カテゴリー別アーカイブ: ただの日記

未だ・厳戒態勢

巷では、

すでに・マスクを外した人を・見かけます。

また、

あったりまえ・の・ように、

もう・コロナは・終息したんでしょっ。

そんな・セリフも・耳にしています。

日本人は・昔から・変わって・いないんですね。

先の大戦時の・3国同盟をめぐっての・新聞での報道。

是非・図書館へ行って・観てください。

図書館って・そういう際に・利用するために・あるんです。

今、

英国でも、

独国においても、

新型コロナウィルス感染者が激増しています。

なんで、

日本だけが・終息できるんでしょう。

よくよく・考えて・みて・ください。

医療人の・さが・なんでしょうね。

患者さんが・大切で・たまらない。

もしもの・ことが・あっては・ならない。

サバンナの草陰に潜む・草食動物が、、

野獣を恐れて、

身を縮めて・殺気だして・警戒しながら、

過ごすように、

私も・同じように・診療生活を・送っています。

お越しになられる・患者さんが・安心して、

受診できる・環境をつくるのが、

私の・仕事の基本ですから。

心の・栄養

来年度発刊の・インプラントジャーナルの原稿に・苦しんでいました。

出版社の編集者、インプラントメーカーの社長さんなどが、

商業誌への・インプラントに関する出稿が・久方ぶりである私に気遣って、

過去5年分の・他の執筆者の原稿を送って下さったり、

さまざまな・ご厚意に大変・ありがたいと・感謝しつつ、

一向に、

私は・ペンを取ることが・できなかったのです。

なぜなら、

医療従事者に対する原稿は、

自己顕示のために・あるのでは・ありません。

これからインプラント治療に着手しようとする初心者から、

ある程度・症例を経験し、

悩みを抱えている・中堅どころ。

そのような歯科医師たちに、

難しくなく、

それでいて、

具体的に・実用できる・手当を、

隈なく・紹介することは・不可能であるからです。

それでいて、

何かは・必ず・体得して欲しい。

そんな気持ちが、

悩みを増幅し、

一向に、

構成が・まとまらなかった・のです。

が、

やっと、

昨日から、

一気呵成に・ペンを走らせています。

私の・インプラント歴は・1988年からですから、

約35年近くに・なります。

その過程を・時系列に記述し、

私のインプラント治療の・進化の過程を、

余すところなく・公表しようと・決めたのです。

たくさんの・症例は・お見せできません。

なぜなら、

私のインプラント治療は、

チタン製のネジを・骨に埋め込むだけの・類では・ないからです。

インプラント周囲環境の整備も・含めての、

包括的な・歯科治療の中の・単に1ステップが、

インプラントを・使っただけ・だからです。

このような・心境に至ったのは、

心に・栄養が・供給されたからに・違いありません。

で、

この栄養とは、

毎日・毎日の・患者さんとの・出会いなんです。

 

歴史から・学ぶ

頻繁に、

後進たち・から、

質問を・受けるんです。

皆・私にとっては・可愛いから、

丁寧に・お答えしています。

そういう時間って・楽しいのです。

ただ、

あるルールに・気づいたのです。

今・目の前に・在る問題・の解決にだけしか・見て・いらっしゃらないこと。

なんでも・そうなんですが、

手軽で・簡単に・なんて、

そんな虫の良い・話は・ありません。

インプラント治療なんかは、

1950年代の前半からの・論文しか・ありません。

しかも、

その後の30年くらいは、

スウェーデン学派の論文に・的をしぼって、

1980年の後半からは、

UCLAとか、

いろんなところ・から・いっぱい・出てるんですが、

その時々の・トレンドが・何であったか、

その後、

その時の・トレンドであった技法の結末が・どうなったのか?

たどって・行くと、

結構・大きな・根拠創りに・なろうかと・思います。

私の歯科医師としての・歩み。

正に、

インプラントの歴史と・共に・でしたから、

そういう意味においては、

私は・楽しましたね。

とにかく、

過去を・さかのぼって、

過去から・現在に向かっての・検証を行う・ことです。

過去を笑う者は・未来に泣く。

ジュリアス・シーザーの言葉です。

 

インプラント治療の・原稿用紙を前に・して

来年度の・インプラントジャーナルの原稿締め切りが、

いよいよ・今月の22日。

しかしながら、

ほぼ・白紙・状態なんです。

原稿依頼が・きてから、

随分と・数ヶ月を・過ごしましたから、

その間、

どんな内容でも、

執筆できる・症例は・仕上がって・います。

が、

書けない・のです。

インプラントジャーナルの購読者の・大半は、

開業歯科医師です。

恐らく、

20代後半から・50代・手前の・歯科医師でしょう。

日々の・診療生活を通じて、

この年代の・歯科医師が・見落としているモノ、

甘く・診ているモノに、

私は・気づいて・います。

インプラントは、

単なる・1治療手段にしか・過ぎません。

残った歯との・長期的な調和を・はかることが、

インプラントと・歯という、

全く・性格の違ったものを・協調させることに、

大きな・意味合いが・あるのですが、

それは、

手術方法の・違いや、

メンテナンス・では・ありません。

インプラント治療の・成功の・鍵は、

治療設計と、

インプラント修復のための・クラウンの形態に・あるのです。

毎日、

他医院のなした・インプラント治療の・後始末に・追われています。

なしたる・ご本人様は・脳天気。

自身のホームページで、

すごい方は、

100パーセント・の成功諸例だとか。

そんな・バカな・話しが・ある筈ない・じゃないですか?

だって、

私ん・ところで、

再治療・していますもの。

私だって、

100パーセント・の・成功率では・ありませんよ。

意図した・とおりの・挙動を骨が・してくれないこと・ありますもの。

ピンチに・陥った際に、

どう・軌道修正に・切り替えるのか!

そこ・なんですよ。

今回の原稿は・本当に・苦しんでいます。

書き始めれば、

あっと・いう間に、

仕上げるんですが。

ただ、

若い歯科医師の方々が・気づいていない事。

そこに・焦点を当てて・物申す・つもりです。

お見せする症例は、

国産のメーカーである・松風のバイオフィットを使用したものにと。

ものづくり日本・という伝統を、

再認識して・いただこうと・思っています。

原稿は・明日1日で・書き終える・でしょう。

ヤレヤレ

昨夜は・ハロウィーン。

街には・仮装した・大勢の若者が、

缶ビールを手に、

マスクを・外して、

咥えタバコで、

群れをなして・闊歩していました。

そのような・集団が、

あちこち・で。

午前0時くらい・からでしょうか?

私の診療所の正面には、

3段の・階段が・あります。

広い・広い・階段です。

入口戸まで、

広いタイル張りのスペースを設けて、

建物の・意匠として・デザインして・います。

建物の正面玄関は、

その・顔です。

ですから、

私は、

顔創りに・苦心しましたし、

善い・モノが・できた・と、自信を持っています。

ですから、

毎日、

掃除し、

水で・洗い・清めるのです。

ここは、

患者さんの・診療を行う・神聖な場で・あるからです。

で、

その時刻から・異変が起こったのです。

私の診療所の・このスペースで、

大勢が・酒盛りを・始めたのです。

マスクを・外して、

酒・タバコ。

男も・女も・大騒ぎ。

若者ですから、

エネルギーを・持て余している・ことは・判ります。

皆で・騒ぎたい・のも・判ります。

ただ、

世間に・迷惑をかけないで・楽しみなさい!

という・常識、見識、教養に欠けている・ことも、

こちらも・大人ですから、

百も承知・です。

110番し、

パトカーの警察官に・対応して・いただく事に。

それでも、

警察官も・苦心している・ようでした。

酒盛りを・解散するまで、

随分と・時間を要して・いたからです。

私は、あえて・若者に・言いたい。

若さは・宝です。

大いに・羽ばたきなさい!

しかし、

あなた方は、社会貢献の度合いが・大人とは・違います。

どの程度・納税しているのでしょう?

あなた方の・歩いている・その道。

あなた方が・普通に暮らせている・社会インフラ。

全て・大人たちが、

汗水たらして・労働した末の、

納税にて・賄っているのです。

胸を張って、

納税という・国民の義務を果たせるように・なったら、

今度は、

社会的責任感が・生まれ、

あなた方の・ような・バカな・みっともない真似は・しないのですよ。

身体は・見た目は・一人前の・大人。

でも、

頭の中と・精神構造は、

幼稚園児と・同レベル・といえましょう。

この国が・平和ボケ・したのだと・思います。

ハロウィーンについて、

歴史的・宗教的背景を調べていたら、

日本の・こんな・くだらない、

勘違い・仮装行列は・できないでしょう・から。

 

紆余曲折

某工務店との・契約も終へ、

私の・新しい自宅の着工が・いよいよ・と。

で、

住み慣れた・旧家の解体が・始まったのです。

通勤の・途中、

その過程を・車中から眺め、

感慨・ひとしお。

今度の家は、

私の・終の住処。

身体が不自由になるであろう高齢者になった・自分の動きを想定し、

平家建ての・ワンルームの・小さな・家にしたのです。

ただ・こだわったのは、

庭の真ん中に立つ・大きな木が、

部屋の大きな窓と、

外のウッドデッキから・眺められるように、

で、

家の敷地内は、

外界から・完全に遮断され、

決して・敷地内が・見えないように。

この土地を見に来た際には、

一帯が・雑木林でした。

市の都市計画にて・数年も経つと、

景色が・一変することが・解っていたのですが、

見に来た際には、

街中でしか・住んだことのない私にとっては、

いくらなんでも・と・思うくらいの・田舎だったのです。

ただ、

気にかかっった・ことが・あったのです。

これらの木々は・どうなるんだろう?

太古の昔から・この地に・根を下ろしていた・ろうに。

人間の都合で、

何もかも・好き勝手に・地球を・いじる。

こういう傲慢さ・を、

人の罪だと・常々・考えている私には、

木々が・あわれに・思えたのです。

そう。

私の人生も、

波乱万丈な・モノ・でした。

不条理と・他人の都合に・翻弄されながらも、

仕事を・心の・つっかえ棒・として、

歯を食いしばって・なんとか・というのが・本音の話です。

自分の姿と・木の姿が・重なって・見えて、

それが理由で、

この土地の一角を・購入したのです。

敷地の中に、

りん・と立つ・1本の・気になった・大きな木を・残そうと。

この木が・私の守り神と・なってくれて・いるような、

そんな・変な自信で、

私は・過ごして・来たのです。

今度の自宅の設計の際にも、

この木が・シンボルツリーであって、

この木を・中心に、

構図・造りを・行ったのです。

ところが、

2、3日前のことです。

診療所に、

工務店の担当営業マンが・突然・やってきて、

ペコペコ・頭を下げながら、

解体の際に、

あの木も・引っこ抜いて・しまいました。

どうも・すいません。

私ですか?

何が・なんだか・わからなく・なった・のです。

工務店の設計士、インテリアコーディネーター、

そして、外構業者、

何回も・何回も・打ち合わせした際に、

この木の・存在が・常に・中心だったのですから。

無論、

この営業マン。

いつも・その場に・立ち会って・おられましたし、

解体直前には、

わざわざ・私は、

木が・傷つくことのないように、

配慮を・お願いしたのです。

そレヲ・抜いたぁ〜・だとう?

他の木で・代わりに・植えさせてもらいます・だとう。

私の・怒りは・頂点に・達したのです。

そんな・私に・更なる・追い討ちが。

新しい家の中に・前の家の名残を持ち込もうと、

アンティークの照明器具は、

解体前に・外させて、

再利用・する筈・だったのです。

が、

それもぉ・割って・しまいましたぁ・だと。

昨日・一晩・色々探してみたんですが、

ありません。

すいません。

だと。

この営業マン。

確かに・仕事のできない人・なんですが、

この人が、

特別に・できない人・では・ないと、

私は・思って・います。

こういう・責任の取れない人、

今は、

ほとんど・じゃ・ないでしょうか?

で、

落とし所・を・見つけられない男。

多いん・じゃ・ないですか?

私が・任侠映画に・ハマったのは、

おそらく、

日本の男の・体たらくさに、

日々・嫌気が・さして・いるから・でしょう。

人は、

ミスも犯し、

過ちも・犯すモノ・です。

そんなピンチな時に、

どう・落とし前・をつける・のか・で、

男の貫目が・きまるのです。

正直、

この人と、

この会社の上司では・無理でしょう。

私が、

自分で、

納得ところ・を・見つけねば・なりません。

私は・速い・ですよ。

来週の前半に、

新しい・会社と・打ち合わせに・入ります。

決められない人・とは、

後回し・ですよ。

イヤイヤ・ヒヤヒヤ・しますね。

 

 

 

 

 

歯科診療・と・信仰

宗教めいた話を・すると、

頭が・おかしいん・じゃないか?・とか、

洗脳されきって・狂ってる?

そんな・空気が、

戦後の日本には・出来上がって・しまった・ようです。

それでいて、

受験だの、

病気のとき、

困った時の・神頼み。

日本の夏には・ご先祖さまを・お迎えする

お盆の祭りが・ありました。

豊穣の恵みの・秋には、

神々に・感謝し・喜ぶ・秋祭り・が、

どこでも・見かけられた・ものでした。

それが・今では、

クリスマスやら・ハロウィーン?

その・深い訳をも・理解しようとも・しない・人たちが、

大騒ぎ・している姿を・哀れに・思います。

私の・カトリック信仰歴は・わずか3年半ばかりです。

その信義など、

まだまだ・到底・理解できません。

私は・歯科医師です。

歯科治療と結びつくことに・走った・半生でした。

人の・身体の疾患を治療することへの・畏れ。

そのために、

私には・信仰が・必要だったのです。

歯科と共に・歩いた過程の中で、

カトリック教徒の道を・選んだのです。

不思議な・縁・と・言って良いでしょう。

私は、

治療をおこなう・前に、

まず、

祈る・ことの・大きな意味を・見つけました。

私は・患者さんが・好きですから。

映画の中だけの・任侠道

最近、

任侠映画に・ハマって・いることを、

ブログで・ささやいたら、

意外や・意外。

みんな・男は・秘かに・観てるんですね。

私が・未だに・知らないこと・教えて・下さるんで。

任侠映画・スッキリするんですよ。

だから、

不条理な社会で・働く男たちは、

観ちゃうん・でしょうね。

元来、

白竜から・入門した・任侠映画。

私は、

小沢仁志さんが・好きですね。

いい・役者さん・ですよ。

別段、

カチコミの・場面が・好きなんじゃ・ありません。

義理と人情。

筋目を・通す。

そういう・処に・ひかれるん・です。

強いものに・まかれたら・お終い・とか、

戦う・からには・勝たなきゃ・だめだろ。

そう・思います。

反社会勢力は・いけませんが、

度を過ぎた・締め付けによって、

大陸から、

もっと・たちの悪い・暴力結社が、

次々と・入国しています。

彼らに、

ルールは・ありません。

共存共栄・のできる・社会。

今は、

社会に・余裕が・なくなって、

ギスギス・したような感じが・します。

冬が・来たぞぉ〜い

昨日は・休診日とさせて・いただきましたが、

ほぼ・雑用に・追われて、

日中は・出っ放し・でした。

それでも、

夕方からは、

原稿に・向かい合う・余裕ができたせいか、

はたまた、

診察という・異常なる精神集中を必要とすること・からの

解放からか、

今朝は、

4時頃から・始動開始。

で、

寒い!寒い!寒い!

実は、

昨日、

電気屋さんにて、

石油ストーブを・27000円にて・購入したのです。

四角い・天板に・やかんで・湯を沸かせる・旧型タイプです。

石油ファンヒーター・では・ありません。

旧型といっても、

最近のモノは・よく・考えられて・いますよ。

全面なんかは・金網状態。

犬の・しっぽが・隙間に入って・

火・で燃える・ような・心配も・ありません。

小さな・お子さんが、

輝く炎に・関心を抱いて、

指を・突っ込む・心配も・ありません。

ストーブ本体も・全然・熱くない。

このような・工夫は、

人の・知恵から・生まれたこと・歴然です。

デザインなんかは、

マウスで、

さささ・と、

コンピューターが・してくれるんでしょう・けど。

使う側の・気持ち。

これは・機械には・できませんから。

人の・関与を感じ、

なんだか・嬉しくもなり、

心まで・暖かくなりました。

試運転・で、

ポカポカ睡眠の・おかげかも・しれません。

目覚めた際の、

嫌だ!布団から・出たくない!

そんな・気持ちにも・なりませんし、

ヤカンの蒸気で、

良い室内空気を・感じながらの・起床でした。

が、

外へ・顔を出して、

ビビった・のです。

真冬・じゃ・ないか!

 

バカモノ・それとも・恥知らず

衆院選に・突入しました。

各党、

有権者の・取り込みに・懸命です。

見たくなくても、

インターネットのニュース欄に、

あの・阿呆の・動画が・眼に入って・しまいました。

私は・支持政党というものを・特に持っては・いません。

自民党に・満足しているか?

と・問われたら、

即座に・はい・とは・言えません。

が、

政権運営は、

現状においては、

自民党が・運営するのが・妥当だと・考えています。

で、

立憲民主党の枝野。

呼び捨てで・いいんですよ。

先の・東北大震災の際の、

無様な・対応と、

無能なる・問題処理能力。

で、

数々の・嘘の連発。

ケツ拭く前に、

国民から・見放されて、

政権は・崩壊しましたので、

彼らは・何も・していません。

したと・弁明しても、

国民は・誰も・聞く耳・持ちません。

何なん・ですか!

誰が・こんな国にした!だと・ほざいて、

いつもの・与党批判を・繰り返していますが。

お前らは・何にも・しない・できない、

その無能ぶりを・披露しただけ・じゃないか?

私は、

この・枝野の顔を見ると、

機嫌が・悪くなるのです。

東北の方々の・先ずは・謝れ!旧民主党!

日本の政治で大切なことの・第一歩。

枝野・君が引退すること・なんだよ!

しかし、

あんなのに・ぶら下がってる・国会議員は、

政治センス・ゼロを・世間に公表しているとは、

思わないのでしょうか?