるならば、
私どもは
歯の治療に際して
歯科保存学の
基礎を学ぶべきである。

 其れは、
今流行りの
審美歯科、インプラント治療に於いても
必ずや、
其の予知性を
高めてくれるに違いない。

凄まじい症例発表

 昼休みに
トアル先生から相談を浮けた。

ー此処の処、相談事が多い。歳の為か?ー

 インプラントの症例であった。
無惨な結末であった。

 治療直後のレントゲンと写真も
見せて貰ったが、
此のような結末は
容易く予想出来うる症例であった。

 歯の無い処に
患者さんの懐具合で
インプラントの数を決める。

 猿と同じ行いである。

 折角、来て頂いたので
お気の毒ではあるが、
何とも言い様の無い
虚しい心持ちとなった。

 後から、
此の歯科医のホームページを
拝見したら、
何と!今日、相談された症例が
誇らしげに披露されていた。

 馬鹿に浸ける薬はないが、
患者さんも
少しは利口にならねば
大変な羽目になってしまう。

  御用心!御用心!

若き歯科医師達よ

 私の若い時分とは違い、
今は、歯科医師国家試験に合格した
歯科医師は、
一年間の研修医生活を
送る事が定められている。

 其のあと、
大学院へ進み
研究生活を送るか、
何処かの
開業医の元で
勤務医生活を。

 或研修医から
進路の相談を承けた。

 自分の思うままに生きよと伝えた。

 一度しか無い人生である。

 猫も杓子もインプラントの時代である。
どなたが本当の名人なのか
チッとも判らない位の
大勢の名医が
ホームページの上で
ひしめき合っている。

 【私の診療所では骨との結合が壊れた症例はありません。】
と、のたまわっている診療所の
患者さんも、
私は拝見しているが、
見事な迄に
インプラントは脱落していたのだが。
自分の目で見ていないので、
其れは其れで
失敗にならないのだろう。
 が、哀れの一言に尽きる。

 歯科医師の履歴書も然りである。

 誰それの研修を受けましたも
良かろうが、
全部、金を払えば
誰でも受けれるものばかり。

 おまけに、
自分で研究会なるものを作り
其処の代表とは
大笑いの極みである。

 若き歯科医師よ。
悪い見本を真似てはならぬ。

 インプラントや審美も良いが
時代や流行り廃りの無い
確かな学問を
遠回りをしてもよいから
じっくりと
石を積み重ねる
心の余裕が必要であろう。

 新潟大学.脳外科の
礎を創られた
故 中田瑞穂教授の言葉である。
【学問は、しんしんと静かに雪の降るが如し】

歯科治療とは治療行為であってエンターテイメントではない

 昨今、不景気なせいか?
ダイレクトメールやインターネット上で
患者さんを増やす為のノウハウを伝授する等の
広告を目にする機会が増えた。

 歯科医院の
ホームページなりブログに於いても
患者さんに対する
気遣いやサプライズの
重要性をヤタラ強調するものも
見掛ける様になった。

 気遣いなり心遣いの
真骨頂とは、
あくまでも
相手に然り気無く、
気付かれない様に
する事である。

 其も、
私の様な歯の職人にとって
一番大切な心遣いとは
治療本体に関する事である。

 数寄屋橋二朗の親父は
付け場に相対した御客が
右利きか左利きかに依って
握った鮨の置く位置を変える。
又、
御客の食すテンポに遇わせて
鮨を握る。
鮨の大きさも然りである。

 数寄屋橋二朗の店は
床を舐めれる程に清潔である。

 これ等が食の職人たる由縁である。

 客たる私達は
ニコリともせぬが、
心中、
本当の職人に対して
尊敬の念をもって
暖簾を後にする。

 職人仕事には
エンターテイメント性など
見当たらないが、
客の方も
見る目の在る、
違いが判る人であれば
グッと来ているものである。

 歯科医院は
ホテルや遊園地ではない。
病気を治し、予防を
行う処である。

 サプライズも大事だが、
そんなこんな事ばかりに
気を遣うと
本来の大切な事を
見失ってしまう。

 ヒポクラテスの誓いを
再読されたし!
医者か商人か判らぬ
愚かなる医師免許を持人と
其の取り巻きに
敢えて
苦言を呈する。

川崎律子 歯科衛生士

 昼下がり、
診療所の自室で
患者さんが来られるのを
待っていた。

 携帯電話の
着信のバイブレーションに
大学からだろうと、
電話を手にしたら
新潟の歯科衛生士の
川崎律子女史であった。

 随分とご無沙汰であったが、
相変わらずの
爽やかな川崎節は
健在であった。

 川崎女史とは
若い時分からの
顔見知りである。

 彼女は、
今は亡き原田富一先生の
一番弟子であった。
先生が御在命で在ったなら、
彼女の活躍を
一番に喜んでいるに違いない。
何れにしても、
原田先生は
この世に確かに
自身の歯科DNAを
遺したのである。

 電話で、
私の診療所の宮田君の
トレーニングを
是非にとお願いした。

 此の秋からは
宮田君も毎月
新潟へと
通う事になった。

 世に云う
名の通った歯科衛生士と
仕事を御一緒させて頂いたが、
私の贔屓は
川崎律子女史である。

 原田先生は生前、
愚息に対して

 ー 歯医者になれ! 東京じゃなく新潟に来い!
      俺んちに下宿せい!ー

と、威勢よく語っていた。
其のすぐ脇で
ニコニコ微笑んで
阿呆な二人の男の
話を聞いていたのが
川崎女史であった。

 原田イズムが
川崎女史のDNAで進化を遂げて
宮田君へと
継承される事を
心から望む私である。

オールオン4を採用しない理由

 1996年に設立された私の
高松インプラントセンターでは
オールオン4は採用しておりません。

 又、此れからも
採用する予定はありません。

 全く歯の無い患者さんに対して
インプラントを
埋め込む手術をしたその日の内に
人工歯を入れて
即日、
噛むことの出来る様にする手法は
別段、
目新しい手法ではない。

 インプラント治療の生みの親である
ブローネマルク博士自身の研究からも
同様の手法が開発されている。
ブローネマルク.ノバム.システムである。

 此のノバム.システムは
今から凡そ10年程前に
市販化された。

 市販に先だって、
私は伊藤雄策先生と
スウェーデンのクリスターソン教授より
此のノバム.システムの
実地指導を受け、
その後、
数症例程ノバムの臨床を行った。

 又、我が国に於いては
埼玉県のマキシス.インプラントセンターの
波田野先生御考案の
マキシス.ニュウが
無歯顎者に対する即日インプラント治療の
代表例であろう。

 オールオン4の開発者である
ドクター.マローの原著論文による
治療成績と、
世界で最も権威ある研究機関である
スウェーデンのカロリンスカ研究所から
オールオン4は
未だ未完成であり、
一般使用すべきではないという
報告が出ている以上、
インプラント治療に
長年、携わってきた者として
私のインプラントセンターでは
使用する気持ちにはならない。

 何故、此ほど迄に
オールオン4の営業広告が
巷に溢れているのか
私には解せないのだが。

 はっきりと云えるのは
昔から
インプラント治療に対して
真面目に取り組み、
この分野の畑を耕してきた
インプラントの専門家は
従来からの
確実な手法を
採り入れている。

 私が臨床家である以上、
香川県高松市と云う
ちっぽけな地方都市ではあるが
インプラント治療の良心を
此の地に
遺さねばならない。

本当の意味での歯医者冥利

 私の診療所に来られる患者さんの
9割は女性である。

 加えて、
私の患者さんの
平均年齢は66歳である。

 かような私の診療所に
今日、新患でお越しになった
患者さんは
30代半ばの女性であった。

 小さいお子ちゃま連れの
美しい、品格のある
お母様であった。

 私が自分より
年齢の下の
患者さんに向かい合う時は
自然と気合いが入る。

 其れは、
その患者さんが
年老いた時には
確実に
私は引退しているからである。

 将来、私がこの世に
居なくなった時、
患者さんから
ー嗚呼、三枝が治した処は、まだもっている! ー

と、喜んで頂きたいからである。

 其れを、私は知るよしも無いのだが、
そうであれば、
歯医者冥利に尽きると
信じて、
若い患者さんに
向き合う私である。

マイクロスコープを使った歯科治療

 私は永年に渡り、
カール.ツァイスの
マイクロスコープを使った歯科治療を
実践している。

 私の恩師である
東京都麻布で御開業の
内藤正裕先生から
お電話を頂いた時の事を
懐かしんで
思い出す。

ー 三枝君!俺はマイクロスコープを入れたよ!
    その辺のアメリカ製じゃないよ!
      カールツァイスのの日本第1号だ! ー

 師匠の喜びは
弟子たる私の喜びでもある。

 早速、私は
空路遙々、田舎から
上京し、
師匠の購入した
高額な玩具を
見に出向いたのである。

 カールツァイスの名前と
其の凄さを
耳に数珠が出来る位
師匠から聴かされた
1日であった。

 阿呆な私の診療所に
直ぐに
カールツァイスの設置の
技術者が来たのは
云うまでもない。

 あれから随分と
年数が経った。

 カールツァイスのマイクロスコープは
私のもうひとつの目になった。

 但し、注意が必要なのは
マイクロスコープは
治療の確認の為に
在るのではない。

 見ながら治療する為に在る。

 それと、
見える事と、
出来る事は
違うと云う事である。

 最近、
マイクロスコープを使った歯科治療と云う
営業広告を
暫し目にするが‥‥。

 かような仕事に
遭遇する事、暫しであった。
どうして、これがと悩み
見える事と、
出来る事は違うと云う
結論に至った私である。

心斎橋のナチュラとリンクします

 私の仕事は、
疾患の予防と修復、
そして機能を回復する事は
当然の事ながら
審美的な要素の問題も
其の範疇とするものである。

 私の交友関係から
数年前には
基礎化粧品を手掛け
今でも
某メーカーから
販売されている。

 良いものだけを!が
私の信念である。

 贔屓の食い物屋は
多々在れど、
私の仕事には
直接、関係ないので
此は秘かなる
私のみぞ知る名店と
温めておきたいのだが。

 大阪.心斎橋に在る
ナチュラは
私の仕事と関係があるので
ブログにリンクする。

 美しさ、
其も
確かな技術に
裏付けされた、
尚且つ
上品なもので
なければならない。

 歯の健康と
口元の美しさは
当たり前の事ながら、
トータルでの
美しさを
心がけていて欲しいと願う。

 心斎橋.ナチュラは
自然体の空気に包まれた
良い美容室である。

 芸能人も、しばし其の姿を
見掛けるが、
よーく注意していないと
気付かない。

 かように自然体の店である。

 但し、
オーナーの後(うしろ)先生は
紹介が無い
一見の客に
鋏を持つ事はないので
電話で
よーく
お願いすると良い。

 私は普通の店は嫌いである。
勘違いの職人は
尚更、
軽蔑している。

 心斎橋.ナチュラの後先生は
数少ない
本物のスタイリストである。

高松インプラントセンター その8

 私の高松インプラントセンターは
香川県高松市と云う
四国の小さな地方都市に在ります。

 海外の歯科医の先生や
インプラントメーカーの役員、
大学の学生たちから
私が田舎で、
開業している事に
驚かれるのに
慣れてしまいました。

 今は亡きウルフ.ニルソン博士、
先生はスウェーデンのルント大学の
元教授であり、
ブローネマルク博士の信奉者でした。
ノーベル.バイオケア社が嘗て
ノーベルファルマ社と名乗っていた時代の
日本支社の社長をお務めになられていました。

 何度か私の診療所へ
お越しになられましたが、
最初の訪問時に、
何と!先生は田舎で仕事を!
と、驚かれていたのが
懐かしい思い出となりました。

 私は産まれも育ちも
高松市には縁が有りません。

 が、私の母親が
香川県の三木町の出身で
高松高校の卒業であった事、
私が都会の喧騒が
苦手である事から
此の地で
診療所を構えた訳です。

 強気の私です。
【医療に逆流なし】と云う言葉があります。

 患者さんは
小規模の診療所から
大きな診療所へと、
 患者さんは
地方から
より都会の病院へと
移動し、
其の逆はない。

 ー 其れならば、逆流させてみせる!ー

と、意気込んで
設立したのが
私の高松インプラントセンターです。

 元来、文学が好きな私です。
香川県の生んだ文豪、
菊池寛に因んで名付けられた
菊池寛通りに面して
診療所を構えられた事に
ありがたいと
感謝しています。