歯科診療・と・信仰


宗教めいた話を・すると、

頭が・おかしいん・じゃないか?・とか、

洗脳されきって・狂ってる?

そんな・空気が、

戦後の日本には・出来上がって・しまった・ようです。

それでいて、

受験だの、

病気のとき、

困った時の・神頼み。

日本の夏には・ご先祖さまを・お迎えする

お盆の祭りが・ありました。

豊穣の恵みの・秋には、

神々に・感謝し・喜ぶ・秋祭り・が、

どこでも・見かけられた・ものでした。

それが・今では、

クリスマスやら・ハロウィーン?

その・深い訳をも・理解しようとも・しない・人たちが、

大騒ぎ・している姿を・哀れに・思います。

私の・カトリック信仰歴は・わずか3年半ばかりです。

その信義など、

まだまだ・到底・理解できません。

私は・歯科医師です。

歯科治療と結びつくことに・走った・半生でした。

人の・身体の疾患を治療することへの・畏れ。

そのために、

私には・信仰が・必要だったのです。

歯科と共に・歩いた過程の中で、

カトリック教徒の道を・選んだのです。

不思議な・縁・と・言って良いでしょう。

私は、

治療をおこなう・前に、

まず、

祈る・ことの・大きな意味を・見つけました。

私は・患者さんが・好きですから。