今日も朝一番から大きな手術があります。
麻酔注射をして、
メスを手にした私は、
ジッと、
患部を凝視します。
予め手術のデザインは頭の中に在ります。
それでも直前まで、
私は悩みます。
で、
【決まる瞬間】が一瞬。
メスを持った手が、
勝手に動き始めます。
手術が終わるまで、
私の身体の中には【意思】はありません。
術後のレントゲンをコイーバを燻らせながら
目にした時、
身体の中に魂が戻ってくるようです。
先日、
東京都麻布にて開業の師である内藤政裕先生と
長話に興じていました。
私は、内藤先生が好きです。
歯の塊のような情熱の歯医者だからです。
先生を追いかけ、
その時既に、
悔しいかな!
もっと先へと駒を進めておられ、
決して届くことができません。
手先の器用さは、
歯科医師に必須の条件ですが、
内藤先生の治療には哲学が在ります。
また、
男として、
職人としてのやせ我慢をも
感じ取れることが
内藤先生と他の歯科医師との
大きな違いだと思います。
私は内藤先生との出会いがあった30代前半に
歯科医師としての
歩く道を見つけました。
私の診療所に来られる患者さんは難症例ばかりです。
本学に困った患者さんに対しては、
私は屁理屈など言いません。
背負う気概で、
受けて立っています。
同業は特に、
家族の理解が得られているとは思えない半生でした。
それでも私は、
治療した患者さんからの評価で支えられています。
患者さんがお越しになられました。
術前の患者さんに必ず申し上げる台詞。
【私がしますから大丈夫です】
私の手は、
神様仏様が守ってくださっていますから。