日別アーカイブ: 2021年8月12日

三枝院長・三國志を・断念す

昨年、新潟に参りました際に、

日本歯科大学の歯科放射線学の小椋教授と、

恒例の・古町グルメ認定医の実地試験の際に、

刺身を・つまみながら、

先生が、

ポツリと・語った内容が・脳裏に焼きついて・いたのでしょう。

先生は・大変な・読書家です。

論文や著作の・執筆の方も・立派なモノで、

私が・一目置く・大変な知性派で・いらっしゃる。

その先生が、

三枝先生、

私は・再び・三國志に・戻りました。

多くの作家が・描いた・三國志。

片っ端から・読破してるんですよ。

東京人の先生は、

新型コロナウィルスからの感染防止対策のため、

週末毎の・帰京は・断念されて・おられた様子。

で、

久しぶりに、

新潟から・自宅へと・帰京されたようで、

ほんの・数日・ご家族と過ごされ、

新潟に舞い戻ったのですが、

大学構内へは・入れないのです。

上京した職員は、

それが・東京キャンパスへの業務であれ、

新潟キャンパスへは、

1週間の・自宅待機を・余儀なく・過ごさねば・ならないのです。

先生は・単身赴任。

大学へは・徒歩5分のところに、

質素な・住まいを・構えて・いらっしゃる。

ご当人には・申し訳ありませんが、

構える・という代物では・ありません。

そんな住まいには、

電化製品は・洗濯機・ただ一つ。

それを・聞いた私は、

仰け反ったのです。

あのぉ・冷蔵庫は?

ありません。

テレビは?

ありません。

電子レンジは?

ありません。

電化ポットは?

ありません。

先生!一体・何が・あるんですか⁉︎

布団だけです。

ちゃぶ台は?

こちらも・やけバチになって・問いかけていたのです。

先生!家で・何してるんですか。

本を・読んでいます。

だって、

夜の11時くらいまでは、

余裕で・大学で研究していますから。

平然と・言い切ったのです。

筋金入りの・学者ですよ。

その自宅待機期間、

三國志あれこれ・だったん・です!

朗らかに・語るじゃ・ないですか!

私も・読書は・嗜みますが、

先生の・足元にも・及びません。

先生、良いんですか?

コロナウィルスへの厳戒態勢の中。

こんな所で、私と・のんびり・してて?

今日の・古町グルメ認定医・実地試験。

学内の現場の規則に・則り、

完全に・オッケー・です。

事前に・調べましたので。

現状4人まで・オッケー・ですから。

先生と・二人きり・なんで・問題ありません。

また、

会食場所は、先生の目に・かなった処。

流石、

換気のための窓のある個室、

価格からの・客層、

女将の・気遣い、

ここは、

下手すれば、医療機関よりも・安心でしょう。

その後は、

どんどん感染者が・増え続け、

これが・最後の機会と・なりましたが。

そんな時を・思い出し、

私も・三國志へ・挑戦したのですが。

これが・イケマセン・でした。

根が・善の塊、

良人の結晶を・自覚する私です。

それと、

かの国嫌いも・筋金入り。

頁を捲りながら、

人間不信に・なりそうで、

ヤッパリ・読むのを辞めて、

壁に・叩きつけたのが・最後です。

小椋先生とは・ウマが合うんですが、

三國志は・イケマセン・でした。

楽しいこと・って

今朝、

診療を始める前に、

恩師である・川崎孝一先生と、岩下博美先生と、

相次いで・長電話。

楽しかった・です。

あとは、

美しいものに・触れた時。

マセラティを・操る時、

若い青春期を・思い出すのです。

ナンパなら・負けないぜ!

レクサスや・メルセデスのような・優等生は、

私には・向いていません。

一点集中の・極意・とでも言いましょうか。

歯科医学の魅力も、

マセラティのようなモノ・かも・しれません。

緊急事態宣言しても・良いくらい

かわいい子には・旅をさせろ・では・ありませんが、

弟子たちには、

全国各地や・海外へと・出向いて行き、

見聞を広め、

歯科以外の・佳いモノに・触れる・機会を・増やすことが、

本業たる・歯科医療の・深みを身につける・最短距離である・と、

常々・口酸っぱく・言っているものですから、

こんな状況ですが、

どこへも、

行くな・とは・言えません。

医学を学ぶ・専門職ですから、

相当な・感染防止対策は・講じていると・思って・観ています。

新潟県の赤倉観光ホテルは・とても佳い・ホテルであることから、

弟子たちにも、

しばしば・勧めています。

で、

この・お盆休みを利用して、

赤倉観光ホテルへ向かった弟子が、

丁度、

途中で・長野市を通過すると・聞いていました・モノで、

長野市の・善光寺界隈の・街づくり・の見事なことを、

これも・常々・話をしておりましたから、

彼は・立ち寄る・ことに・したのでしょう。

また、

超高齢者の・おばあちゃま・が居られることから、

別段・おばあちゃま・ご本人に・聞かせる・話では・ありませんから、

旅立たれる際に・新たに仏様となる方が、

三途の川を・渡る際に、

河原で立つ・六地蔵菩薩さまに、

舟賃として・準備しなければ・ならない・6文銭。

長野・善光寺の・6文銭は・名高いことからも、

是非に・買っとけば良いよ・と。

そう云えば、

ウチの・母の・6文銭は・用意していねぇな・と。

しょうもない・ことを・思い出し、

今度、

新潟へ・出向いた際には、

遠回りして・買って来ようと・考えていた始末。

そんな弟子から・旅先から、

電話を・いただき、

先生!

凄まじい・人出です!

危険を・感じます・と。

そりゃ・大変だ!

速く・赤倉観光ホテルへ・逃げ込みなせぃ!

あそこは・私が好きなくらいに・客筋も・よろしい・ですから・と。

しかし、

新型コロナウィルスの怖さって・一般の方には・判らないのでしょうかね。

やっぱり・危険

今朝の・恩師達との・電話からも、

診療所と自宅との・自家用車での往復と、

週に1回の・スーパーへの買い物、

それ以外の・外出は・絶対に、避けているくらい、

新型コロナウィルスに対する・警戒は・怠っては・イケナイことを

再認識・させられた・のです。

ワクチン接種していても、

重症化へのリスクが・軽減する程度で、

感染することから・回避できる訳ではないのが、

このウィルスの・イヤラシイところ。

既に・1年半程度・続く状況に、

慣れて・しまうことが・1番・恐ろしいですね。

ワクチン接種したから、

もう大丈夫・だろう・って・のが、

イケマセンよ!

まだまだ・三枝デンタルオフィスは・厳戒態勢の・最中です。

墓参りの・ついでに

某歯科メーカーが・得意先のために作った・予約帳を愛用しています。

この類のモノは・なんでも良い訳では・ないのです。

患者さんからの・見た目の良さは・勿論のこと、

ページを開くと、

1週間の・チェアの稼働状態が・一目瞭然であることが、

必須条件なのです。

この予約帳、

今年は、オリンピックが開催されるのか、

はたまた、

新型コロナウィルスのせいで・断念せざるを得ないのか、

判断できない時期に・最終構成を迎えたのでしょう。

で、

このメーカーは、

オリンピックは・断念と・判断したのでしょうね。

祝祭日が・例年通りで・製造されていました。

カレンダーよりも、

日々の・動きを、

この予約帳・中心に・構成し、

カレンダーなど・見る習慣など・無かった私は、

先週の月曜は仕事を、

で、

水曜日を祭日だと・思い込んで・おりましたので、

昨日は・お休みを・いただき、

先祖の・お墓の掃除へと・高松市の郊外へと・足を運んだのです。

猛暑の盛りの・猫の額ほどの讃岐平野の外れの・高台に、

先祖の墓地を移築したのは、

私が・高松市に診療所を・構えたのと・同じ時期。

開業資金として・銀行から借り入れしたものから、

墓地資金を・拝借したのは、

これから始める診療所の仕事、

ご先祖さまの・力に・すがる想いが・あったからです。

開業当初の数年間は、

本当に・しょっちゅう・お墓参りに・行っていた・モノです。

私の診療所のスタイルは・独特なモノです。

軌道に乗るまでは・大変でした。

もう・いっそ、

一般の歯科医院のように・戻ろうかしら・とか、

難しい症例に遭遇した際には、

もう・ダメだ!

自分には・まだ・力不足であったのかも。

そんな・迷い、叫び、不安からの怯え、

随分と・長い年月を、

心穏やかに・暮らせることは・無かったですね。

どうして・歯科の道に・入ったのかしら。

どうして・修行僧のような・イバラの道を・選ぶのかしら。

そんな・想いを・払拭するために、

いそいそと、

墓地へと・足を運んでいた頃を・懐かしく・思い出します。

患者さんの・病状の原因への診断、

そして・治療方法と、その実際は、

耳に・歯の声が聴こへ、

治療方法は、

脳裏に・天から降ってき、

実際の治療は、

手先が・勝手に・動くことで、

自然に・無我を創ることで、

成り立つことが・判る歳に・なって・しまいました。

欲という・邪魔が、

全てを・台無しに・することが・判る歳に・なりました。

墓石に・近況を語りながら、

お盆の準備を・清楚に整へ、

墓地を後にした私は、

思いついたように、

今度は、

全く正反対の方向へと、

坂出市に向かって・車を向けたのです。

向かった先は、

市役所に問い合わせて・調べた・坂出市塩業資料館。

私の家は、

元来は・播州赤穂の出。

塩を商い・していた事から、

屋号を・当初は、

潮金・と名乗って・いたことを・思い出したのです。

良い・資料館でした。

幼少期の・記憶にある・塩田風景が・懐かしかった。

ほんに・瀬戸内海は・美しくもあり、

懐が・あたたかい・のです。