老いすぎた母の姿から、
思うところあり、
自宅を・建て直すことに・したのです。
もったいない・話しだとは・思いますが、
2階建ての・小さな家なんですが、
一階部分に・寝室とバスルーム。
2階に・リビングとダイニングという構造が、
高齢者の住居としては・全く相応しくないことを
実体験から・認識したのです。
小さな家ほど、便利であると云うこと。
寝室とトイレが・近接していること。
階段の・登り降りが無理になるから、
平家であること。
庭の樹々や花を見ることが・心の支えになること。
そんな条件で、設計をお願いし、
私は・臨時移住し、
取り壊す前、
休みの度に、
荷物の整理に・取り組んでいる処です。
気がつけば、
ほとんどのモノが、断捨離の対象。
私にしてみれば・訳ありの大切なモノでも、
遺された者にとっては・ガラクタと同じ。
と、判断したモノは・廃棄の判断を。
幼い頃からの・アルバムが・段ボールから・出てきました。
私にとっては・思い出の軌跡ですが、
数枚・抜き取って、
大半は・廃棄の対象に。
残した数枚は、
母に・あげたのです。
母には・過去しか・無いのです。
将来という概念をも・持てない年齢になっています。
今・飲んでいる珈琲が・まろやかな味わいであれば・幸福。
今・犬の頭を撫でていることが・幸福。
今・何かしら対象がなければ・窓からの光景を仰ぐだけ。
遠い過去を・思い出すことしか・幸福感を見出せない・のでしょう。
幼い頃の自宅の庭園に面した座敷の縁側で、
母と並んで座った写真、
日本庭園の松の木の脇の石の上に・胸を反り返し立つ私の写真。
そんなモノは・今の私には・無用です。
子供たちも・全く無関心でしょうから。
しかし、
母は・大変・嬉しかったようです。
この真面目そうな男の子は・誰❓
俺や・ないか!
嘘・だって真面目な子だよ。
今の俺は・真面目に見えないのかい❓
だって・あなたは・モテるでしょっ。
私は・そちらは・すでに卒業したんですが、
年季が・モノ云うのでしょうか。
人は・必ず・死を迎えます。
私は58歳を迎えました。
男の仕事の・最後の上り坂に・あります。
まだまだ・私は上昇気流に・乗るつもりです。
日々の・時間のやりくりも・上手に・なりました。
大半のオンと・わずかのオフを、
完全に・別けました。
そのことで、
仕事の質は・確実に向上しているのを・実感します。
仕事以外のストレスの原因は、
順次・整理することも・実行し始めました。
対人関係が・ほとんど・のようです。
決して・自分にとって都合の良い人を・残すのではなく、
過去から現在まで・一生懸命・生きたことで、
真っ直ぐな・思考回路を持ち合わせた人。
今、踏ん張って・生きている人。
よくよく考えれば、
そういう人って・わずか・なんですよ。
あとは、
心が真っ直ぐで、
情熱家でしょうか。
私の関わる人は・大半が・患者さんですから、
仕事以外での・人との関わり合いをもつことって、
案外・少ないんです。
そういう状況下で・知り合った人間関係は・長期に渡りますが、
残った名簿は・ほんの一握り・だったのです。
私の・残された人生の時間は、
全て・歯に捧げる決意から、
実際の・行動に・動いたのです。
私が・本当の意味において・本気になった!
という証・だと思います。