月別アーカイブ: 2018年3月

奥歯のダイレクトボンディング修復

すみません。

術前の状態は、

別のカメラにて撮影して、

このタブレットのカメラではないので、

今はお見せできません。

虫歯と古い修復物を外すと、

こんな感じです。

まぁまぁ大きな虫歯でした。ラバーダム防湿して、

ご覧の通りの重装備にて、

ダイレクトボンディング修復。

で、

歯の形を彫刻して、

光線を照射。

で、

完成です。

この歯の前後の歯も、

ダイレクトボンディング修復して下さいって。

 

開き直り

私は55になるンですが、

年々、

忙しくなっているように思います。

私は人格者ではありませんし、

バランスのとれた人間でもありません。

ただ、

歯が好きで、

好きで、

それだけで生きてきたような

バランス感覚の欠けた人間です。

それで良いのだと、

今では開き直っています。

大学の戻って11年になります。

私は学生や若い歯科医師が

可愛くてなりません。

地味に、

誠実に、

接してきました。

どうやら、

ご褒美を頂けるようです。

が、

それに報いるために、

更に、

自分で自分に、

鞭を打たねばなりません。

こうしながら、

私は生涯、

歯科医師で在り続けるのでしょうね。

入れ歯の修理もダイレクトボンディング修復にて

あちゃー!

朝、

洗面所で入れ歯を落としたンだそうな。

セラミックの前歯が、

見事に欠けた高齢の女性。

私の造った総入れ歯です。

歯科技工士にお願いすると、

3日は入れ歯を預からねばなりません。

私が人工歯を入れ換えるのならば、

診療所が終わった後の、

夜なべになります。

明日まで、

入れ歯を預からねばなりません。

そんな時に、

ダイレクトボンディング。

ほら、

直ぐに、

綺麗なお顔に戻れますよ。

先妻との間の末娘と

最後に会話したのは、

先の東北大震災の前の頃でした。

娘と最後に顔を逢わせたのは、

娘が5歳の年でした。

以降、

娘の顔を、

毎日、

何十回と思い出す13年でした。

息子の方は母親とは折り合いが悪く、

それは息子が私のDNAを強く受け継いでいるからです。

価値観の違いが、

青春期の息子にとって、

相性が合わないことでイラつくのだと思います。

息子に私は、

彼の母親の悪口は言いません。

離婚の原因を聞かれたことが在りました。

ただ、父が若かったのだとだけ。

男は、そういう生き物です。

対して、

女性は別れた亭主を、

人間の屑のように、

子供に伝えます。

それが判るから、

私は遠くから娘の幸せを願ってきました。

この春、

この娘は私の母校の門を叩くようです。

ただ、

娘は東京の本校を。

私は新潟の分校ですが、

新潟から娘が良い歯科医師に育つことを

見守ってゆきます。

総合診療歯科

根管治療、

インプラント治療、

審美歯科、

マイクロスコープ治療、

などなど。

歯科医院のホームページを観ると、

様々な治療方法が、

説明されています。

歯科治療は複雑な治療です。

各治療の丁寧な積み重ねが

良い口腔の状況維持につながります。

どのステップにも、

高度な手当てが必要です。

審美歯科的に美しく仕上がっても、

根管治療が雑であれば、

直ぐに歯の健康は破壊されるでしょう。

いくらマイクロスコープによって

根管治療が精密に行えても、

噛み合わせへの配慮を欠落していれば、

早晩、

歯の健康は破壊されるでしょう。

歯の治療に際して、

最も大切なこと。

総合的な診断と、

総合的な治療ができること。

その上で、

それぞれのステップを丁寧に。

足腰の強さと、

大局的な見地からの歯科治療。

それが総合診療歯科なのです。

眼には見えない力

極度な淋しん坊であった私ですが、

神父さんからの

ある言葉から、

この孤独感から解放されたのです。

カトリックは、

いつも神さまと、

会話することが基本なのですよ。

何気なく言われたんでしょうが、

私の心の鍵にピタリと、

適合したのです。

治療の際に、

凝視し、

無心で、

器具を手にしています。

が、

私は歯と、

いつも会話してきました。

歯の声が聞こえるからです。

そんな私を、

ある歯科医師が

私を、

気がふれたと、

その医院に通っている患者さんに言っているようです。

しかし、

その医院に通っていた患者さんが

大勢、

私の診療所へと転院されてお越しになられます。

私は歯が大切でなりません。

どうしてかは判りません。

が、

自分の仕事を大切にできないことを

私は理解できません。

縁があって、

就いた仕事です。

仕事を通じて、

自分を鍛える。

ただただ、

それだけで過ごしてきました。

が、

歯から離れた瞬間に、

私は淋しさに襲われていたのです。

歯以外のことは、

何一つできないからです。

矛盾していますが、

死ぬくらいシンドイのが

真面目に仕事と向き合うと云うことです。

ですから、

仕事から離れた瞬間に、

否応ない孤独感に襲われてきました。

今ですか?

私は幸せ者だと思います。

一度の人生を、

好きな仕事で終えられるのですから。

言葉を発しない、

独り言が多くなりました。

眼に見えない力と、

話ししているのです。

 

 

 

洗礼

昨日の診療が終わったのは

午後の6時半を少しばかり過ぎた頃。

急いで教会へと向かいました。

カトリックでは、

洗礼の前に、

2つの段取りを採らねばなりません。

先ずが入門式。

神父さんから額に十字を記されます。

次いで、

洗礼志願式。

それから、

いよいよ洗礼式と云う塩梅です。

入門式の前に、

神父さんから毎週、

聖書の読み解きから、

カトリック信者の生き方を教えて頂くのです。

で、

昨日が入門式だったのです。

今週の日曜日のミサにて、

洗礼志願式を。

私の場合は復活祭の日、

今年は3月31日がそれに相当します。

その夜に、

洗礼を受けることになっています。

新しい名前は、

師匠である内藤正裕先生から頂きました。

ヨゼフです。

大工であったイエス.キリストの

この世での父の名前です。

洗礼と云うのは、

一度、水に浸かって死に、

新しく復活すると云う意味合いが在ります。

私を取り巻く環境は、

大きく変わっています。

今年は大きな節目になるでしょう。

覚悟を持って、

これからを過ごす。

歯科医学の門を叩いた年から今日までの時間は

既に私には残されてはおりません。

あとどのくらいの時間、

歯科医学と関われるのでしょう。

大切に、

歯を見つめてゆきたいと思います。

それが、

歯の大工である私の仕事ですから。