視える事と出来る事


昨日のラストの患者さんの治療に際して、

私は覚悟してたのです。

何時に終わるか解らないと。

前医の為した根菅治療の再治療なのですが。

患者さんは、抜歯の宣告を受けておられました。

まぁ、解らないでもありません。

レントゲン所見において、

根の中に、神経を採る際に使うファイルと云う針が折れて残ってます。

また、歯の根の先から少し手前の処で、

針の挿入方向が逸れたんでしょうね!

ポッカリと根の側面に孔が空いています。

この様な症例って、多いのです。

が、

私にはドウシテモ解らないのです。

私には【視えるモノ】には絶対に【手】は届きます。

マイクロスコープを使って【拡大】できれば、

尚更の事です。

何故、折れた針が捕れないのか解りません。

私自身も、

気合いが入り過ぎて、

針を折ることが昔はありました。

正直、いっぱい折りました。

が、

折った数だけ上手に取り除く技術を身につけました。

手が滑ったんでしょうね。

それは偶発事項ですから、

責める積もりもありません。

ただ、不始末は自分で【けじめ】をつけないと。

そんな感じで患者さんに臨み、

ラバーダム防湿をして、

マイクロスコープをセットして、

両の肘で患者さんの頭部を優しく挟んで、

小一時間ほど経ったでしょうか?

スルン!と、

針が飛び出して来て

ヨシ!と。

後は根菅の中を綺麗に掃除して、

根の先と、脇の孔に、

MTAセメントを丁寧に詰め込んで終了!

拍子抜けするほど呆気なく終わり、

予め後は患者さんの予約を入れてなかったので、

書店へと出掛けて行ったのです。

今日の歯は、

長持ちすると思います。

何故って?

根の中の状態を、

眼で視て、

手で触って、

そう思っています。

私を【主観の人】と【客観視に欠ける】と云う歯科医が居られます。

別に其れで良いのでは?と、

私は職人ですから、

【主観的な勘】ほど大切なんじゃないですか?