祈り


昭和9年生まれの・母の、

今日、

誕生日です。

健やかな・気持ちで、

過ごしている・のでしょうか?

私は・母の所在を知りません。

昨年の敬老の日に、

電話で・会話した時が、

生涯最後の、

母・息子の触れ合いでした。

母の置かれた境遇から、

母が切望した、

息子に迎えに・来て欲しいという【夢】は、

儚い夢であり、

直ぐに・迎えにゆくからな!

と、

叶う筈などない事を・識りつつ、

私は・嘘ではありませんが、

妨害が介入する事を識っていましたので、

心の中で、

母最後の声を、

鼓膜に焼き付けたのです。

東北地方に暮らす姉が・世話した施設で、

母は・暮らしています。

施設の名前も・場所も・知りません。

姉夫婦の思惑は、

私の生きる【物指し】とは・全く違います。

ですから、

姉夫婦を信じ・頼った母の、

自己責任と言えば・そういう事になります。

カルテを記載する際に、

今日が・母の誕生日だと・気づきました。

遠くを眺め、

健やかで、

穏やかな心で、

もう幾ばくもない時間が、

幸あるもので・ありますようにと、

目の前の・聖母マリア像を見つめ、

祈りを捧げた・私です。