父息子


昨年の晩秋の事でした。

新潟に暮らす愚息とは月に一度、私が日本歯科大学の新潟校へと出向く一週間程しか会いません。

しかしながら親とは摩訶不思議な力を持つものです。
800キロも離れた越後の国に暮らす愚息の挙動は、全て把握出来るものなのです。

最近、不審な挙動を示す愚息を問い詰めると、ヤッパリ!

新潟駅の裏で捨て猫を拾い上げ、秘かに自宅に連れて帰って飼っている様でした。

扶養の身で在りながら、また扶養家族を増やしてどうするんだ!と叱ったものの、
私を自宅の玄関先まで迎えに出てきた仔猫の顔と泣き声に
捨てろとは、やはり言えなかった私です。

先月、新潟へ行った際に、私の書斎の床に敷き詰めたカーペットが
まるで時代劇に登場したるこじき、ルンペンの纏ったボロ筵の様な悲惨な姿に!

うにと名付けられた仔猫ちゃんの爪の餌食となった私の可哀想なカーペットでした。

この憎むべき爪を何とかせねばと、高松市の掛かり付けの獣医さんにお願いして、処置をしていただくために
うにちゃんは、車で遙々四国まで嫌々連れて来られる羽目となりました。

愚息には正月明けに、避妊手術は費用を送ったのですが、
何故か?うにちゃんにサカリの様子が!

やられた!避妊費用を猫ババされて、
可哀想な私は、避妊手術も二度取りされる羽目となりました。

とは言うものの、私も若い時分には同じような事をしたものです。

歯型を採る際に使うゴム製のカップを、実際には500円位なのですが、
歯科の事など全く解らぬ母親から50000円もせしめた事を今でも思い出します。

男の子とは、そう言うものと、身をもって知っているだけに、
愚息にも、つい甘くなりがちな馬鹿な父親の見本が私です。

父と息子とは、そう言うものかもしれません。