月別アーカイブ: 2016年2月

骨休め

患者さんも多く、

ありがたいと感謝しています。

暖かくなれば、骨休めとして

マリリンを連れて温泉にでも出かけようと。

この10数年来、随分と無理を重ねてきました。

少しではなく、

ガラッと環境を一新しようと決めたのです。

しがいのある事、ヤリガイのある事のみに専念と。

人生あと僅かですから。

 

優先順位

私は自分で、秘かに仕事が出来る人間だと自負していました。

仕事のさばき【サバキ】には自信がありました。

が、身内のこことなると、

皆目、訳が解りませんでした。

私なりに努力しました。

が、結末は

私に対する不平不満ばかりで、

私の思考回路に問題が在るのだとまでに

結論付けられる始末でした。

腹もたちましたし、

ブチキレた事もしばしばでした。

が、

私には、結局の処は皆目解りません。

仕事以外のことは皆目解りません。

何が優先的な問題なのか?

皆目解りません。

もう止めよう

長い間の患者さんと御茶を飲みに行った際に、

「先生は弱すぎる!凛と!見た目とぜんぜん違うね!」

と。

歳から云えば、親ほどの患者さんです。

何故?と、問うと、

優し過ぎると。

身内と思っていた人間から、

身勝手で、自己中で、散々な台詞を吐かれた事があったので、

そんな話を返してみたら、

だから弱いンだと。

誰が観ても一生懸命頑張ってる男に

理由がどうあれ、

不平不満を抱く原因は、

相手が弱いと感じるからですと。

仕事をしていて他に目配りできるなら、

其れは大した仕事をしてはいないと云うこと。

八方美人は止しなさい。

嫌ならどうぞご自由にと。

全部、壊してメチャメチャにしなさい!

そうかもしれません。

気を使い過ぎていました。

 

読書の大切さ

患者さんから、最近、

プロ野球選手であった清原選手の薬物問題についての

話題を振られる機会が多いです。

覚醒剤の使用は、許される事ではない!と云う問題よりも、

身体に悪いのに?と、

そんなくらいにしか思えません。

そもそも人の作った法律ほど、

当てにならないモノはなく、

第二次世界大戦時には、

戦闘機乗りには国が率先して覚醒剤を与えていた訳で。

戦後も、柳家三亀松師匠などはヒロポン中毒で亡くなった訳で、

当時は合法でしたけれども、

師匠は芸のためと言いつつの薬で

命を投げ棄てた訳ですから。

折角に、優れた体質と能力を持ちながら、

身体に悪い薬などモッタイナイ!と。

精神的に弱い云々についても、

神様は乗り越えられない試練は与えない!と云う

アドバイスをする人の方に、

何を馬鹿げた事を!と。

壁や逆境に、孤独に苛まれ、

耐えきれないとキレそうになるから、

宗教がある訳で、

清原選手には、逆にもっともっと弱く見せれたならば、

無理する事など無かったのにと。

人は柔い、弱いから人間なんで、

私も何度も死のうと思った事か。

其れをうつ病と呼ぶ方が、

人情味のない、努力もしたことのない

中途半端なマヤカシ野郎だと、

私は思っています。

私の患者さんも、

長い人生経験においての苦労人も多く、

仕事をしてきた人間と云うのは、

半端な人は居ないのだと。

清原選手については、

意地でも人生を振り返り、

反省するべき処を

意地を張り、強がるのではなく、

もっともっと正直に自分の柔さ、弱さをさらけ出す勇気を持って、

天性の恵まれた才能を青少年のために費やして頂きたいと。

何れにしても、

世に云う問題を起こした人を、

一斉に責める世間相場の方が

大いなる恥知らずだと、

私は公に公言して憚りません。

ろくに書物など縁なき無教養が、

人の不幸を喜ぶのです。

 

医療倫理

私の考えですが、

自分の子供を最後まで信じて見守り、

例え、その時は反発を受けても

黙って耐えて、

何時か理解出来る日が来ると

諦めない、

それが親の性だろうと。

これは家族全般や、従業員などにおいても

同じ事が言えると思っています。

其と、筋目を通すと云うことを

両立させることは、

更に忍耐が必要だと思います。

プツンと、切ることは容易いし、

面倒な、合わないなどと解決をはかることは

容易いのですが。

人の生まれ育ちも様々であり、

遺伝子や環境からの性格や思考回路が

それぞれに違いが在ります。

社会における人の営みほどに難しいモノはありません。

手を焼き、匙を投げたい心境も

しばしば経験しますが、

其れでも、

人を許し、受け入れると云う処が

私らの仕事にとっては、

大切な必要条件だと思います。

そもそも医師の能力は、

技術などを学ぶ過程においても、

倫理観の持ちようが

より大きく影響するように思います。

技術職など、

事業家ほどの豊かさなど得られる筈もなく、

職業選択の際においては、

その辺りを十分に考慮しなければなりません。

不安

私には、せがれが一人居りますが、

私のアキレス腱と言っても良いでしょう。

自分の若い頃を、決して胸を張ってと言えない事を

十分に自覚しているのと、

せがれの可能性を信じる唯一の存在であることに

せがれも何時か気づく時が来るだろうと、

ただ見守ることくらいしか出来ません。

また、男同士しか判らない【アヤ】と云うモノが判るからこそ、

最近の糞のような輩とは違うと云う安堵の気持ちがない訳ではありません。

男が認める男と云うモノは、

女性からしてみれば、

其れは全く理解不能なモノだと思います。

今日も、人気テレビキャスターに隠し子が居たと大騒ぎですが、

昨日までモテハヤシテいた癖に、

今日は怪しからんトンでもない奴だと。

そもそも、芸能の仕事に就く人に

清廉潔白を求めてどうするン?と、

思う私が、時代の尺度とかけ離れているのでしょう。

藤山寛美や春団治、あの輝かしい役者たちが、

今の物指しで、どう生きたのでしょう?

私のせがれは、今時の優等生ではありません。

私も、そうでしたし、

今もそうです。

歯で困って居られる患者さんのお役にたつためだけに、

生きているようなモノです。

他には何の取り柄もない私ですが、

私の範疇にあるファミリーの守り神であった積もりで

厳しい言葉や態度で接してきました。

が、本当にみんな、気づいてくれるのでしょうか?

時代の違い?

今は時代が違うからと云う台詞を

しばしば耳にします。

一生懸命に働いているので、

行き届いた手当てが出来ていないかもしれませんが。

私には、到底、今の普通にはついてはいけません。

と共に、私は今の若い人に

仕事で負けるとも思っていません。

 

私の考え方

昔、当たり前の様に眼にした光景は、

本当は、当たり前では無かったと、

最近になって判るようになりました。

商家で生まれ育った私は、

丁度、日本の高度成長期の最中で、

寝る間も惜しんで働く日本人の中で大きくなりました。

ガス湯沸し器などない五右衛門風呂の時代です。

商品の入ってあった木の箱を斧で叩き割り、

風呂を沸かすのは、小学校低学年であった私の仕事でした。

下校後、遊び場は家の蔵の中。

アチコチから、職人さんや勤めの人達の声が聞こえる中で

時間を過ごしたモノです。

夕食も皆の分を作っていました。

それが、当たり前だと思っていました。

幼い頃から、

トラックの助手席に座り、

配送や集金、仕入れ、などなど

自然と商い身に付ける習慣の中で育ちました。

店が大きくなる過程での、

大きな投資なども観て育ちました。

商いの基本が、感謝に在ると云う事も

自然に身につく事が出来ました。

育った環境を、子は選べません。

私の考え方なり、行動の原点は、

此処に在る事を否定しません。

と共に、批判も受ける積もりもありません。

私は、自分自身が私の仕事の商品であると思っています。

 

マイクロスコープを使った根管治療

歯科医になったばかりの頃の、

私の上司なり、関わった先生方は

其れは其れは厳しかったですよ。

少しでも先方が気に食わない事しようものなら、

カルテなり、資料を床に放り投げられましたもの。

鼻であしらわれ、何度もやり直しサセラレタものでした。

コッチは、退けませんでしたもの。

博士号を採るために、在籍していましたから。

今の人なら、無理でしょう。

不条理の限りだったと

今振り返ってみても、

そう思えますから。

が、あの時が在るから、

今の私が在るんだと思います。

マイクロスコープを使った根管治療が

午後の一番に入っています。

私の根管治療は、

神経の入り口を拡大して診るんじゃありません。

歯の根の先の、神経が歯の中に入ってくる部分を

マイクロスコープで覗きこんでの細かな作業です。

息を殺して、

マイクロスコープから目を離すと

もう焦点は合いません。

ただ一点のみに集中した細か作業です。

 

確りと

せがれに対して頻繁に口にした台詞なのですが、

評論家であるよりも、

クダラナイ小説でも良いから創造する人で在れ。

私は、心底からその様に思っています。

時を重ねる度に、

背中に背負う荷物が増え続けます。

ズシン!と、

その重さに、此からの時の長さを考えると

身のすくむ想いがします。

時には、批判も一身に受けねばなりません。

雪の中を、脚を引き抜き、

一歩づつ前へ前へと進んだ越後での暮らしを

思い出す時、しばしばです。

向風に、頭を垂れて

雪まみれになって歩いた昔を思い出すのです。

他人目では、好き勝手に生きてきたと

感じるかもしれませんが、

その様な虫の良い話しなど在る筈もなし。

したい事が出来る程、世の中甘くはありません。

苦しくても、

荷物を背負う人生を選んで欲しいと、

私は、せがれには、

その様に伝えてきました。