天気晴朗 なれども 波高し

朝 から 手術 して ました。

見学の 歯科医師 スタッフは モニター越し での 見学です。

手術室の 設備を 充実させて

手術環境が 汚染されない ように

見学者は 別室にて モニター越しで

手術の ドキュメントが 手に取る ように

見学できる ように と。

相変わらず

治療 と 講習会を 併用した 週末に 戻りました。

ある程度 キャリアを 積んだ

臨床経験ある 歯科医師の 教育へと

私は 進路変更 しました。

なぜって?

ガキ の 教育

恐い 恐い!

社会 は 厳しい のです。

プロフェッショナルの 世界に アマイ 考え

持ち込まれては

私は 迷惑なんです。

この間の 公立高校の野球部員が

監督を 引き受けた 教員の 「アホ バカ 帰れ❗」

発言を

親に 言いつけ

その親が 教育委員会へと 苦情を 申し立て

可哀想な その 教師。

休日返上で 監督を 引き受けた のに

【1週間の自宅謹慎】処分 だとか❗

その 話しを 聴いた 時

ヤッパリ 方針変更して 良かった と。

似た ような 矛盾ある 話しを

頻繁に 耳に するに つけて

【教育】という 【型に入る窮屈なる我慢】は

この国では

もう 無理だと 確信したのです。

登校拒否も 子供の意思を 尊重すべき なんです と❗

私らの 時代。

張り倒されて

耳 引っ張られて

引きずられて

泣く泣く 嫌々

行かされた モンです。

小学6年の 頃

今でも 鮮明に 覚えて ますよ!

当時 流行った 【ダウンタウンブギウギバンド】

アレ ですよ!

「あんたっ あの子の 何なのさっ?」

「港の ヨーコ 横浜 横須賀ぁ~」

掃除の 時間

ホウキ を ギターに

仲間と 合唱

コレを 見つけた 女性教師

ドッジボールの ように

私の 頭を つかんで

黒板へと 投げつけたっ!

結果

黒板が 壁に 固定した 枠から 外れて

壊れて しまいました!

私 ですか?

先生 どうも すみません でした

コレからは 真面目に 掃除しま~す!

それで お仕舞い。

帰って

親に なんか 言いませんよ!

言ったら

逆に

また お前は 悪いこと してって

拳骨 される のが オチ でした から。

学校の 先生って 恐い 存在でしたモノ。

学校の 先生の方が

親 と 生徒の 顔色 うかがう 昨今です。

ヤッテられません よねっ!

平和ボケ した 今時の 日本。

波風 ないように!

無難に 過ごせる ように!

でもねっ

国際間競争

波高し なんですが。

 

 

ファミリー の【絆】

ある 人物との 縁を 閉ざし

母 を 引き取り

加えて

私の 留守中に 無断侵入者が 診療所の

さまざまな

コンピューター の データー を 消去。

それを 契機に

さまざま な トラブルに 遭遇 した 私の 近況。

ただ、

私 の【ど心臓】は ビクとも しない し、

日常も 多くの 三枝ファン の 温かい ご支援 ご協力 にて

私の 日常は いたって 平常で 粛々 と。

【本当に歯で困った患者さん】は 多く

その 手当て に 専念する 毎日を 過ごして いました。

それが

その 無断侵入者の 意に 反した のか?

卑劣なる 仕掛け を

未だ 継続しようと する 気配を 感じて いました。

アホ やなっ!

程度 にしか 考えて いなかった

そんな 私を 案じ、

母の 縁者は 此処に

私 の 援助に 集結 したのです。

ホテル経営者 百貨店経営者 鉄道経営者 船舶運航会社経営者 などなど

さまざま な ジャンルにおいて

頂点を 極めた

大きな 影響力 ある 母 の 縁者たち。

私は その好意に 甘える 決意を 固めた のです。

私は カトリック教会の 信者ですから

紛争 争い は 好みません。

が、

蛇 の ような 執念で

姑息 卑怯 なる 振る舞いに

最早

私 は 勿論の 事ながら

母を 通じて

親類縁者 の

我慢 の 糸が 切れた のです。

北朝鮮 中国 ロシア との 外交 と 同じで

物指し が 違い 過ぎて

しがない 歯科医師の 私では なす術 も ありません。

そんな 私を 見かねたのでしょう。

昨日は 休診を 頂いて

母方の ファミリーの 元へと 大阪市まで 出向いた のです。

この戦

もう 私の手から 離れ ました。

尚登君!  君は 仕事に 専念せぃ!

あと は 小夜子さん を 頼むわなっ!

君は 好英君 と 同じで お人好し 過ぎる からなっ!

好英 というのは 婦人科医であった 母 の 兄

私の 尊敬する 叔父 です。

その夕刻

私は 叔父が 初めて 医院を 構えた

東二見 へと

急に

出掛け たく なりました。

叔父は その後

西明石へと 移転 したの ですが

小学生の 夏休み などの

長期休暇 の 際は

未だ 山陽新幹線の 線路が 田んぼ の 向こう側に 建設中で あった のを

大好きな 叔父の 医院に 泊まりこんで

過ごして いた 私は

その 光景が 未だに 瞼に 焼き付いて います。

移転の 際に

その医院は

他の 婦人科医に 売却した 叔父も

東二見が 俺の原点なんや!

と 懐かしそうに 言って いたのを 思い出した からです。

あの 田んぼ 独特の 匂いの 田舎街。

全く 様変わり して 都会へと。

あぁ 時代の 移り変わり を 感じざるを 得ない の でした。

叔父の 最初の 医院が 在った 処には

白い マンションが 建ち、

看護婦療 の 在った 場所に

後を 引き継いだ 先生も

恐らく 代替わり したのでしょう?

産科 の ない

婦人科のみ の 綺麗な クリニックに 変わって いました。

目に 見える 光景の 向こう側に

それでも

私の 瞼には 当時の 産婦人科医院 が 見える のでした。

急に

帰りたく なくなり ました。

で、

叔父が 移転した 西明石まで 戻り

夜中 の 3時に 出発すれば

余裕で

今日の 診療に 間に合う と 思い立ち

叔父の ついの 仕事場と なった クリニック 近くの ホテルで

骨休め したのです。

西明石も 懐かしい 処です。

大変換を 遂げた この街を

ゆっくり と 散策し

小さな 小料理屋へと。

明石 の【穴子】の 白焼き。

良い 店 でした。

 

令和って 変なのっ!

今日

患者さん から 教えて 頂いた の です。

難しい 話し では ありません。

笑い ながら の 会話 なんです が。

ご子息様 は 公立高校の 教師で いらっしゃる ようです。

なんでも

同僚の 教師。

野球部 の 監督なんだ そうな。

で、

ふざける 野球部員 の 生徒 に 対して

「アホ ボケ 帰って 寝えっ❗」

と 言った 処

その 生徒 が 親に 言い

その親 が 教育委員会 へと 苦情を 言い

結果

なんと なんと

その 教師

1週間 の 【自宅謹慎】に なった のだ そうなっ!

【アホ ボケ カス】は 【関西人の日常会話】

ほなぁ 関西人は 永遠に 自宅謹慎 やねっ!

笑い ながら 返した 私 ですが、

私は 心から

その県 の 教育委員会に 申し上げたい!

お前ら【アホ ボケ 帰って 寝えっ❗】

 

高校野球部でも

甲子園 目指して 猛特訓の 筋金入り の 球児たち

晴れの 甲子園で プロ球団の スカウトの【眼鏡】に 叶おう と

青春期を 野球に かける 球児たち

そんな【本気度】満々 の 生徒を 預かる 監督は

恐らく

もっと 厳しい 筈 でしょう。

プロフェッショナルの世界 は 厳しい 以上の 過酷な 日常。

嘆かわしい と 私は 思うン ですが、

高校生にも なって

親に 教師の 叱咤を 言いつける だとう?

その親も

【不適切発言】という 大義の旗を 持ち出して

教育委員会に ご提言!

公務員は そんな に 暇では ない の です。

しかし

公務員だから 立場的には 大義を 出されては

受け付けない 訳には イキマセン。

でもねっ

大人なんです から

アホな 親の 怒りが 静まる まで

頭 下げて たら イイん ですよ。

相手も

言いたい だけ 言えば

大人なんです から

頭 冷やし ますよ。

なんで【1週間 自宅謹慎】処分 なんか 出すん でしょうね?

どうせ

その 処分を 出す まで

大の 大人たち が 何名かで

長時間 会議して 出したン でしょうね!

【アホ バカ カス】ですよ!

また また

私も 叩かれ 大炎上 なんで しょう が。

叩かれて 鉄は 鍛え上げ られるンです!

御存じ ですか?

今の法律では

親 が 自分の 子供に 罰を 与えては ならない のです。

悪いこと したから 夕食は 抜きよっ!

コレも 犯罪 です。

大声で 叱る!

コレも 犯罪 です。

無視 する!

コレも 犯罪 です。

この 法案を つくった 国会議員 か お役人。

どう すん ですか?

ただで さへ

少子化 の 日本。

恐くて 子供 つくれ ない ですよ!

思春期の 子供たち。

親を 無視する。

親に モノを 投げる。

親に 暴言を 吐く。

トドメは 学校に 行きたくない!

親も 親で

思春期 だから

反抗期 だから

自分を 慰めるので 精一杯。

【働かざる者 食うべからず】

そんな時代に 育った 日本人が

今日の 日本の 基盤を 創ったンです。

汗水 涙 不条理に 耐えて の 労働から

真面目に 納税して

社会は 平和を 享受できて いるンです。

昔 活躍した

【ボヤキ漫才師 の 人生幸朗 生恵幸子】コンビ を 思い出す のです。

あぁ 私は 令和に ついて 行けへん わっ!

私 の 日常

唄 の 文句 では

ありません が、

私 は 旧い 人間です。

ゴージャスな 派手な 嗜好は 不得手 です。

散策するのは

もっぱら

このような 街並み

家 では 【時代劇】が BGM

そんな 影響にて

家人も 時代劇に 慣れた ので しょうか?

私の 出勤時

玄関口にて 【火打石】を 叩く のが 日常行事。

何処で 見つけたン でしょうか?

インターネット世代は 調べるのも 速い!

そんな 黒子の お陰にて

仕事に 専念できる のです。

【男子厨房に入らず】 と 云う 言葉が あります が

私は 料理が 好きなンです。

昨日は

糠漬物 で 熱燗 の あと、

男子厨房に 入り

【焼きうどん】を

 

そう そう

洗い物

調理 と 同時進行 で

自分 で 洗うン ですよ!

散らかし放題 料理して

あと

キッチンを ぐちゃぐちゃ にして

女房任せ って イケマセンよ!

 

よく 患者さんの 話しを 聴き▪丁寧 過ぎても 構わない 説明

コンピューター機器 による 精密検査も 大事ですが、

診断に おいて

最も 大切 なの は

患者さん の 声を よく 聴く ことに 尽きます。

【問診】です。

患者さん の 訴える 症状を

頭 の 中で フル回転し

どういう 状況に 至って いるのか?

何種類 かの パターンを 想定しつつ

その 範囲を 狭める ために

コチラ からも 患者さん へ 問いかける。

この 繰り返し が 凄く 大事なんです。

そこから

どのような 検査が 最も 的を 得た モノか が

診断の【決め手】に なるの ですから。

私は クドイ ですよ!

加えて

悩み 悩み ながら

【検査方法】 と 【診断】 を 決定 します。

私が 納得する まで

患者さん には お付き合い 願います。

こういう 作業

【し過ぎ】って 無い という の が

私の 臨床経験 から の 信条 です。

医療行為 が 容易に システマティックに できない 訳が

此処に 在るの です。

人 それぞれ ですもの。

だから

私は よく 患者さん と お話し しますよ!

実際の 治療 よりも

気も 遣い ますし、

喉も 渇き ます。

だから かも しれません。

私が プライベートでは

家から 出たく ない のは。

【貫禄】?

この 1年半くらい でしょうか?

私の 生活は 一変しました。

大勢の 方々との 交遊関係が 拡がった のです。

私の 知らない【世界】が 拡がった のです。

また、

疎遠に なる 人間関係も 経験して います。

それは

元来 【価値観】 や 【ゴール】が 違った 方々だった ので

スッキリ して います。

最近、

先生ぃ 【貫禄】が 出て きましたね!

と 言われます。

おう 【薙刀】の イメージで そう 思うん ちゃう のっ?

そう お返し すると

相手は 大爆笑!

私は ウインクで 応じます。

でもねっ

【貫禄】って 何なんで しょう ねっ?

そんな モノ

歯の 治療には 無関係 ですのに。

ちっぽけ な 私の 細やかな 自慢

ヤッと

2年がかり にて

上下顎 の セラミッククラウン修復が 終了 しました。

インプラントも 数本 使いました。

噛み合わせ は 完全に 私の手で 修正 しました。

大いなる 達成感 あり と 云った 処でしょうか?

ところで、

昨日の 日曜日

久しぶりに【HITO 病院】の 理事長が お越しに なられました。

私は 石川女史の ファンですから

超超 多忙の 女史のため ならば と

午後から 診療所を 準備して いました。

石川理事長の 著作です。

私より 年少の 女史の 医療観 と 医療展望に 敬服。

治療を 通じて

その人 の 生き方 価値観って

臨床医は 判るン です。

この 一人の 女医さんが

石川病院 から HITO 病院へと 生まれ 変わらせた のです。

その 過程を

私は 身近で 観て きました。

私には 持ち合わせない 能力を 持った 人です。

その 女史から 私への アドバイス。

仕事ばかり では イケマセンよ!

もっと

御自分の 人生を 楽しむ ように!

 

それって

私が 女史に 対して 常々 感じて いる 想い でした ので

可笑しかった!

 

しかし、

この【令和】という 時代

日本の 将来を 案じる のです。

来るべき【南海トラフ】が

当然の ことながら【四国】を 飲み込み ます。

その際の【拠点病院】として

地理的条件 から【HITO 病院】が 機能せざるを 得なく なる でしょう!

幸 か 不幸か?

この地域の 病院を 父上から 引き継がれた際に

【南海トラフ】の際を 直感的に 感じた 理事長は

大いなる チャレンジに 挑んだ のです。

私など ちっぽけ なる 歯科医師にしか 過ぎません。

この 年少の 女医さんの【度胸 と 計画性】に 完敗だっ!

ただ

そのような 偉人の 歯の番人である こと は

私の 細やかな 自慢でも 在るんです。

 

 

 

根管治療について 最近 思うこと

最近

根管治療の レントゲン写真を 公開したく なくなり ました。

訳 ですか?

治療の 仕上がりの 基準

今時の 歯科医師に 伝わらないと 感じた から です。

う~ん?

【着物姿】に 例えると

なんとなく 判って いただける かも しれません。

 

おもしろい イラストを 見つけ ました。

時代 と ともに 変わってゆく 着物姿。

こういう 着付け を よく 見かけます。

私的には 恥ずかしく ないん?

聞きたく なりますし、

駆け 走って

どんな 美女か?

確認したく なる 気持ちも 沸きません。

でも、

彼女たち の 合格点は コレなんです。

 

私に とっての 【和装】の 流石!

は、

こういう 着付け 色合い合わせ だと 思っています。

そもそも【物指し】が 違うンです。

根管治療について

おんなじ こと 感じて

公開しても 意味ないわなっ!

そういう 心境なんです。

歯科治療の【科学的根拠】 特に メンテナンスプログラムにおいて

何を している の かって?

患者さんの【唾液】から 細菌培養を 行う 準備中なんですよ。

よく 歯科医院で

次は 3ヶ月あとに 定期検査に 来てください って

聞きませんか?

なんで みんな 3ヶ月なんでしょう?

私は

患者さん 毎に

その 生物学的特徴を 治療期間を 通じて

ジッと 観察して います。

その上で

歯肉に 対する アプローチ

噛み合わせに 対する アプローチ

虫歯制御の コントロール

を 行って います。

で、

最後の【詰めの作業】が メンテナンス期間 と メンテナンスの 内容です。

みんな 同じ なんて 変じゃん!

生化学 微生物学 解剖学 生理学

臨床医学 では なく

基礎医学的見地から【三枝デンタルオフィス】では

メンテナンスプログラムを 決定して いるのです。

 

穏やかな 余生を 過ごす 母から 感じる こと

母は

現在 施設にて 過ごしています。

週に 4回 ほど

デイサービスを 受けるために

外出する のが

母の 週間行事 なのです。

デイサービス施設への 行き来の 中で

送り迎え の 車窓からの 光景が

母に とっての 唯一の 外界との 接点なのです。

一時は

車椅子の 生活でしたが

今では 歩行器を 使って では ありますが

自力歩行できる ように なりました。

私は 家人と 共に

週に 2回

母に 会いに ゆくのが

これも 私の 週間行事と なりました。

アイスクリーム、果物 お菓子、珈琲

これが

母に とって

唯一の 楽しみに なっているのが 伝わります。

痴呆が どんどん 進行して ゆく 様を

複雑な 想い にて

母と 接して います。

6月の 89歳の 誕生日から

訪問する 度に

母から 聴かせれ 見せられる モノが あります。

 

デイサービスの 職員の方々から 頂いた

誕生日を 祝う 寄せ書き です。

「お風呂に 嫌がらず 入って くださいね!」

など

自分の 都合の 悪い 記載は 目に 入らないのか?

 

「ホラっ ホラっ こんな のが あるのよ!」

「素敵な 笑顔で 云々」

この 素敵な 笑顔という 誉め言葉

脳裏に 刻まれた のでしょう!

何度も 何度も 何度も

繰り返し 繰り返し

私 と 家人に 読み 聴かせる のです。

 

そうか!そうか! 良かったなぁ!

このセリフ を 私は 何度も 何度も 繰り返す 訳です。

母は 私 と 家人 しか 覚えて いません。

家人などは 未だ 1年半 程度の 付き合い でしか ありませんが

私より 頻繁に 母の 元へと 通う 家人は

母にとっては ありがたい 信用できる 人なんだと 思います。

時々

カチン!と くる 時が あります。

腹が たって

と 云っても

この 母に 注意する のも 酷なのですが

むかつく ので

母を 家人に 託して

ちょっと

席を 外して

外で 一服して

心を 建て直して

再び 部屋に 戻ったり、

カチン と して

視線を テレビに 向ける。

その際に

「アレっ 眼を 外した! 気の 短い 子だ ねぇ!」

と、

家人に 問いかける 母。

 

ナンやねん!

と 思いつつ

母は 家人に よって 幸せな 最終期を 過ごせて いるのだと。

この間

80歳の 女性患者さん お元気なんですよ!

私 に

「老後 が 心配だわっ!」 と おっしゃい ました。

う~ん?

口には しません でしたが、

( もう 老後じゃん? )

私は 歳を 重ねる 過程を

重く 重く 感じつつ

日々を 過ごす ように なりました。