昔、当たり前の様に眼にした光景は、
本当は、当たり前では無かったと、
最近になって判るようになりました。
商家で生まれ育った私は、
丁度、日本の高度成長期の最中で、
寝る間も惜しんで働く日本人の中で大きくなりました。
ガス湯沸し器などない五右衛門風呂の時代です。
商品の入ってあった木の箱を斧で叩き割り、
風呂を沸かすのは、小学校低学年であった私の仕事でした。
下校後、遊び場は家の蔵の中。
アチコチから、職人さんや勤めの人達の声が聞こえる中で
時間を過ごしたモノです。
夕食も皆の分を作っていました。
それが、当たり前だと思っていました。
幼い頃から、
トラックの助手席に座り、
配送や集金、仕入れ、などなど
自然と商い身に付ける習慣の中で育ちました。
店が大きくなる過程での、
大きな投資なども観て育ちました。
商いの基本が、感謝に在ると云う事も
自然に身につく事が出来ました。
育った環境を、子は選べません。
私の考え方なり、行動の原点は、
此処に在る事を否定しません。
と共に、批判も受ける積もりもありません。
私は、自分自身が私の仕事の商品であると思っています。